第一章 破滅を誘う白翼【4】



 からん、と空になった缶詰の音がした。

 エルシエルが三つ目の缶詰を食べ終え、重ねた音だ。


 その中身は桃の果実で、驚くべきことに腐っているどころか新鮮ですらあった。缶詰という技術は食品保存の観点において間違いなく革命的な技術だ。

 木箱の中の缶詰の山と睨めっこしながら缶詰を如何にして運ぶか考えていたリタは、その音でエルシエルが食べ終えたのを知り、振り返った。


「美味しかったかしら、エル?」


 缶詰の表面に描かれていた桃の絵を見つめていたエルシエルは、顔をあげ、小さく頷く。


「うん、美味しかった」

「そう、良かったわ!」


 無表情に頷くだけのエルシエルに対して、手を合わせて満面の笑みを浮かべるリタ。喜ぶべきはエルシエルな筈だが、リタの方が嬉しそうだ。


「ところでエル、持っていく缶詰を考えていたのだけど何か食べたいものはあるかしら」

「さっきの」

「そう、わかったわ」


 エルシエルの要望を受け、缶詰の山から桃の缶詰を取り出し、台に並べるリタ。

 並べられているのは桃の缶詰だけではない、肉を加工した物もあれば、スープの類もある、リタは栄養が偏らない様に持っていく缶詰を吟味しているのだ。


「エル、一つ頼んでもいいかしら?」

「なに、リタ」

「この建物を探索して鞄を見つけて来て欲しいの、今の私達では大した量は持ち出せないわ」


「わかった」

「無かったら諦めて良いわ、くれぐれもこの建物から出ないようにね」


 心配するリタの声を背に受けながら、エルシエルは厨房を後にした。


 こつこつこつ、と硬い床を歩く音がする。

 エルシエルは長く、色褪せた薄暗い廊下を歩いていた。

 リタの言葉に従い鞄を探している最中だ。


 その廊下には連続的に何本もの錆びた鉄棒で隔てられた個室があり、その個室の壁には採光さいこう用の小さな窓が開いている。

 それは明らかに誰かを閉じ込める場所であり、幼いエルシエルにもその正体は容易にわかった。


「ここって、ろうごくかな」


 エルシエルの予想は当たっていた。この建物は牢獄で、先程の厨房もその一部だったようだ。

 塀が高かったのもそういう理由だろう、今となっては正面玄関が朽ち果ててしまっており塀の意味はとっくに無いのだが。


「ん……なんだろう、ここ」


 エルシエルはふと、一つのぼうの前で足を止めた。

 その房は明らかに他と違った異様いような雰囲気を放っていた。


 おおまかな設備や見た目は他の房と同一なのだが、何故かこの房だけ器具が追加されているのだ。

 それは壁に堅く取り付けられた金具で、床をう鎖で、何かを留めておくための拘束具だった。


 この房にだけそれがあるのは何故なのだろうか、ここの房には他の収容者と違う誰かが収められていたのだろうか。


「……」


 この房に興味を駆られたエルシエルは無言で瞳を閉じ、


 開いた。

 

 それを境に景色は様相ようそうを変える、色褪せた壁は往年の色を取り戻し、鉄格子に錆びは見らず、突っ張った拘束具はその役割を果たしている。


 変わったのは景色だけではない、ただただ沈黙して光景を見つめるエルシエルの瞳にも変化が見られる。

 虹彩こうさいの部分にあやしくも美しい神秘的な文様もんようが浮かんでいるのだ。


 その瞳は特別な魔法使いエンデの証、それは生まれ持った異端の力。

 魔法使いは様々な事象に干渉できる存在であるが、全ての魔法使いがそうではない、まれに生まれつき狭い範囲の魔法しか使えない魔法使いが存在する。

 エンデと呼称されるそういった存在は、魔法の不自由と引き換えに特殊な魔法や体質を得る。


 星空に呼応し強大な力を得る者、意思とは関係なく常に毒を生み出し続けてしまう者、属性様々だ。

 そしてエルシエルもエンデの一人だった、身に宿った力は『場の過去を視る』魔法。


 彼女が願えば、彼女は過去の世界を垣間見ることが出来る。

 その力を発動し、彼女は知った。

 牢に捉えられていたもの、


 それははくよくだった。


 本来であれば大空を自由に羽ばたくはずのそれは、狭い牢で窮屈そうに垂れている。

 

 不相応な拘束具まで使って牢に繋がれていたのは、背中から白い翼を生やした灰色の髪の少女だったのだ。


 採光用の窓から差し込む光に照らされた白翼の少女はあまりに美しく、あまりに悲しい顔をしていた。

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