一生すきでいさせてよ

 素敵な衣真くんに告白するのにふさわしい場所はどこだろう。きっと場所とかじゃなくて。


 梅雨の晴れ間の夕焼け。衣真くんの頬が照らされてピンクに染まるとき。

 急な土砂降りの雨宿り。とびきりの愛の告白も雨音が隠してくれる。

 霧雨の中の相合傘。衣真くんの顔をうんと近くで見て、さ。


 そんな瞬間が訪れたら、そのときが告白すべきときなんだ。衣真くんに愛を伝えるなら、特別に素敵でなくてはね。


 想像を膨らませながらキャンパスを歩いていたら、遠くに相合傘を見つけた。雨足はそんなに弱くない。2人とも濡れてしまうだろうに、幸福なカップルだなあ。

 羨ましく、でも微笑ましく眺めていた。僕が追いかける形でカップルにだんだん近づいたら、笑い声が聞こえた。衣真くんの声だった。世界を明るく照らす、あの笑い声。

 相合傘の相手の声も聞こえた。書評の会の3年生の、内山さんだった。いつか衣真くんが、「パーマをかけていておしゃれ」と言っていた。そのときからもしかして……?


 内山さんの方が背が高く、がっしりと厚みのある手で傘を握っていた。衣真くんはその手に自分の手を添えていた。2人の手は、傘の持ち手の上で重なっていた。


 付き合ってるんだ。


 気づかれないように2人から離れた。締め上げられるように心臓が痛い。痛みを逃そうと息をする。はっはっと走ったあとみたいに息が上がって、頭がくらくらする。

 建物の裏でしゃがみ込んだ。


 付き合ってたんだ。彼氏がいたんだ。いつから? 一緒に出かけたのはデートじゃなかったの? 衣真くんにとっては一度も、一度もデートじゃなかったの?


 ひどいよ。

 衣真くんはまぶしすぎて、ひどいよ。


 僕は衣真くんにふさわしいと思った。でも衣真くんはそうは思わなかった。別の人を選んだ。

 衣真くんは「早暉くんはすごいよ」と何度も言ってくれた。でもそれじゃだめだったんだ。衣真くんが自分にふさわしいと思うのは、もっと別のところにあったんだ。たとえば——誰よりも早く衣真くんに告白する、とか。


 髪が伸びたら告白しよう、なんて、今思えば時間稼ぎでしかなかった。勇気がなかっただけ。分かってた、本当は気づいてた、でも衣真くんは僕を待っててくれると……どうして、思い込んでいたんだろう。


 のきから雨水が滴って、水たまりを作っている。水が落ちるたびにしずくがスニーカーに跳ねる。スニーカーがじっとり濡れて、靴下にまで染み込んできて、ようやく顔を上げた。ずいぶん長いこと、考え込んでしまった。


 衣真くんのこと、「ひどい」なんて思いたくないな。


 好きな人は僕の知ってる誰かの恋人で、ということは僕の好きな人ではいられない。好きな人のいない集まりなんて憂鬱なばかりだ。

 ギリギリまで寝て、高校の頃から着てるヨレたTシャツを着て、髪を雑にくくって、コンタクトだって七面倒なだけだから黒縁メガネで家を出た。

 今日、書評の会の集まりには衣真くんと内山さんの両方が来ると分かっている。2人はほかの会員には交際を隠している。いつから付き合っているんだろう? 全然気づかなかった、って悔しくなる。


 久しぶりに傘のいらない日だった。僕は無駄に歩き回って時間を潰して、1分前に会議室のドアを開けた。

 衣真くんがぱっと顔を上げて僕を見る。「やっと来たね」って言うみたいに、小さくにこっとする。


 僕は衣真くんが欲しくて欲しくて、胸をかきむしってこの感情を全部かき出してしまいたくなる。鼓動が悪い具合に早くなる。肺が潰れたように苦しくて、手近な椅子になんとか座った。


「……伊藤くん、飲み物買ってこようか? 顔色が悪いよ」


 いつもクールな関根さんの隣に座ったら、顔を覗き込まれる。彼女の心配そうな顔を初めて見た。そんな顔をさせるのが申し訳なくて、余計に苦しくなる。


「いや……自分で、買ってくる。ありがとう」


 自分の声はかさかさに乾いて、関根さんにようやく届くくらいだった。関根さんは少しだけ目を見開いて、何か言いたそうだったけど、結局僕の自由にさせてやることに決めたようだった。

 財布だけ持って会議室を出て、ずるずるとへたり込んだ。


 僕は衣真くんが好きだ。

 この気持ちをかき出せたらどんなにいいだろう。燃やして、ススにして、さよならって笑って先に進めたら。

 「さよなら」って思ったら泣けてきた。目が潤んでくるのが分かって、こらえる前にひと粒こぼれた。じんじん熱い涙だった。喉のすぐそこまで嗚咽がせり上がるのをぎゅうと押さえつけて耐えている。


 ——さよなら、僕の恋。


 なんて思ったら気障キザすぎて笑えてきた。笑ったらもっと泣けてきた。


 燃やしたくないよ。世界一綺麗な人に恋をしていたいよ。一生でいいよ。一生好きでいさせてよ。


 ゆっくり立ち上がって、購買に飲み物を買いに行った。


 戻ってきたら衣真くんが会議室前で待っていた。部室棟の窓から梅雨の晴れ間の夕陽が差し込んで、衣真くんの頬を薔薇色に染めていた。


「伊藤くん、大丈夫?」


 あなたに「早暉くん」と呼ばれる日が来なくても、好きでいていいですか。


「体調微妙かも。帰ろうかな」


 あなたを好きでいることがどんなに苦痛でも、僕を虜にして離さないでよ。


「うん。リュック取ってくるよ」

「ありがとう。ごめんね、今休憩時間?」

「ううん。心配で外で待ってたの」


 どうして大切な人はほかにいるのに、僕にそういうことをするの。ひどい人。優しい人。


 あなたがどんなに眩しくて、どんなにその光が落とす影がくらくて僕をどん底に突き落としても、好きでいていいですか。優しくて残酷なあなたを、好きで——。


「ブリーチしてください」

「おお、ついに。思い切ったね。金髪でいい?」

「いいです。お願いします」


 衣真くんはどんな髪型が好きかな、とか、どんな髪色が好きかな、とか、髪を染めたら衣真くんのタイプじゃなくなるんじゃないかな、とか、そういうことを考えなくてよくなった。

 黙って好きでいるだけ。

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