第二章 ひとりぼっちのエルシエル【15】

 ライアは口を開く、高笑いや愉悦が伴う事は無い、極めて静かな声だ。


「おい、愚妹。教えといてやるよ。この本には魔法が記されてる、使用者の命と引き換えにお前にお似合いな呪いをかける魔法だ」


 あまりにも落ち着きすぎた声は、一線を越えてしまった証拠なのだろう。


「良かったな、仇はこれで全員死んだぜ」


 その言葉と共に、青い光が本から湧き出る。

 やがてその光はエルシエルへと注がれ、彼女をぼんやりと覆う。

 そんな状況に在っても反応を返さぬエルシエル。ライアは彼女の襟首を掴むと、狂気の果てと言うべき笑顔を浮かべて、最後の言葉のろいを口にする。


「お前はずっとひとりぼっちのエルシエルでいればいいんだよ」


 途端、彼は血を吐いた、血の海を作る程に激しく、大量に。

 そして彼は、その血の海に溺れるようにして事切れた。


 理解が追い付かず沈黙するばかりだった周囲がざわめきだす、しかしその声のどれもが真実を理解するには至っていない、ライアが目の前でこの国の禁忌きんきを行使しただけでなく脈絡もなく事切れたのだ、魔法を理解する者でなければ現象の説明すら出来ないだろう。

 そんな中、エルシエルはのそのそと立ち上がり、地面に転がっていたブランケットを手に、街に向かって歩きだす。

 

 少し遅れて群衆ぐんしゅうの中から彼女を追う複数の足音、それは街に歩を進めるエルシエルに追いすがり、彼女の前に立ちふさがる。


「待てっ! 火を放ったのはお前だろう!」

 

 追って来たのは腰に剣を下げ軽装の鎧を纏った三人の男、この辺りの治安維持を行っている憲兵けんぺいだ。

どうやら一部始終を見ていたらしく、エルシエルが犯人であることを知っているらしい。 

 しかし彼女は関心を示さず、少し道を外れる形で憲兵達の横をすり抜けようとする。


「ちょっと待て!」


 憲兵の一人は慌てた様子で手を伸ばし、足を止めぬエルシエルの肩を掴んだ。

 途端に彼は膝をつき、苦悶の声をあげる。


「うっ……っぐ……ああうっ……」


 そしてそれと同時に、彼は胸を抑えた。

 彼は何が起こっているのか理解できないと言わんばかりの表情を浮かべて、エルシエルの肩を掴んだまま地面にくずおれる。


「お、おいどうした?」


 憲兵達は倒れた憲兵を揺すり脈を確認すると、血相を変えてエルシエルに向き直る。


「貴様っ、何をしたっ!」

 

 エルシエルを捕縛しようと伸びた二人の腕、しかしそれは彼女に触れた途端に、息を詰まらせて力なく地へと堕ちる。

 一瞬にして地に伏せた三人の憲兵、ただ一人残ったのはエルシエル。

 

 目の前で起こった不可解ふかかい極まる事象に、さしものエルシエルも足を止め、憲兵を眺める。

 彼等の表情を覗き込んでみると、眠るような穏やかな表情だった。

 だが口元に手をやれば、既に息をしておらず、眠るように死に至っていた。


「……」


 エルシエルは幼いながらも賢い子であった、目の前の不可思議な事象と意識の海を揺蕩たゆた言葉のろいを結び付けるのにそう時間はかからなかった。


『お前はずっとひとりぼっちのエルシエルでいればいいんだよ』


 つまるところ、ライアのかけた魔法のろいは『エルシエルに触れた人間を殺す』呪いであった。エルシエルから人を遠ざけ、ひとりぼっちにするための呪いであった。

 それを理解したエルシエルは、自分の前に倒れる憲兵達に空っぽな懺悔ざんげを吐いた。


「ごめんなさい」


 生まれてすぐに全てを奪われ、世界の全てから愛されず、望みもしない力で追い詰められた少女は、最後には死を振りまく存在へとなり果ててしまったのだ。

唯一幸いだったのは、エルシエルに自責の念で傷つく心が残っていなかった事だろう。

 彼女は再び歩きだした、壊れた心に残った唯一の望みと言えるかも知れない物の為に。

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