第二章 ひとりぼっちのエルシエル【10】

 継父と客人達は女性の反応に大盛り上がりで彼女に気づく様子はない、エルシエルの目論見は見事成功し、近くにある料理が盛られた銀盆を手にする。


「やった……!」


 嬉しさのあまり小さく呟くエルシエル、銀盆にこれでもかと盛りつけられた料理はぜいを尽くしたもので、美食の香に満ちていた。


 後は部屋に戻るだけだ、銀盆を持ったまま、足音を殺して出口へと向かう。

 しかし、運命は彼女のささやかな反抗すらも許さなかった。


「おい、愚妹。なに俺の料理を盗もうとしてんだ?」


 がしゃり、銀盆が音を立てて跳ね、料理が地面にぶちまけられる。

 荒い息を吐いて震えるエルシエルの視線の先には、不機嫌そうに顔を歪める赤い髪の少年、ライア。


 落とした際に銀盆が奏でた高音でエルシエルの存在が周囲に露見し、ざわめき立ち始める。


『あの子供って……』『呪い殺されるっ!』『魔法使いだ……!』


 継父も遂にエルシエルの存在に気づき、コレクションを運搬した使用人二人に怒り狂った声をあげる。


「おいっ、ふざけるなっ! なんであいつがここに居るんだ! いつも鍵をかけておけと言っているだろう!」

『『も、申し訳ございません!』』


 顔を真っ青にして、深く頭を下げる使用人。主の怒りが余程怖いのか、女の使用人の方は震えて涙を流してすらいる。


「もういい、お前は下がってろ! お前はクビだ! 衛兵、そいつを捕まえろ!」


 継父は男を下がらせ、女を仕事から追い出すと、怒声で衛兵に指示を飛ばす。

指示に従い、エルシエルに群がるように四方より衛兵が現れる。


「や、やだっ!」


 恐怖に駆られ、青い髪を振り乱して逃走するエルシエル。

 何とか部屋を抜け出すが、廊下にいた衛兵たちが追走してくる。


「ごめんなさいっ、許してっ!」


 大柄な衛兵に追われるという恐怖におののき、叫びに喉を枯らしながら必死に逃走を続ける。

 そうして玄関に辿り着くと、丁度到着したばかりの客の集団の合間をすり抜ける形で、彼女は転がるように外へと飛び出した。


 日は既に沈みかけていて、空には重たい雲が泳いでいる、しばらくすれば激しい雨が打ち付けそうな天候だ。

 エルシエルは立ち並ぶ客の馬車の間を抜け、曇天どんてんの元をただがむしゃらに走る、走る。


 それはどうしようもない現実からの無意味な逃避、全ての人間が多かれ少なかれ行っていることであり、彼女も正にそれであった。

 エルシエルは、自分が何処にいるのかもわからないままにただただ疾走する。

 

 横腹が割れそうな程痛くとも、激しく咳き込もうと、道が闇に満ちようと、一心不乱に走った。

 何故自分だけがこんな目に合うのだろう、何故自分は追われるのだろう、理不尽への鬱憤うっぷんや悲しみで感情をぐちゃぐちゃにしながら、夜道を踏みしめる。

 

 だが、悲しいかな、現実からは逃げきれないのだ。

 がりっ、靴が石畳に引っかかり、直後に地面に投げ出されるエルシエル。


「いっ……あっ……」


 倒れ伏したまま、エルシエルは体を打った痛みでうめく。

 ぽつりぽつり、やがて降り始めた雨が力無く震える彼女の体を打つ。


「……わたしだって祝って欲しかった、わたしだって美味しいごはんが食べたかった……わたしだって……うううっ……うああああんっ!!!!!」


 彼女に庇われ雨に晒されぬ筈の地面に斑点ができ、やがて大きな染みとなる。

 それは激しい雨のせいであろうか、それとも、彼女の感情の現れであろうか。

 雨は更に激しさを増すが、その音や寒さはもはや彼女の意識にはなかった。


 日が完全に沈み、雨が更に激しさを増した頃、倒れ伏して濡れるがままであったエルシエルはのそのそと起き上がる。

 寒さに体を震わせ、腫れた目で周囲を伺う。がむしゃらに走ったせいで自分がどこにいるのかもわかっていないのだ。


 力なく周りを見回すと、大きな廃墟と、荒れ果てた道があるばかり。

 そこは人の立ち入らぬ街の外れであった、人家も店も無く、あるのは屋敷の廃墟だけ。

 それは街の子供達に『幽霊屋敷』と称される、曰く付きの貴族の屋敷であった。

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