第二章 ひとりぼっちのエルシエル【11】

 エルシエルは重い足を引きずるようにしながら、屋敷の玄関の元へ立つ。

 時間を経たお陰か、雨を避けたがる程度には平静を取り戻しているのだ。

 だが、瞳の奥に覗く生気は最早消えかけていた。彼女の生命という名の火が、人生の苛烈なる豪雨に消されかかっているのだ。

 

 きぃっ、錆び切った蝶番ちょうつがいの音と共にエルシエルは幽霊屋敷の内部へと足を踏み入れる。

 ほこりっぽい空気を充満させた屋敷で、最初にエルシエルを出迎えたのは優しい光だった。


 それは玄関の壁にはまっている緑色に光る石から放たれる光。夜の玄関を照らすために用意された、空気中の魔力に反応して光を発する装飾品だった。。

 その光を頼りに周囲を伺うと、玄関の正面に飾られている一枚の絵画に目が行く。


 それは家族の絵画だった、場所からしてこの屋敷に住んでいた者たちの肖像しょうぞうだろう。

 絵画に描かれているのは厳格ながらも優しさのある表情をした黒髪の男と、零れそうな程の愛を湛えた笑顔を浮かべる青髪の女、そしてその女は自分と同じ髪色をした赤子を愛おしそうに抱いている。


「いいな、羨ましい……」


 幸せの具現のような家族の絵画に惹きつけられるエルシエル、絵画を見つめる表情は今にも壊れてしまいそうだ。

 心ここにあらずといった様子のエルシエルの耳に、誰かの声が届く。


 ここは廃墟であり誰も住んではいない、あり得ざる声だ。

けれど、エルシエルはその声を聞いていた。いつのまにか瞳に文様を浮かべて。


 暗闇に声が響く。


「おかえりなさい」


 玄関に佇むエルシエルを迎えるかのような、柔らかい女性の声。

 だが勿論それはエルシエルに向けた物ではなく、過去の誰かに向けたものだった。

 声をかけられた本人であろう、仕事の疲れをにじませた低い男の声が答える。


「ただいま。あの子は元気にしてるかい?」

「それはもう! 今日なんて初めて笑ってくれたのよ」


「いいね、僕も聞いてみたいよ」

「きっとあなたも聞けるわ、笑う事が出来るようになったのがよほど嬉しいらしくて、よく笑うんだもの」


 言葉はそこで途切れ、激しく振り続ける雨の音が意識の内へと現れた。



 

「なに……この、感覚……」


 その幻影の声を聞いたエルシエルは説明のつかない感覚に襲われていた。人生で味わったことのないそれは、彼女に奇妙な感情をもたらした。

 彼女はその感情に誘われるように半ば無意識に屋敷の奥へと足を踏み入れる。


 暗闇に目を慣れさせながら屋敷を進むと、少し手狭な部屋に辿り着いた。

 その空間の中心には大きな物体があり、その周りには何かが転がっている。


 大きな物体に近づくエルシエル、触ってみるとそれは硬い木のような感触を返す。

 次に周辺に転がる物へと手を伸ばすと似たような感触に、知っている形状。

 それらの位置関係を統合し、闇に隠されていただけの簡単な結論へと至る。


「椅子と……机……」


 どうやらここはリビングであるらしかった。


「ここ……ふしぎ……」


 部屋に何かを感じ、ふらふらと歩くエルシエル。

 こつん、何かに足を引っ掛けた感覚を覚える。


「なんだろ、これ……」


 それは丸い輪郭りんかくの何か、触覚を駆使して正体を探ろうと腰を落とすエルシエル。

 転瞬てんしゅん、未だに制御の聞かない力が発動する。

 エルシエルの虹彩に文様が浮かび、世界が風景を変えた。

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