第二章 ひとりぼっちのエルシエル【4】

 屋敷中に夕餉を伝える鐘が響き、エルシエルが遅れ気味に食堂に到着した頃には家族全員が揃っていた。

 エルシエルは長い赤髪をした黒目の女に睨み付けられ、萎縮しながら椅子に着く。

彼女はライアの母であり、エルシエルの継母ままははであった。


 エルシエルが到着するや否や運ばれてきたのは手の込んだ肉料理、ソースと肉汁のいい匂いが部屋に満ちる。

 作ったのはこの国でも有数の腕前の料理人で、遠くから仕入れた高級な食材がふんだんに使われている。


 スパイスや付け合わせの品質にも抜かりはなく、料理の盛り付けや使われてる食器も申し分ない。

 そんな、貴族の基準からしても間違いなく上質な料理が続々と運ばれてくる。


 それらは全ては継父ままちちと継母とライアのため。養子とはいえ同じ家系に属している筈のエルシエルにはソースの一滴たりとも与えられない。

 彼女の前に配膳されるのは手間をかけずに作られた簡素な料理、この屋敷で働いているシェフのまかない料理だけだ。


 かちゃかちゃ、ナイフが皿を擦る音が響く。

 やっとのことで肉料理を切ったライアはそれを口に運ぶと、感動を口にした。


「美味い!」

「そうだろう、良い肉だぞ。だから良く食べろよ、男は背丈が無ければ威厳に欠けるからな。それとソースがついてるぞ、拭いてやれ」


 ライアの父は母に顎で指示をすると、母はたおやかな仕草でナプキンを手に取りライアへの頬へ添える。


「おい辞めてくれよ、俺はもう大人なんだ、自分で出来る」


 母の手を回避しながら慌てて口のソースを拭きとるライア、口調に反して子供っぽいその動作に父が笑うと、母親も真似る様に笑った。

 笑い声に包まれた食卓、そのやりとりは三人だけで完結しており、その輪にエルシエルは含まれていない。


 暖かな環境も、舌鼓を打つような料理も、その全てはエルシエルの為では無いのだ。

 エルシエルが羨ましそうに一家の団欒だんらんを眺めていると、その視線に気づいた義母の穏やかな表情が一変、険しい顔で彼女を睨み付ける。


「なに、なに見ているの! もしかして同じ物が食べたいのかしら、卑しい養子の癖に!」


 彼女はエルシエルの羨望せんぼうの眼差しが料理に向けられていると思ったのだろう、癇癪かんしゃくを起したように顔を歪めて叫ぶ。


「お前みたいな奴に食べさせてやってるのに、文句があるっていうの!?」


 激昂する義母はエルシエルが口を挟む暇を与える事無く金切り声をあげつづける。


「ひっ……」


 この先の展開を恐れたエルシエルは顔を伏せカトラリーを手に取ると、料理の一つであるスープを掬って口へ運ぶ。

 自分の料理に手を付け満足しているのを装うことで怒りを鎮めようとしたのだろう、だがそれが事態をより悪化させた。


 恐怖からだろうか、エルシエルのスプーンを持つ手が震えて食器を擦ってしまったのだ。

 きっ、という甲高い食器の音が義母の耳朶を叩いた瞬間、義母は声にならない怒号を上げる。


 そのヒステリーはエルシエルへの暴力という形に結実し、エルシエルは椅子から転げ落ち殴られた腹部を抑えて呻く。

 義母は自らの夫や息子に感情を見せることは無いが、その分エルシエルに対して異常な怒りを見せる。それがエルシエルの脳裏に恐怖の象徴として刻まれてしまう程にこの光景は日常茶飯事だった。


 きっとそれは、首輪を強要される価値観への鬱憤うっぷん他人むすめにも押し付けたいのだろう。


「スープを飲むときは音を立てるなって何回言ったかしら! 言いつけに従えない女は嫁ぐことすら出来ないわよ!」

「ごほっ……かふっ……ご、ごめんなさい」


 咳き込み、緑の瞳の端に涙を浮かべながら、必死に頭を下げるエルシエル。


「でも、違うの、ただわたしも、おはなししたかっただけな―――」

「ふざけないで! あなたに喋る権利はないのよ!」


 エルシエルの言葉は届かない、義母の怒りはたかぶるばかりでエルシエルの襟元を掴んで無理やりに立たせる。


「卑しいお前を食わせてやってるのは嫁がせるためなのよ! なのにテーブルマナーすらろくに覚えられないなんて、そんなんじゃどこにも売れないじゃない!」


 この一家がエルシエルに嫌悪の感情を抱きつつも扶養ふようしているのは、つまるところその一点の為だった。

 賄いとはいえ料理を与えるのも、勉強を詰め込むのも、テーブルマナーを覚え込ませているのもより商品価値をつけるためなのだ。


 立たせた後に今度は頬への平手。エルシエルの青い髪が跳ね、涙の粒がきらきらと光って宙に消える。


「お前が良い暮らしをしてるのは親を失ったお前を私達が血のよしみで拾ってやったからなのよ! この恩知らずっ!」


 そして再びの平手、エルシエルは痛々しい悲鳴をあげる。

 なんの救いにもならないが、継父がエルシエルを商品として利用しきろうとしていたのは幸いだった。


 傷は商品価値を下げかねないからこそ、この程度の暴力で済んでいるのだ、本当にただの養子だったら今頃五体満足ではいられなかったに違いない。


「もういいわ! さっさと部屋に帰りなさい! お前の顔なんて見たくも無い!」




 物置と見紛うような自室に帰ったエルシエルは、力なくベットに倒れ込んだ。

心身共に渇き切った体が、ぐうう、と潤いを求めて鳴いた。


 夕食は結局一口たりとも食べられなかったのだから当然だ。


「お腹減った、な」


 空腹を自覚した途端、涙が澎湃ほうはいと溢れてくる。


「っ……!」


 最早それを止める術は無い、声を押し殺してただ耐えるしかなかった。

 エルシエルは力無い動作でベットの上で手を這わせ、隅に刺繍ししゅうのある小さなブランケットを手繰り寄せる。


 それは赤子のエルシエルが引き取られた時に揺り篭にあったブランケット。彼女はそれを抱きしめて涙声で呟く。


「お母さん、お父さん……どうして、居ないの」


 このブランケットはエルシエル本来の両親が残した品だった。

 誕生日を示すのであろう日付とエルシエルという名前を記した刺繍は確かな愛があったことを語っている。


「うっ……ううう……うああああん!」


 知らぬうちに失ってしまった温もりに触れてしまえば、最早声を我慢する事は不可能だった。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る