第二章 ひとりぼっちのエルシエル【7】


 エルシエルを取り巻く全ては、町長の葬式に連れられたあの日を境に悪化した。

 屋敷からの自由な外出は禁止され、教育は遥かに厳しさを増した。

 仕方が無いのだろう、エルシエルが魔法使いとなってしまった以上、エルシエルを政略結婚の道具にするのも難しくなる。


 それ故、エルシエルを軟禁したのだ、世間の記憶を風化させるために。

 けれど彼の怒りは収まらず、その感情は教育の皮を被った虐待へと向かった。それによりわずかな休憩時間を除いて、エルシエルは椅子に縛りつけられることになった。


 エルシエルの現状は悲惨としか表現しようがなかった、小さな身の丈に合わぬ苛烈な教育を施され、心身ともに疲れ果てて自室に戻ればライアの欲を受け止める人形として使われる。


 外に出て辛い現状を逃避することすら許されず、苦しみを吐露できる友人や抱き留めてくれる親は存在しない。

 この青髪の少女が何をしたというのであろうか、何も持たぬ彼女には最低限の幸せすらなく、不幸ばかりが降って湧く。


「疲れた、な……」


 時刻は夕方、斜陽しゃようが窓から差し込み始める頃。

 今日一日分の教育をこなし疲弊したエルシエルは、物置と見紛う程に狭い自室に置かれたくたびれたベットの上で、小さなブランケットに力無く寄り添った。


 その様子はまるで死んでいるようで、瞳の奥に覗く生気は弱々しい光しか宿さない。

 当然であろう、生命とは火なのだ、薪もくべられず風に晒されるだけでは弱くなって行く一方なのは自明の理である。


「……はあ」


 ベットの上でうごめく彼女は窒息しそうな溜息をついたあと、むくりと体を起こす。

 覚束ない足取りで猫の額ほどの窓に近づくと、その鍵を緩慢な動作で開錠し、ややぶっきらぼうに開く。


「……ふう」


 夕方特有の料理の匂いが混じった優しい風に充てられ、エルシエルは息を吐いた。

 息がつまる部屋に風が吹き込んだからか、多少なりとも穏やかになった表情で窓枠に顔を預ける。


 すると、寂寥感せきりょうかんを溶かしてくれる風に混じって女の子の声が二人分聞こえて来る。

 屋敷の四方は生垣と塀に囲まれているが、それを超えれば街道が通っている。そこを利用する子供の声だろう。


「……ねえ、この道使うのやめない? だって、この屋敷ってあの化物が住んでるんだよ?」


 声の高い少女が怯えた様子を見せると、少々低い声の少女が答える、声色からは少し怯えた様子が覗く。


「あっ! そうだった! ここってあの呪い殺そうとした魔法使いが住んでるんだよね!」

「早く行こ、私、呪い殺されたくないもん!」


 言葉を交わすうちに二人の足音の間隔が狭まり始める、自分達の言葉に恐怖を掻き立てられたのだろう。会話の声も上擦っている。


「私もぞっとしてきた……さっさと走って抜けちゃお!」

「うん、もしかしたらあの化物が見てるかも知れないも――」


 ばたん、窓が勢いよく締められ外の音が掻き消える。

窓を閉めたエルシエルは壁に寄りかかるようにして床に座り込む。


「う……ううっ……なんでっ、なんで……」


不意を突いて突きつけられた現実、勝手に涙が滲んでしまう。


「……わたしが何をしたの」


 葬式の場での仕打ちを毎晩思い出しては涙を溢すエルシエルは、記憶を何度も反芻はんすうしたことで自分が何をしてしまったのか薄々理解していた。

 しかし彼女が過去視エンデの力を望んだわけでは無く、誰かに害を及ぼしたわけでもない。


 だが、ライアに嵌められ、世界は容赦なく牙を剥いた。

 幸せの味すら知らぬ少女は、救いのない檻へと追い立てられたのだ。


「もう、こんな世界なら……いっそ――」


 暗澹あんたんたる表情で、空恐ろしい何かを口にしようとしたその瞬間――――ふわり、何処かから甘美な匂いが漂って来る。

 それはエルシエルがついぞ口にしたことの無い、家族が口にしているような食事の匂い。


 エルシエルは首を傾げる。普段この部屋でこのような匂いを感じたことは無く、窓も先程締め切ったからだ。

 ならば、この匂いはなんなのだろうか。


 一つの違和感に気づくと、やがて他の違和感も意識の表面に浮かび上がってくる。

 思えば先程から、靴音や音楽、それらに混じって笑い声や聞いたことの無い声が微かに聞こえてくる。


 屋敷に現れた変化は、渇き切って変わらぬ日常を過ごし続けるエルシエルを強く惹きつけた。

 エルシエルは誘われるように、少し隙間の空いていた部屋の扉へと手を掛けた。


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