第二章 ひとりぼっちのエルシエル【12】
すっかり人々が寝静まった頃、雨上がりの夜道を少女は歩いていた。
しなびた青髪、雨を滴らせるドレス、生気を宿さぬ瞳、少女の名はエルシエル。
幽霊屋敷のかつて主だった貴族の娘で、現在は叔父の養子。
物心ついた時から彼女は愛されず、彼女に微笑むのは不幸ばかり。
義親からは冷たく扱われ、世間からは疎まれ、実の兄からは欲の捌け口として扱われる。
そんな彼女は屋敷に眠る過去の記憶を垣間見て、たった一言呟いた。
「許さない」
彼女は凍り付いた絶望を胸に、夜道を歩む。
目指すのは一体何処なのだろう、彼女の瞳は
月が照らす夜道を歩き続けた彼女がたどり着いたのは、自らが住む屋敷であった。
エルシエルは玄関の扉に手を掛け、開く。
彼女は玄関に備え付けられていたランタンを片手に、無人の廊下を進み、やがて屋敷の北に位置する部屋の前で足を止めた。
その部屋は大きな本棚をいくつも備えており、部屋の中心には大量に紙の資料が積まれた厳かな仕事机が置かれている。
ここは継父の書斎、彼が書類仕事をする時に使っている部屋だ。
エルシエルは手当たり次第本棚から本を引っ張り出し、床にばら撒く。
それらで床が埋まると、足の踏み場もないそこにランタンを力いっぱい叩きつけた
パリン、ランタンが破損し、油と炎が床に飛び散る。
狭い空間から解放された炎は、本という舞台の上で嬉しそうに踊り狂った。
エルシエルは炎の
そうしてくたびれたベッドから小さなブランケットを回収し、抱きしめる。
きっとその思い出だけは、その愛の残骸だけは、火にくべられなかったのだろう。
ブランケットを手にした彼女は、玄関を抜け、屋敷を見上げる。
書斎という打ってつけの場所から発火した炎は、湿度の高い空気をものともせず他の場所へと
エルシエルはそんな炎を、静かに見守る。
しばらくすると、よく聞き知った女の悲鳴が何処かから木霊し、やがて炎の勢いに消えた。
次に、必死な形相で窓に張り付く継父と目があった。
屋敷の外にエルシエルが佇んでいるのを発見した継父は必死に何かを訴えるが、窓を挟んでいるせいで声は届かない。
エルシエルはその様子をぼうっと見つめる、仇を嘲笑うでもなく、愉悦に浸るでもなく。
継父は焦り、より激しく窓を叩き、大声でがなり立てる。
けれどエルシエルは動かない、やはりただ見返すのみ。
観察に徹する不気味な養子に、迫りくる火の手、いよいよ恐怖が最高潮に達したのか、継父は半狂乱で窓を殴打し、鬼気迫る表情でエルシエルに訴えかけてくる。
しかし、継父が死の瀬戸際に立たされようとも、養子の少女は沈黙したままだ。
窓を叩く継父の動きが、時を経るごとに緩慢になって行く。
動きがぎこちなくになるにつれ、継父の表情は苦しみと
直後に部屋の窓が熱で割れ、炎が吹きあがる。継父の火葬は呆気なかった。
継父は死に、継母も死に、こうして、エルシエルの復讐は終わりを告げた。
屋敷の周囲はそれに巻き込まれた人々の
「おい! 愚妹! この状況を説明しろ!」
その足音の主はライアだった、着の身着のまま逃げたようで、寝間着を着たままエルシエルに掴みかかる。
エルシエルは望まれたままに、彼の問いに答えた。
「わたしが火をつけた」
その回答の意味するところがわからなかったのか、いや、わかりたくなかったのか、ライアは呆けた表情を浮かべた。
「……は? もっかい言えよ」
「わたしが、火をつけた」
その言葉がライアの鼓膜を再び震わせた途端、エルシエルの小さな体が跳ねた。
「がっ……ふっ……」
口から奇怪な音を発して、地面に叩きつけられるエルシエル。
「っ……! て、っめえ! ふざけるなよっ! 何てことしてくれてんだっ!」
エルシエルは何も言葉を返さない、髪を振り乱したまま地面に寝そべるばかり。
「なんか言えよっ! このゴミがっ!」
ライアはエルシエルに馬乗りになると激情のままに拳を振り下ろす、一回ではなく、幾度も、幾度も。
「死ねっ! 死ねっ! 父さんと母さんが無事じゃなかったらお前の首を斬り飛ばしてやるからな!」
どれだけ痛めつけられようがどれだけ罵倒されようが、エルシエルは抵抗のそぶりすら見せない、そんな態度に反比例するようにライアの怒りの炎は激しく燃え上がっていく。
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