第3話 違和感

 「渋塚駅再開発事業の一環として、今日より第一地区の工事が始まる。工期は半年。3分以上の休憩は処罰があるので気を付けるように」

 床に横たわっていた奉仕員らが、勢いよく立ち上がり整列する。

 以前、俺の進路を塞ぐように立ちはだかった老婆はもう居ない。

 問題は新しく入ってきた危険因子──中高生たちの存在だ。

「おい。聞いてるのか」

「うっせーな。聞いてるっての」

 生意気に舌打ちをしながら返事をするそのうちの1人。

 他の中高生らも俺を睨んだり、ただ下を見つめたり。

 だが彼らは罪を犯していない人々だ。

 反抗的な態度を取られたとはいえ銃を向けるのは憚られる。

「……行くぞ」

 ──彼らをどう扱うべきか、俺にはまだ時間が必要だ。

 点呼で全員の出席を確認し、列の先導として歩み始める。

 とにかく今は目の前の仕事を終わらせるだけだ。


     ***     


 アスファルトの小さな隙間から生えた雑草が、元気よく陽の光を浴びている。

 そんな目の前で力強く生えた雑草を踏み潰しつつ、現場に到着する。

「人が多いな……」

 ピヨピヨ、カッコーと電子音が鬱陶しく鳴くスクランブル交差点。

 そんな交差点を囲むようにそびえ立つ摩天楼。

 その一角で大画面を活かしたダイナミックな広告を流す大型ビジョン。

 駅近くということもあり、百貨店や繁華街で人の往来が激しい。

 近頃は郊外の鉄道整備で一般人の少ない環境下で作業できて人の扱いが楽だったが、これは気をつけなきゃな。

 今回は渋塚地区の中心、渋塚駅前に作られる新しい電波塔──渋塚ハピネスタワーの工事だ。

 高さ777m。

 一億総幸福平等社会政策を進めていた当時の総理大臣の故郷、渋塚の幸福の象徴として計画された。

 ラッキーセブンに因んで高さを決めるという短絡的な思考によって、俺たちは日本一高い建物を建てるにはあまりにも短い、半年で完成させる羽目になった。

 東京スカイツリーでさえ工期は3年半かかったというのに、だ。

 周囲の視線を気にしつつ、俺は近くの奉仕員に丁寧に問いかける。

「ミキサー車はまだ来てないですか?」

「渋滞に巻き込まれ、遅れて到着する予定だそうです!」

「……分かりました」

 いきなりのハプニングに、つい髪を弄る。

 これからの多難を予期させるスタートになりそうだ。

 ──にしても。

 最後列で静かに佇む少女が視界に映る。

「なんでお前がここに居るんだよ……」

 結局彼女を見たあの日から一度も話すこともなく今日まできてしまった。

 どうしてここに来るようなことになったのか、どうして彼女が渋塚の青髪なのか──。

「集中、集中……」

 一つの油断で命を落とす危険もある作業だ。

 考えるのは、仕事の後で。

 寒さで凍えた右手を頬に当て冷静になろうとした時、事務用のガラケーがポケットの中で震える。

 着信主はセンター長だった。

「もしもし。どうしました?」

『事案が発生しました』

「……」

 今までも事案というのはちょくちょくあった。

 自主奉仕センターから奉仕員が脱走しただの、交通事故が起きただの、やれ殺人事件が起きただの。

 主に奉仕員が一般市民に接触する危険があると判断した時や、幸福を脅かす事件や事故が起きたときは現場付近の支所が対応し、必要に応じて本部が処理をすることが殆どだ。

 そんな半日常的にあった事案だが、センター長の声色がいつもと違った。

「で、何があったんですか?」

『高速道路で工事に必要な資材を運んでいたミキサー車がジャックされました』

「ジャック?」

 ジャック、だと? なぜ、何が目的で。

 そんな未曾有な事態に俺は耳を疑う。

『ジャックしたのは──盛城もりしろ支所です』

「盛城ぉ?」

 盛城支所──東北地方一帯を管轄する自主奉仕センターの支所。

 奉仕員の抗議活動やデモが活発化していて、本部も手を焼いている過激派だ。

 原因が身内と分かり、つい口を尖らせる。

『現場は近くのインターチェンジ付近です。至急急行してください』

「了解です。……ったく」

 その指示を聞くなり、俺は現場で働いている奉仕員一同に叫ぶ。

「みなさーん!! センター長から『差し入れ』が届きましたー!!」

 その瞬間、一斉に奉仕員たちが各々取り掛かっていた作業を中断し、目の前に集う。

「ミキサー車が盛城にジャックされた。現場に急ぐぞ」

「はい」

 そして再び隊列を組み、歩み始める。

 一体何を考えてやがるんだ、盛城のやつら……。


 現場には十数分で着いた。

 片側2車線の高速道路に出来た渋滞。

 その先頭車は、普通に走行するにはありえない向きで停車していた。

「完全に塞いでんじゃねぇか……」

 自主奉仕センターと色彩豊かなロゴの入った軽トラック。

 その後ろにミキサー車数台が列を成している状況だった。

 そのさらに後ろからは一般人の乗用車からのクラクションが聞こえている。

「お前たちはインターチェンジの通行止めと後方車の誘導をしてくれ」

 淡々と指示を送り、三角コーンや灯火を持った奉仕員たちが向かうのを確認した。

「おい、待ってくれよ」

「……何だ」

 一部の奉仕員を除いて。

 残っていたのは例の中高生たち数名。

「拘束されたと思えばいきなりこんな労働させやがって。てめぇ何様なんだよ……!」

 そのうちの男1人が前に出る。

「所定の任務を行え」

「だから、てめぇはさっきから何様の──」

「待て」

 怒り心頭に発した男が首元を掴むより先に。

「お前たちか──盛城支所」

「お、若者数名がわざわざお出ましに来たか」

 軽トラックの運転席から降りてきた、20代くらいの青年。

 無彩のグレーの作業服と対比に、金縁の丸眼鏡が際立つ。

 どこか澄ました顔をしていて、その姿は文豪チックにも感じられる。

「よくもまあこんな面倒なことさせてくれたな」

「こうでもしないと会う機会なんて無いからね」

「会う機会?」

「こっちはご老人が多くて退廃的な空間でね、息苦しかったんだ。比較的都心部に位置する渋塚支所は若者が多いと聞いてね。やはり若者の居る空間は新鮮で美味い空気だ。君たちを食べてしまいたい」

「初対面の相手にいきなりカニバリズム宣言をしないでくれ……」

 先程まで反抗心を強めていた中高生たちも、あまりの発言にドン引きしていた。

 なにが文豪だ。変態じゃないか。

「で、本題は何だ?」

「今こそ声をあげるべきじゃないのか?」

「は?」

 ずっと何を言っているんだよ、お前は。

 そう言おうとした矢先、青年は真っ直ぐ俺に視線を向ける。

「ここで声をあげなければ、君たちは永遠に奴隷だ。死ぬまで君たちはこんな政府の小芝居に踊らされるのか?」

「まさか、お前らは本部に今から刃向かうつもりか?」

「そこまで勝算の無い負け戦はしないさ。年月をかけて下ごしらえをして、来たる時を待つ」

 その目は、さっきの軽口の時とは違って真剣そのものだった。

 抗議活動もその下ごしらえの一種というわけか。

「俺たちは犯罪者だぞ? 身勝手にも程がある」

 そんな言葉にも動じず、青年は堂々と答えてみせる。

「ああそうだ。僕たちは仮にも犯罪者だ。だがそれ以上に僕たちは人間だ」

 薄暗い冬の雲がいつの間にか太陽を覆いつくし、青い空を塗り潰していく。

「犯罪者にも罪を犯すバックグラウンドがある。金が無かったから。虐められたから。親から愛されなかったから。むしゃくしゃしたから」

 重苦しい雲の絨毯が、俺たちの心を深く沈ませる。

「戦争は不幸になるからやめようだなんて言われているが、その戦争にだって原因がある。自国の皇太子が殺された。自国の民族の解放をするため。その根本を解決しない限り、戦争はなくならない」

「……」

「政府が行っているのは、原因を見つけて改善する根本的な解決ではなく、犯罪者と一括りにして現代社会から断絶する一時的な解決だ。そうだろう?」

「そうかもな」

 息が苦しい。

 肺に鉛でも入ったような、そんな重みがずっしりとのしかかる。

 早くこの空気から逃げたい。

 逃げたい。

「僕には視える。この世界に打ちひしがれて絶望に染まった君の瞳の奥に眠る炎。外からは見えないぐらいの小さな炎が、消えることなく宿っている。君も何かへの怒りを抱いている」

 俺の心の中を覗くように話す、この気味の悪い青年から。

 この手の内から逃れたくて、空気を切り裂くように冷徹な声で告げる。

「もう話は良いだろ。俺たちはお前らの活動に手を貸すつもりもない。お前らの好きな様にすれば良い。だが邪魔はするな。これ以上支障を来すような行為を続けるなら本部の現場派遣を要請する」

「……そうかい。君には期待をしていただけに、残念だ」

 意外にも青年は潔く手を引き、車線を塞ぐように停められた軽トラックを動かすよう、周囲に命令し出した。

「後ろの若者たちにも言っておこう。この不条理な世界を変えたいと思うなら、いつでも連絡をしてくれ。電話番号はセンター内の資料やパンフレットに載っているからそこに」

 俺から視線を外して背後の彼らにそう告げ、青年率いる盛城支所の奉仕員たちは軽トラックに乗り、高速道路を勢いよく駆けていった。

「とんでもねぇ爆弾を残しやがって……」

 背後の中高生たちを見る。

 遠く遠く進んで徐々に霞んでいく軽トラックの姿を、じっと見つめていた。

 彼らに植え付けられた思想は、これからの作業への反発に繋がり、同じように崩れていくのだろうか。

 そうなれば、自主奉仕センターの機能はもう──。

 後ろから一連の作業を終えた一同が帰ってくる。

「事案が終結した。インターチェンジを再開通し、作業に戻るぞ」

「はい」

 またかよ、と誰かがぼやきつつ、また再開通に向け引き返していく。

 太陽は雲の隙間から姿を現し、再び俺たちを照らし出した。


 「そうですか、盛城の連中がそのようなことを……」

「その影響により再開発工事は予定より半日ほど遅れています」

「半日なら他の支所の派遣をすれば工期は問題なく進むでしょう」

「それに加え、新入りがその思想に感化されて作業への反発を行うことも懸念されます」

 最上階に位置する所長室に、厳しい西日が差し込む。

 それを見かねてセンター長はブラインドを下げる。

「新しく加入した中高生たちは罪を犯していない人ですから、扱いも難しいでしょうしね……」

 厳しくしすぎると強い反抗心を持たれるが、優しくしすぎても結果センターの権力を弱めることになりかねない。

 非常に難しい問題に俺は対面しているわけだ。

「これだからこの制度には反対だったんですよ。いくら人員が不足しているからといってこんな表面的な解決をしても意味なんて──」

 文句混じりにそうセンター長に説いた時。

 思わず口元を塞いだ。

「どうしたんです?」

 湯気の立ったコーヒーが入ったカップの取っ手を握ったまま、センター長は話を止めた俺を見つめていた。

「……生産性の無い文句を言ってしまいすみません」

「良いですよ、別に。私でよければいつでも話は聞きます。それを聞いて私がどうこうすることは恐らく難しいですが」

 あの青年と全く同じことを言おうとしていた自分に悪寒がした。

 君も何かへの怒りを抱いている──。

 あいつに、俺の何が分かるって言うんだよ。

「報告は以上です。失礼しました」

 平沼さん、と背中に投げられた言葉に返すこともできずドアを閉めた。

「はぁ……」

 もはや癖になってしまった溜息も、今日だけですでに何回目だろうか。

 コンクリートに嵌め込まれたガラスの向こうでは、太陽は山に隠れ、空は黒紫に染まりつつある。

「寝て忘れられたらいいんだが、な」

 そんなことを言いながら階段をリズミカルに降りていく。

 無理やりでも自分を鼓舞しないとやってられる気がしなかった。

 踊り場に着き、手すりを使って器用にターンした後。

「っと」

「あ」

 人に衝突しそうになって、なんとかサッシに足を引っ掛けて止まる。

 一言謝ろうと相手に視線を合わせると。

「げ」

 渋塚の青髪が目の前に居たのだ。

「げ、とは何ですか。私が嫌いなんですか」

「いや、あの、その〜、渋塚の青髪が君だったんだなー、って」

「……はい?」

 言っている意味が分からないとでも言うように、彼女は眉間に皺を寄せる。

「と、とりあえずまとめて話したいから屋上に来てくれないか」

 焦った勢いで俺はそんな言葉を口にしていた。

 

 「まさか、こんな所で会うとは思わなかったな」

「思いたくありませんでしたけどね、こんな刑務所みたいなところで働くことになるなんて」

 屋上のフェンスに寄りかかる俺に、一歩下がって立つ渋塚の青髪──もとい柏田 明莉。

 彼女自身その名称で呼ばれていることを知らなかったようで、教えると不服そうな表情を見せていた。

「柏田が非幸福享受対象になるとはな。心当たりとかあるのか?」

「あったら今こうやって怒っていません」

「……そうだよな」

 俺らのように明確な犯罪の証拠もなければ、納得も出来ないだろう。

 いきなり日常生活を奪われて社会不適合だなんて言われたら俺だってキレる。

 罪なき中高生たちに何かしてやれることが無くても、彼らの心に寄り添うことだけでもしてやりたい。

「あの──」

「この世界は、間違ってると思います」

 彼女から紡がれたその言葉。

 その芯の通った声に、俺は思わず彼女の方に振り向く。

「全国民が幸せな世界を作るんじゃなかったんですか。なぜ私たちはこんな危険な仕事をしているんですか」

「それは……」

「本当に全国民が幸せなんですか。辛い思いをしながら生きている人を隠して、それで全員が幸せだとでも言うんですか。そんなの、あんまりです」

「……俺たちはそれだけのことをしてきたんだよ。罪を犯しただけ償うのが当然だろ」

 冬の夜の寒気が、無防備の頬に刺さる。

「でもあなたは怒りを抱いているんですよね。その考えとは矛盾してます」

 皮膚から体内へ、冷気が入り込んでくる。

「良いんだよ、もう」

 風が突然強く吹き出す。

 フェンスはきぃきぃと悲鳴を上げながら揺れ、今にも崩れそうになる。

 ──俺の中の灯火も、この風で消えるのだろうか。

 なら、それでいい。

 彼女の横を、顔も見ることなく通り過ぎる。

「逃げるんですか。そうやってこれからの人生でも」

 通りすがりに聞こえた声にも返さず扉へ向かい、ドアノブを握る。

「苦しい現状を変えようとしない、そんな人が――私は嫌いです」

「……そうか」

 扉を閉める。

「苦しい現状、か」

 俺にとってはもうどうでもいいことだ。

 何もしなければ、それ以上の苦痛は味わうことはない。

 何かするからより苦しまねばならないことがあるなら、もう何もしなくていい。

 殺風景な灰色の壁をしばらく見つめ、階段を降りる。

 コツ、コツ、と硬く冷たい足音だけが廊下に響いた。

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