第3話 性的エネルギーの転換

 コンコンと静かに扉をノックする音が聞こえた。


「ぼっちゃま、気分が優れないのでしょうか?」


 扉越しから、しわがれた男性の声がする。

 おそらくあの部屋に居た執事の一人だ。


「いえ、ご心配なさらず…………じゃなくて……し、心配するな」


 俺は反射的にかしこまった返事をしてしまったが、慌てて不遜な態度をとってみる。

 突然性格が変わってしまうと、当たり前だが不審に思われてしまう。

 これまでのレオナルドがそうであったように、ちゃんと彼らしく振舞わないと。

 そして適度に段階を踏んで、少しずつ改心していく様子を見せていくのが俺の計画だ。


「何かあったときは、なんなりとお申し付けください」


「あ、ああ……」


 彼は俺の世話を担当することになっている老執事のルドルフであると、現世の記憶が主張している。

 記憶を振り返ってみると、ルドルフはレオナルドの数々の奇行にも目を瞑り、ずいぶんと主人に対し献身的に接してくれる執事だな、というのが俺の評価だ。


 今回もまた、俺の異変を機敏に察して、様子を伺いにきたといった所だろう。

 おそらく本来のレオナルドから逸脱した行動を怪しまれただろうが、なんとか事なきを得た。


「ふぅ」


 俺は再びベッドの元にやってきて、仰向けに寝転んだ。

 そういえばステータスの確認をまだ済ませていなかった。

 この世界はRPGゲームを模して作られているので、ステータス制度が採用されていた。


 他人のステータスを見ることはできないが、己のステータスならいつでも見られる。

 この時のレオナルドの実力を、しっかり確認しておく必要がある。

 心の内で念じてみると、ちゃんと脳内にステータスが表示された。


 まず目に入ったのが、現在の身体的な情報。


 年齢 10歳

 身長 139cm

 体重 72kg


 流石に身長に対して体重が重すぎるな。

 まずは食事制限と運動をして、痩せるところから始めなければいけない。

 魔法の修練と同時に、肉体改造もしっかり行いたい所だ。


 そして現在のパラメーターがこうだ。


――――――――――――――――――――


Lv 1

HP100

MP100

防御120

俊敏30

スキル

・催眠魔法(Lv1)

・全属性適応(Lv1)

・全武器適応(Lv1)

・MP自然回復(Lv1)


――――――――――――――――――――

 

 ぱっと見であるが、やはり伸び代が感じられるスキルだ。

 大した努力もしていないというのに、レオナルドは四つのスキルを保有している。

 俺が思ったとおり天才の片鱗を感じさせてくれるステータスをしている。


 まさしく磨けば磨くほど輝く原石であるし、このスキルを生かす殺すも俺次第。

 生来の怠惰から努力を怠ったため完全に宝の持ち腐れになっていたが、今の俺なら正しくスキルを扱える気がする。


 俺の当面の目標はオークだ。

 オークを通常魔法で倒せるぐらいに強くならねばならない。

 性根を入れて頑張っていこう。




 前世の記憶を思い出してから、一か月が経った。

 ほどなくして、俺は精通を迎えた。

 十歳は他人より発育が早い方だろうか。

 なんにせよ精通を経て、切実な問題が発生した。


 レオナルドはとんでもないほどの性欲モンスターだったのだ。

 一日五回は自分を慰めねばならないほどに性欲旺盛で、多い時は二桁に迫る時もある。

 精通を迎えて以来、俺は一日中悶々としていて、頭がおかしくなりそうだった。


 何度慰めてもおさまる事なく沸き起こる煩悩。

 こんな体でこれまで生きていたのかと俺はレオナルドに同情した。

 そりゃ女の事しか考えられなくなる訳である。


「このままでは、性欲に殺されてしまう……」 


 慰めれば慰めるほどレオナルドに近づいていく気がして、ひどい嫌悪感を覚えた。

 では、この無尽蔵の性欲をどうすればいいのか。

 俺は日々思い悩んでいたが、そんな中でも性欲を忘れられる瞬間というのは存在した。

 それは、何かに熱中している時だ。


 たとえば肉体を鍛えたり、魔法の修練を積んでいる時というのは苦しくて、エロい事など考えていられる余裕が無い。

 つまり性欲を無視するには、愚直に努力を続けるしかない。


 それを自覚したとき、サボれない状況というのが出来上がった。

 有り余る性的エネルギーを己の修練へと転換する作業。

 性欲を発散するように、魔法の向上や肉体改造に打ち込んだ。


 そうして俺は朝から晩まで自分磨きに費やす日々を送った。





 レオナルドは基本的に肉しか食わない。

野菜嫌いであったレオナルドは過去にシェフに対して理不尽に怒鳴り散らしたことによって、食卓に野菜は全くというほど出なくなった。


 両親も基本的にレオナルドに対してダダ甘なので、すべての我儘が通ってしまうという歪な家庭環境が出来上がりつつあった。

 そのせいもあってか、成人する頃にはぶくぶくと傲岸不遜な性格は肥大化していき、遂には誰も手を付けられなくなるのだ。


 まあ、それはともかくとして。


 食事もトレーニングの一種である。

 故にバランスよい食事を心がけねばならない。

 俺はすぐに食生活を見直すため、専属のシェフに対し、野菜多め、肉は鶏肉でと細かくオーダーをした。


 当然の反応ではあるが、その要望にシェフは目を丸くして驚いた。

 それはシェフのみならず、両親やメイドもそうだった。


 そして、実際俺(というよりレオナルドの体)は野菜全般を蛇蝎の如く嫌っていた。

 口に含んだ瞬間に、嘔吐しかけたこともある。

 全く難儀な体だなと、同情にも呆れにも似た気持ちが湧いた。


 非常に困った俺は、ここでひとつ妙案を思いついた。

 催眠魔法を使ってみればいいのではないかと。

 つまり自己催眠で野菜嫌いを克服するのだ。


 この企みは見事に成功した。

 あれだけ嫌いだった野菜を受け入れるようになり、むしろ肉よりも旨く感じるほどだった。

 今では野菜を食べる比率の方が多くなったぐらいだ。

 

 俺のその姿を見た両親は驚きつつも喜んでくれた。

 こういう所から、ちょっとずつ変わっていかないとな。





 或る日のことだ。

 屋敷に仕える一人の若きメイドが、食後のテーブルを布巾で拭いていた。

 俺は食事を終え、自室で勉学に励もうと思っていた所で、視界の端に、ふりふりと揺れるその臀部がたまたま目に入った。


 すると俺は、無性にその尻を撫で回したいという欲求に駆られる。


「いかんいかん、俺は変態親父か……」


 首を左右に振って、邪念を振り払おうとするが、しかし一度考えればその気持ちは中々晴れることはない。

 一度ムラムラしてしまうと、理性で抑えつけることが非常に難しい。

 その欲求は自然消滅する事はなく、何かしらの形で発散しない限りこの状態はずっと続く。


 これはレオナルドが持つ厄介な体質だ。

 だからこそエロイものは極力自分から遠ざけてきたのだが、俺は偶発的にそれを見てしまい、そして意識してしまった。


 気づけば彼女の背後にまで、俺は静かに歩みを進めていた。


「ハア、ハア……」


 自然と、息が荒くなるのが分かる。

 このままだと気付かれるのは時間の問題だ。


 目の前には、メイドの形の良い丸い尻が揺れている。

 俺は一度生唾をゴクリと、飲み込んだ。


 理性では駄目だと分かっているのに、その意思と反して俺の腕は吸い込まれるように伸びていき────そして。


「うおおおおおおおおおおおッ!!!」


 俺は喉が枯れんばかりに咆哮した。


「1.2.3.4.5......!!!」


「レ、レオナルド様!? 一体どうなされたのですか!?」


 ぎょっとして振り返った若いメイドが、俺の奇行を見て瞠目する。

 俺はその場で、高速腕立て伏せを始めていた。


「俺に構うなああああああッ!!!」


 煩悩、断つべし!

 俺は性的エネルギーを無理やり筋トレに昇華した。


 一心不乱に腕立て伏せに励む俺を見て、メイドは慌てふためき、どうすればいいのか分からないといった状況でおろおろしていた。


 俺は、勝った。

 鋼の精神力をもって、忌まわしき性欲に打ち勝ったのだ。

 レオナルドなどに簡単に屈してたまるものか。


 俺は変わるんだ。

 これまでの自分とは、もう違う。

 

 俺はその後も、日が暮れるまで狂ったように腕立て伏せを繰り返し、両親に本気で頭の病気を疑われた。

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