第一章 破滅を誘う白翼【10】

 一息に読み上げたリタは、エルシエルへと向き直り、目をぱちくりとさせた。


「……エル、なにしてるの」

「つかれた」


 エルシエルは埃積もる式場の床に横になっていた。おかげで長い髪は埃だらけでぐしゃぐしゃだ。


「なんでこう、あなたは時々突拍子の無い事をするのかしら……そんなところに寝転んではだめよ、埃だらけになってしまうわ。ちょっと待っていなさい」


 リタは肩を竦めて新聞を置き、周辺の散策へ乗り出す。

 参加者用の席、舞台裏、どこも埃っぽく清潔では無い。


 式場は全体としてみれば綺麗な廃墟ではあったが、どこまで行っても廃墟でしかない、清潔とはとても言い難い場所なのだ。

 リタは散策を続けるうちに植物が繁茂はんもする高砂席の床にテーブルクロスが転がっているのを発見した。


「これなら……」


 埃が堆積したそれを静かに捲ると、予想通りに綺麗な床が現れた。

 リタは満足そうに頷くと、手招きと共にエルシエルを呼ぶ。


「エル、こっちに来なさい」


 面倒くさいのか若干不服そうにしながら起き上がり、高砂席に昇りリタの傍に座り込むエルシエル。


「もう、こんな汚れちゃってるじゃない。ほら、背中向けて」

「……ん」


 リタはエルシエルの服についた埃を払い、髪の毛に絡んだ埃を手櫛で落としていく。


「まったく、手がかかるんだから」


 文句を口にしている割には、零れんばかりの笑みを浮かべており、世話を焼ける事が楽しくて仕方がないようだ。


「……エル、かわいいわ。好きよ」


 髪に手をやり、埃を取り除いてる彼女の表情は、美しい物を尊ぶかのようなものなのだ。


「もう大丈夫、終わったわ」

「……んう」


 リタは床にスカートを花開かせるように優雅な動作で座り、正座の体勢をとると、自分の膝を叩いた。


「エル、膝を貸してあげる。ここでなら横になっていいわ」

「わかった」


 エルシエルは言われた通りに綺麗な床に寝転び、リタの膝に頭を乗せる。

それから、無表情で呟いた。


「かたい」


 リタはエルシエルの言に、はっとして悲しそうな表情をした。


「……そうよね、人形の膝だものね。初めてだから、知らなかったわ」


 リタはエルシエルに出会うまで今まで誰にも膝を貸したことが無かった、愛されたことも、愛したことも無かったからだ。

 ただ人間の愛を羨ましがり、愛されたり愛することに恋焦がれるばかりだった。


 だから彼女にはわからなかったのだ、人間の愛情表現が人間の物であることに。

 彼女は人形でありながら心を持ち、自由意志で動くことが出来る、姿形や声も人間そっくりだ。


 だけど、そっくりどまりなのだ。

 肌は硬く、顔色は変わらず、命の灯火すら宿さない。


 まるで、風貌はそっくりなのに持つべき機能を失いきってしまった廃墟のようだ。

 リタはそれを自覚し、膝枕をやめようとした、だが。


「でも、好き……かも」


 エルシエルの思わぬ言葉、リタの顔は綻んだ。


「……曖昧ね。けど嬉しいわ」


 リタは微笑み、エルシエルを見下ろした。エルシエルもリタを見返す。

 エルシエルは不思議そうな表情で、リタはこれ以上ないくらいの幸せな表情で、しばらく見つめ合い、リタは口を開いた。


「……それで、この国が滅んだ原因なのだけど。この国の人たちは、現状を変えたくて努力して、そして実際に現状を変えた。けどその変化が原因で国が滅んでしまったの」


 リタの説明した概略を聞き、エルシエルは呟いた。


「……じゃあ、その人の努力は無意味だったんだ」


 その表情はいつもと変わらず無表情であったが、声の響きはどことなく寂しそうにも聞こえる。


「私はそうは思わないわ、あの人の努力に意味はあったわよ、そのおかげでエルがお腹いっぱいになれたじゃない」


 彼らにとっては良い結果ではないとはいえ、彼らの行動のお陰でこの国は滅び、そして滅んだからこそエルシエルが立ち入ることが出来、彼女はお腹を満たせた。

 きっと、そこに意味はあったのだろう。


「そういうものかな」

「そういうものよ」


 リタは難しそうな表情をするエルシエルを愛おし気に撫でながら、話題を変える。


「エル、気になった事があるのだけれど」

「なに」


「あなた、缶詰は過去を視て見つけたのだろうけれど、よくあれが食べ物だってわかったわね? 開け方も分からなかったくらいなのに」

「あの箱、運んでた人達が味の話してた。だから食べ物かなって」

「なあんだ、そんなことだったのね」


 聞いてみれば単純明快な理由にリタが肩を竦め、つられて思い出したことを口にする。


「そういえば結局、缶詰は回収してないわね」

「うん」


「じゃあ明日は鞄の入手と缶詰の回収ね、あと何かしたい事あるかしら?」

「べつに」


 エルシエルの無関心な言葉にリタが苦笑すると、エルシエルが大きな欠伸をした。

見ればエルシエルのまぶたは下がって来ており、うつらうつらとした表情をしていた。


「エル、眠くなってしまったの?」


 リタの問いかけにエルシエルはこくりと頷く、年相応な可愛らしい動作だ。


「こうやってると、なんか心地いい」

「エル、あなたは私をお母さんとでも思ってるのかしら?」


 くすくすと笑って冗談を口にするリタ、妙に上機嫌なのは思わぬ言動に嬉しくなったからだろう。


「……わからない。ふわふわって、ほわほわってしてる」

 彼女は否定も肯定もしない、ただ眠そうな表情で曖昧な表現を返すだけだ。

 人との関わり合いが薄かった彼女にとって、リタに対して覚えている感情を形容するのは難しいのだろう。


 漫然としたエルシエルの言葉に、リタのまつ毛が揺れ、髪がふわりと膨らむ、リタは動揺したのだ。


「あなた、それって……」


 疑惑の色を孕んだ声。しかし答える声はなく、それは廃墟に寂しく反響した。


「エル……?」

 

 気づけばエルシエルは夢の世界へと堕ちていた、一言の返答すら無かったのも道理である。

 警戒心の欠片すらない表情ですうすうと寝息を立てるエルシエルを見て、リタは諦観交じりに呟いた。


「……まさか、とは思うけれど」


 その声は誰にも聞かれる事無く、廃墟に虚しく消えていった。




 割れた窓から月光が照らしていた、二人の少女を。

 あどけない表情で眠る青髪の少女を、その青髪を優しく撫でる黒髪の人形を。


 廃墟の式場で、愛を誓う者達の台に在る二人を。

 虚ろになった箱に咲く二人だけの世界、純白のヴェール代りの月光。

それは言葉にし難いほど美しく、神聖で、そして、寂しい風景だった。

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