第6話 マスターとディサイプル
「ああ、それはそうよ。だって適性そのものが真逆だもの。上手く行くはずがない」
「ハァ…そうですか…」
「無知は恐ろしいね。君、相当時間を無駄にしている」
女性は切長の目で俺を見つめてくる。一見厳しい目つきであるが、感じるのは純粋な憐れみ、しかも慈愛のある憐れみを込めていた。
少し高い程度の鼻に薄い唇と、美人の要素を兼ね備えた美形の女性、アテネスは俺にワインを注いでくれる。
「…剥奪、ですか」
「そう。今は廃れてしまった、しかし古代原初から存在する、由緒正しき魔法よ」
「知らなかった、です」
アテネスは世にも珍しい『剥奪』魔法の使い手だった。その効果は読んで字の如く、対象から『追加値』を『奪う』事である。
実際に見せられた実例では、栄養価の高い果物で得た筋力の+5の数値が、一気に0に変わっていた。
「普通に考えれば、あって当然なんだ。付与できるなら、その逆が出来てもいいでしょ?」
「そ、そうですよね。そうだ…」
「でも実際は使い手は殆どいない。現に私の知る限り、この魔法を扱えたのは亡くなった祖母を除いて、現時点で私一人だったからね」
「何故ですか?」
「詳しくは分からない。ただ祖母の話では、人は短所を消す事よりも、長所を伸ばす事の方が得意だから、らしいね」
「へぇ…」
「確かに今の魔法教育では、弱点を補うのは得意分野の強化が主流。あながち変な考察でもないかな」
正直珍紛漢紛だ。アテネスも深くは話さず、サッサと次の話に移ってしまった。
「まぁ、魔法の経緯はどうでもいい。私としては、君に興味がある」
「お、俺にですか」
「そうとも。君の身の上話を聞いた以上、放っては置けないな。ましてや君は私以上に、『剥奪』の素質を持っている」
「褒めているんですか…」
「褒めているさ。私はね、今とても嬉しいんだ」
アテネスの言葉に嘘はなさそうだ。彼女の満面の笑みを見てしまうと、そう思わざるを得ない。
「さて回りくどい物言いは面倒だからね、単刀直入に聞こう」
「ハァ…」
「君、私のディサイプルにならないか」
「ハァ?」
「うん?知らないのか、ディサイプルを」
首を傾げる俺に対し、彼女は呆れ顔になった後で口角を上げた。
「フーン。君の住んでいた村は、予想外に魔法教育が杜撰なんだな」
「あの、そのでぃすなんたらとは」
「ディサイプル。弟子だよ。古代より脈々と受け継がれてきた師弟関係」
アテネスは袖を捲る。薄い黄色をした緩やかなチュニックの下には、赤々とした紋章が描かれていた。
「私の祖母と結んだ、師弟の証。フフ、これは凄い代物だよ」
「魔力ですか?いや、凄いマイナスの値だ…」
「目の付け所がいいね。その通り、これは『剥奪』の力を強化する魔法陣の役割をも果たす」
太い筆で一筆書きした直線の集合体は、遠目から見ると昆虫の顔のような造形をしている。
「原則として二人一組でのみ、マスターとディサイプルの関係は結べない。他の師弟関係と違って、複数人では効果を発揮できないんだね」
「その代わり、その紋章が手に入る訳ですね」
「ああ。強い制約によって。どうだい、興味を持ってくれたかな」
アテネスの指先から伸びる淡い黄色の光が、近くに生い茂っていた草木に降り注いだ。俺の目に浮かぶ数字がどんどん低下していき、0を刻む。
彼女が手を払うと、まるで綿のように草木は消えていった。
「私は君を見込んだ。私は君に賭けてみたい」
「本気ですか」
「本気の本気だ。もしも私を信じてくれたのなら、その幼馴染連中など話にならない、もっと高次元の力を君に教えよう」
その言葉を聞いて、俺が下す判断は一つだけだ。
「宜しくお願いします!」
「よし。そうと決まったら先ずは支度を整えよう」
「ハァ…?」
「おいおい可愛い初弟子だ。そんな安っぽい格好をさせる訳にはいかないだろう」
「はっ、いえあの」
「気にするな、こう見えて独り身が長い割には戦績がいいんだよ。金は腐るほど貯まった」
アテネス、いやマスターは軽やかに言うと、俺の手を引いて立ち上がる。
「馬車呼びはした事ないだろう?精々星二つで喜ぶ程度なら、まだ遠い未来の話だからね」
「馬車呼びって…ここ、アザードから数日離れてますよ」
「北東に位置する馬の名産地、アガンダがある。そこには早馬が大勢いて、ここまでなら二日もあれば辿り着く」
「二日?!?!」
「アガンダまで行こう。物作りが盛んな、普段は物静かないい街だ。君を徹底的に鍛えるとしてだね」
マスターの中で、次々と計画は出来上がっていた。避難していた洞窟から慌ただしく退出する羽目になったが、俺の心は踊り出している。
「カーズは酒は呑む?いいワインがある酒場を知っているから、そこに行こうか」
「ハイ、好きではありますけど」
「楽しみだねぇ。どの程度呑めるのかな?」
「あの、潰すのは…」
「ハハハ、私とて自重はするよ」
第6話の閲覧ありがとうございました。
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