第4話 どこまでが

「会議、ですか」

「ああそうだ作戦会議だ。俺たち罪なき学生たちの、な」

 夜も更けた午前2時。

 消灯時間もとっくに過ぎ、センター内の明かりはほぼ消えた中、唯一灯された一室に集まった5人。

 最後に入ってきた男が部屋の鍵にロックをかけた。

 ソフトモヒカンに入った赤のメッシュ。

 中高生が集まっていると聞くが、そうは見えないほどの筋肉質の鍛え上げられた身体。

 この男はこんなに寒い真冬の夜の中、赤のタンクトップ一枚に黒い短パンというあまりに脳筋な服装だった。

 だがそんなことも気にせず男は座り、野太い声で話し始める。

「俺たちは何の罪も起こしていないのにも関わらず、犯罪者と同じ場所で、同じように過酷な労働をさせられて苦しんでる。これはおかしいと思ってるんだろ?」

「それはそうだけどひとつ言わせてくんない?」

 耳元で輝くピアス、首元には黒いチョーカー。

 セミロングの黒髪の隙間から見える紺のインナーカラー。

 それに揃えたような紺色のパーカーを半脱ぎで羽織り、いかにもやさぐれた女は、爪を弄りながら男に口を出す。

「……なんでトイレ?」

「仕方ねぇだろ一番バレなそうなとこがここなんだから」

 普通のトイレよりかはスペースの大きい多目的トイレ。

 故に誰も地べたには座らないし何なら臭い。

 それにいくら広いからといえ、5人も入れば流石に窮屈だった。

 このメンバーに集合をかけたきっかけでもあるリーダーらしき男は、この部屋に鎮座する便座に座って緊迫した表情を見せているが、ただ便座の暖房で暖まりたかっただけだろう。

「そのまま脱糞とかしないでよ?」

「脱糞言うな。──長居もできないから端的に話すぞ」

 周囲からは鼻を摘まれながらも、リーダーは口を開く。

「先週の一件は覚えているよな?」

「そりゃね。盛城支所とやらのことでしょ?」

 私たちが出会したあの金縁メガネの人。

 平沼さん──指揮官をも圧倒するなかなかの曲者だろう。

 逆に言ってしまえば敵の敵は味方──要するに私たちにとっては有利に働く存在だ。

「現状俺たちと方向性が合致してる盛城支所と合流することが今回の作戦の目標だ」

「でも、合流するにしたってどうするのー? ここから脱走してもすぐ捕まるって聞いたけど〜」

 と言いながら大きく欠伸をする男の意見に、先の女も賛同する。

「同意。脱走してもし捕まったら、今度はどんな扱いされるか分かんないでしょ」

 すると、待ってましたと言わんばかりに。

「そのための電話番号だろ? 書いてあったよ」

 ズボンのポケットから電話番号の書かれたくしゃくしゃの紙切れを取り出す。

「ここに電話をかけて、盛城側が提案した作戦に乗っかる。奴らは俺たち以上にここを知っているし、おそらくその方が成功率は高い」

「じゃ、後は連絡するための手段を手に入れるってこと……」

 と、女は途中で話を止める。

「誰か来たっぽい」

「口を閉じとけ」

 だんだん近付く足音。

 そして、ダンッ!とドアが揺れる。

「ありぃ〜? 誰か入ってんのか〜?」

 寝起きと思われる生ぬるい声でこちらに問う男。

 ……というかこの声、牧ヶ原だろうな。

 周囲はリーダーに視線を向ける。

「すみません、今お腹が痛くて」

「そうかー。お大事になー」

 その時だった。

「ひィッ!」

 私たちより少し遠くに座っていたもう1人の女が、突如小さく悲鳴をあげる。

 どうやら蜘蛛が糸を伝って顔に付いたようで、顔を震わせながら怯えていた。

「何事だ〜?」

 当然、不思議に思った牧ヶ原もドア越しに話しかけてくる。

 まずい。

 最初に声を出したのはリーダーだ。

 ここはなんとか誤魔化さなれけば──。

「ごめんなさい、自分の出したやつがあまりにデカくてつい、アハハハハ……」

 嘘が下手過ぎるよ、リーダー。

 そんなしょうもない嘘を牧ヶ原は──。

「そうか〜、デカいとちょっと嬉しいよな〜。まあ頑張りたまえよ〜」

 信じた。

 しかも話地味に噛み合ってなくないか……。

 こっちのトイレの便座は冷たくて嫌ですのぉとか寝言のようにぼそぼそと言いながら隣にある男子トイレへと入っていったようで、足音は一度止んだ。

「バカっぽい老人だな」

「オレオレ詐欺ってああいう人が引っかかるのね」

 こうしてグループ内でザコのレッテルを貼られた牧ヶ原であった。

「で、手段のことだが……。センター内に俺たちが気軽にかけられる手段は無いな」

「す、スマホも……没収されちゃった、し……」

「外部との連絡は出来るだけ遮っておきたいのだと思います」

 一難と言う程でもない一難が去り、再び議論が交わされる。

「指揮官のガラケーを盗んで電話をかけるってのは?」

「それは無理じゃない? 盗む隙は無さそうだし、第一履歴が残るよ」

「そういえば、最初にセンターに来た日に施設案内されたよね。あのとき、センター長室に電話があった気がする」

「本当か。だとしたら、センター長の居ない隙に中に入れば……」

「盛城支所と電話が通じる……!」

「でも、居ない日っていつなんだろう……」

 乗り越えたと思われた解決策だが、ここで一度停滞する。

 だが私はふと以前の会話が頭によぎる。

『今日みたいに上司たちが出張とかで空いた日にはゆっくりと自分たちの好きなことができる。俺はこれを見るために1ヵ月我慢してきたんだ……!』

 それは、初日に牧ヶ原と子安さんで交わした会話の中で言っていた内容だった。

 私は発言権を得るべくまっすぐ真上に挙手する。

「ん? なんだ」

「私たちがセンターに来た初日はセンター長と指揮官は出張で不在だったと聞きました」

「なるほど。2人も居ないのはベストタイミングだな」

「じゃあ、実行はその日を狙おう」

 5人は円になって中心に手をかざし、静かに手を天井へ上げた。


 そして、その日は意外と早く訪れた。


 「今日は俺たちは出張があるので工事は中断だ。当番は通常通り動け。不測の事態があればセンター長室にある電話機から連絡するように。また、欲しいものがあればセンター長に言ってくれ」

 センター長は多くの奉仕員に囲まれ、しばらくしてセンター長と指揮官はセンターを出ていった。

 ──作戦開始だ。

 俺たち5人で目配せをし、私は一人そっと部屋を出て、最上階へと向かう。


 『じゃあ、その電話をしに行く人は、誰にする?』

『リーダーでいいんじゃない?』

 そう結論付いたと思われたとき。

『いや、……俺は』

『え? 何かあんの?』

『俺は、……その。怖いんだよ』

『はぁ? 今更怖気付いてんの? バカじゃないの?』

『お前もさっき言っただろ? もしミスったら、どんな扱いされるかわかんねぇんだぞ? それが──何よりも怖い』

 そんな突然のリーダーの弱音に、女は責め立てる。

『今まで仕切っておいて結果はそれ? だっさ』

『……じゃあ、お前はどうなんだよ?』

『私はやんない。第一最初からこんな作戦乗るなんて一言も言ってないし。あくまで私は作戦に口出しただけ』

『んな屁理屈な……!』

 部屋の中は静まり返る。

 ここで誰も動かなければ、この作戦も無かったことになる。

 行動なくして成果なし。

 それが私の座右の銘だ。

『私がやります』


 そう言って私はこの作戦の実行役として動くことになったのだ。

 最上階へと辿り着き、廊下に誰も居ないことを確認する。

 そしてセンター長室に入る。

「……」

 重厚感のある木目調の机の上に置かれた電話機。

 もう一度後ろを振り返る。

 よし、誰も居ない。

 意を決して受話器を取り、渡されたメモに書いてある電話番号を間違えないように打ち込む。

 ……それにしても、4桁で終わる電話番号なんて本当にあるのだろうか?

 リーダーが書き間違えていないことを祈りつつ、受話器を耳に当てる。

 1コール、2コール、3コール……。

 その間も周囲を見渡す。

 用心深いように見えるが、リスクを伴う行為は石橋を叩きすぎるぐらいがむしろ丁度いいのだ。

 そして、ついにコールの音が途切れた。

『はいこちら盛城支所』

「もしもし、渋塚支所の者です。助けていただきたいです」

『ああ、もしかしてあの後ろに居た子たちかな?』

「はい」

 そして私たちの作戦を話す。

『そうだね……。一番は僕たちが今のうちに君たちを連れて脱走するのがベストだけど……、あいにくその方法が取りづらくなってしまってね』

 電話の主、声からしておそらくあの金縁メガネの人は、ため息混じりにそう話す。

「というと」

『先日の渋塚支所との無断接触に流石に痺れを切らしたのか、本部に会議を出禁にされてね。いつ君たちの指揮官が帰ってくるかが把握出来ない。今向かったとしても間に合わない可能性がある。それに』

「それに?」

『センターの外にも見張りがいてそう簡単に外に出れなさそうなんだ』

「となると、別の手段を取る必要があるということですか」

『ああ。これ以上君たちに介入するのは難しくなった。だから、君たちに頼ることになるが──別の作戦ならある』

「別の、ですか」

 後ろを見る。

 誰も居ないことを確認して。

「教えてください」

『ああ。少し長くなるが──』

 そう言って話された作戦の内容に、私は──相槌を返すことも出来なかった。

 頭が真っ白になり、意識がプツンとショートするように遠のいて。

 喉が熱くて、苦しくて。

 カラカラになった喉からは掠れ声しか出せなかった。

 全容を聞き終わった頃には身動きも取れず、私はただ立ち尽くすばかりだった。


 その作戦は、あまりに非情で──あまりに有効的だった。

 

 「んじゃ、新入り君たちの入所1ヶ月を記念してぇ〜? かんぱ〜い!」

「「「かんぱ〜い!」」」

 幾多の紙コップを掲げ、盛り上がる室内。

 ただでさえ床も見えない情報過多な休憩部屋に煌びやかな装飾が施され、まさにお祭りムード。

「ほらほら若ぇ奴はどんどん食っちゃいな!」

「あ、ありがとうございます」

 ピザカッターで切られたそれは、ふっくら膨らんだ生地に覆い被さるチーズ、さらに上層にはトマトやサラミがミミまでぎっしり。

 溢さないように頬張ると、チーズの濃厚な味、噛むと塩味も効いていて肉の旨みを感じるサラミ、けれどそこから重たさを感じさせないトマトのフレッシュな酸味。

 この完成されたコンビネーションに思わず舌鼓を打つ。

「美味しいです」

「だろ? 仕事の汗は極上のスパイス。……クゥ〜! 最高だな嬢ちゃん!」

 おじさんはだいぶ酔いが早く回っていたようで、顔は真っ赤だし、吐く息は酒臭い。

「おーい牧ヶ原! 早くしないとお前の好きなチーズ全部乗せ食っちまうぞ!」

「まじすか!! いっただきまーす! ……うわ、しょっぱ!?」

「タバスコを満面にかけたからな、ざまぁねぇな!」

「おいこらジジイ! その酒にタバスコぶち込むぞ!」

「んだとぉ? そしたらこの一升瓶で頭かち割ってやらぁ!」

「いいぞいいぞやっちまえ〜!」

 取っ組み合いをする2人を見て囃し立てる周りの人たち。

 急に知らない演歌を歌い出したり、誰にもウケない一発芸を始めたり。

 バカ騒ぎも甚だしいところだ。

 けど。

「楽しい……」

「だろぉ〜?」

 さっきまで奥で騒いでいたはずの牧ヶ原がいつの間に移動してきたのだろうか、私の右肩に手を置く。

「牧ヶ原さんはお酒飲まないんですね」

「ま、俺は未成年だしぃ? ……って、明莉ちゃんから見たら俺って年老いて見えんの?」

 シワか、シワなのか、と自分の顔をぺたぺた触って気にしだした牧ヶ原を見て、つい吹き出してしまう。

 なんだよー、俺だって少しは気にしてるんだぞぉ、と私に不満げな顔をしつつも。

「どう、1ヶ月経って。ここには慣れた?」

「まあ、はい。仕事は辛いですけど」

「ホントなー。俺さ、仕事してる時はもう嫌だー、やりたくないー、って現実逃避したくなるけど、こういう時に限って仕事して良かった、とか思っちゃうんだよね。矛盾してるよなぁ」

 コップに入ったオレンジジュースを飲み干し、ぷはぁーと息を吐き出す牧ヶ原。

「みんな幸せになりたいとか言うけどさ、結局のところ生きてるだけで幸せなんだと思う。もちろんその間に苦しいこととかあるけど、いつかこうやって楽しいことが待ってるはずだから」

 にっ、と歯を見せて笑う。

「明莉ちゃんはどう? 今、幸せ?」

 私の方を見て笑いかける。

「──はい」


 嘘。

 私は嘘吐きだ。

 こんなのは幸せじゃない。

 世界にはもっと普通の幸せが掴める所が広がっているというのに。

 どうしてこんな狭い空間で見つけたものを幸せだなんて言えるんだろうか。

 長時間労働に人権無視の奴隷扱い。

 そんな中彼らは呑気に幸せだなんて言っている。

 ゾッとする。

 犯罪者?

 だからこうして奴隷のようにこき使ってもいいのか?

 バカを言うな。

 お前たちも何かしらの罪を人生で犯しているだろう?

 悪口を言った。

 人を殴った。

 信号無視をした。

 万引きをした。

 小さいことでも犯罪は犯罪だ。

 それなのに裁かれてないからとお前たちは線を引いて、幸福に過ごすのか?

 知っているんだろう?

 奉仕と言いながら実際は働いている現状を。

 でもそれを言ったら自分がすることになるから言わない。

 見て見ぬフリをしているだけだろう?

 そんなの逃げだ。

 教えてやる。

 

  私たちは、不幸だと。


   *****


 冬の乾いた夜空に、数多の星が鮮明に瞬く。

 街にはまだ明かりがともっていて、光の海が一面に広がっている。

 そんな遠くの景色に、どこか安心して見惚れていた。

「ここに居ましたか」

「センター長……」

 屋上のドアの音が聞こえて振り返ると、いつもと変わらないスーツ姿でセンター長は立っていた。

「ここも劣化が激しいですね。後で新しいフェンスを発注してきます」

「良いんですよ。こういうのは壊れてるから風情があるんですって」

「どういう理屈ですか……」

 足音が近くなるが、気にせず目の前の景色に視線をやる。

 そうやってお互い喋ることなく沈黙が続き、耐えきれず俺は何とか話題を絞り出す。

「……星が綺麗ですね」

「それ、告白のつもりです?」

「え、それって月が綺麗ですねじゃないんですか」

「一説によると、星が綺麗ですね、というのは、あなたに憧れています、私の気持ちに気づいてほしい、という月よりも遠回しな告白の意味があるそうですよ」

「なッ……!?」

「告白なら素直に伝えてくれる人が私のタイプですがね」

「分かって言ってますよね。頼みますから揶揄わないでください……!」

 思わぬ空振りをして気疲れしてしまった。

 こりゃ当面彼氏も出来ないな、この人。

 そんな風に思うが、心の中で留めておく。

「あの、センター長。こないだはすみませんでした」

「気にしなくていいですよ。あれはあくまで私のエゴでしたし、上司としての域を超えてましたから」

 寒いですしどうぞ、と温かいココアの入ったカップをくれる。

「俺、言われたんです。君は社会に怒りを抱えているって」

「それは、盛城の方に?」

「はい。自分ではそんなのあまりに図々しいと思っているんです。だって俺は犯罪者ですよ? むしろ償わないといけない立場です。なのに、今の状態に不満だからとこの世界を変えようと巻き込むのは間違ってる……」

「――なら、罪の重さだけ奉仕すればいいじゃないですか」

「……え?」

 センター長も横に並び、すっかりくたびれてしまった錆だらけのフェンスをそっと撫でる。

「過ちを犯さない人なんてこの世に居ません。ですが迷惑をかけた分だけ相手に何かしてあげられることをすることが大切だと、私は思います」

「センター長……」

「もちろん被害者は許してくれないと思います。心に一生残る傷ですから。そのことを忘れずに、自分に出来ることをしていくのが、償うということだと思います。その上で何か主張するのなら別に構わないと思うのが私の自論です」

「迷惑をかけた分だけ、自分に出来ることを相手に……」

 どれくらいかかるのだろうか。

 社会に迷惑かけた分を返せる日は来るのだろうか。

「──あったかい」

 ココアの入ったカップが、包むように持った両手にあたたかな熱を伝えてくる。

 悴んで凝り固まっていた手の筋肉が、少しずつほぐれていくのを感じた。

「お~い、お二人さーん! 今からビンゴ大会するから集まってくれー!」

 後ろから牧ヶ原の陽気な声が飛んでくる。

「どうします? 行きますか?」

「いや、俺は遠慮しときます」

「そうですか」

 センター長はココアを飲み終え、ドアへと歩く。

「でも—―心の整理が出来たら、いつか行きます。長くなるかもですけど」

「……そうですか」

 ぱたん、とドアが閉まる音が聞こえる。

「……あ」

 そうだよ。

 センター長、あの人と言ってること同じじゃないか。

「星、綺麗だな」

 ふと俺はそんなことを口にしていた。

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幸福世界と『できそこない』ちゃん 北山の人 @kitayama-J

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