第二章 ひとりぼっちのエルシエル【17】
――――はずだった。
ドスン、暗い部屋に重量感を伴った音が響く。
その音を立てたのは、暗い部屋にぼんやりと浮かぶ明かりの主。
カンテラとナイフを持って、豪奢なドレスを見に纏った黒髪の少女だった。
恐ろしい程に美しい白肌に光を反射させる彼女は、背丈から推測するに七か八くらいだろうか。
彼女は立っていたテーブルを飛び降り、太もものナイフケースにナイフをしまう。
それから、自分がたった今切り落とした縄に首を括っていた少女に挨拶をした。
「こんばんは、エルシエル。最悪な夜ね」
死ぬつもりだったエルシエルは無気力に地面に転がったまま、突如現れた少女にゆっくりと向き直る。
そして彼女の持つカンテラの眩しさに目を細めながら、問うた。
「だれ? なんで名前しってるの?」
「ふむ、何から答えようかしら……まずは、起きなさいな」
黒髪の少女はカンテラを地面に置いて、エルシエルの手を掴み体を引き起こす。
「あっ……」
上体を起こしたエルシエルは、小さく息を吐き、表情を変えずに謝罪を口にした。
「ごめんなさい」
その言葉は今から起こる不幸への
事情を知らずに自分に触れてしまった黒髪の少女の行く末に向けた言葉。
しかし黒い髪の少女は、優しくも妖し気に微笑んだ。
「いいえ、謝ることは無いわ。だって私は死にようが無いもの」
黒髪の少女は自分のスカートをまくり上げ、エルシエルの眼前に素肌を晒す。
それはまるで作り物のような白肌、
いや――――作り物そのものなのだ、彼女の関節部は明らかに人間のそれではなく、不思議な構造物が収まっている。
その部位の名は球体関節、要するに彼女は人形なのであった。
エルシエルは理解が追い付かないようで、呆けたように呟く。
「にんぎょう……なの?」
「驚くのも無理は無いわね、そこら辺も含めて自己紹介をさせて貰うわ」
彼女は腰を落とすと、文句一つつけられないカーテシーと共に、自らが何者かを語る。
「私の名はリタ、魔力で動く人形よ」
「まりょく……動く……」
聞きなれない原理を
「だからあなたの呪いの影響は受けないわ。生きていない物は殺せないもの」
首を傾げ自らを見上げるエルシエル、リタはみなまで言うなとばかりに口を開く。
「何故私が呪いの事を知っているか不思議なのでしょう? あなたの事をずっと見てたから、あなたが何かの魔法を秘めてることも呪われたことも知っているのよ――――でも、そんなことはどうでもいいわ」
リタは足元に転がっている切れた縄を拾い、エルシエルに問う。
「あなた、命を捨てるつもりなら、私にそれをくれないかしら」
不思議そうな表情を浮かべるエルシエル、リタの言葉が示す意味を図りかねているのだ。
「その命で私を愛して欲しいの。人形の
リタの言葉に耳を傾けていたエルシエルは、聞きなれぬ言葉に首を傾げた。
「あいする? って、なに?」
それは『蒐集家』だとか『人形性愛者』だとかそういった凝った言葉ではなく、『愛する』という、誰もが知っている――――いや、知り過ぎている筈の言葉への疑問符だった。
エルシエルの言葉に、リタが困った表情を浮かべる。
当たり前にある筈の感情の説明を求められたら誰だって同じ反応をするだろう。
口元に手をあてて考え込むリタ、しかし感情を言葉に起こすのは簡単では無かったようで、迷った末により直観的な手段を選択した。
「そうね……こういうことよ」
ぎゅっ、とエルシエルを包み込むように抱きしめたのだ。
ちょうど自分の胸のあたりにエルシエルの頭を置いて、両の腕で包み込むように。
それはエルシエルが無意識に求めてやまなかった、誰かからの抱擁。
しかし悲しいかな、それを欲していた心は既に壊れてしまっており、彼女がそれに何かを感じることは出来なかった。
彼女はリタの腕に抱かれたまま、眉根一つ動かすことなく答える。
「よく、わからない」
リタは、はっと息を吐いて胸の中の青髪を撫でる。
その手付きは母のように優しく、
優しく抱きしめ撫でながら、そっとエルシエルに呟く。
「なら、私が愛を教えてあげるわ。だから、いつか愛を返して
リタはエルシエルを腕から解放し、彼女に向かって手を差し出した。
「エルシエル、一緒に行きましょう?」
優雅に小首をかしげてみせるリタ、エルシエルは何も写さぬ瞳で彼女を見返す。
そして、リタの手を取った。
既に彼女に目的意識はなく、生きる理由すらない筈だ。そんな彼女が何故リタの手を取ったのかはきっと本人ですらわからないだろう。
リタはその小さな手を包み込むように握り、たおやかな笑みを浮かべた。
「嬉しいわ。とりあえずここから離れないと。ここは私達の居ていい場所ではないの」
リタは机の上に一生懸命手を伸ばし、自分が持ち込んだ服を引きずり下ろすと、エルシエルに差し出した。
「これを着て、エルシエル。捨てられていた物だけど許して頂戴。そんなドレスだと目立って仕方が無いわ」
差し出された服は大人物のコートとズボン、やけに傷んでいる。
だがエルシエルは見てくれを気にすることなく、あっという間に着替えを終えた。
「ふふ、初めての贈り物がこんな物でも許してくれるのね。似合ってるわ、エルシエ――――」
そこまで言いかけ、言葉を止める。
間髪入れずに再開された言葉の響きは、いやに愛おしげだった。
「似合っているわよ、エル」
リタは黒髪を揺らし、
朝日が照らす道を、二人の少女が行く。
一方は人の形をした虚ろ、もう一方は人間に似すぎた人形。
一方はぼろぼろの衣服を身に纏い、くすんだ青髪を風に弄ばれている。
一方は豪奢なドレスを着こなし、嬉しそうに黒髪を跳ねさせている。
今すぐにでも踊り出しそうな黒髪の彼女は、隣を歩む青髪の少女を見て微笑んだ。
「ああ、嬉しくて仕方が無いわ。今日は素敵な朝ね」
例え、先に待つのが破滅の類だったとしても、二人の歩みは止まらないであろう。
この二人に、安息の地など在りもしないのだから。
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