9 仮面の少女

 チュン、チュン


 翌朝、小鳥の囀りが聞こえてくる。

 薄目を開けカーテンの隙間から差し込む朝日に顔をしかめる。


「……朝か」


 俺はベッドの上で上半身を起こすと、大きく伸びをした。


 今日は土曜日なので学校は無い。


 なのでゆっくり寝ていても良いのだが、二度寝する気にもなれないので起きる事にする。


「さてと」


 顔を洗いに洗面所へ向かう。そこで鏡に映った自分の顔を改めて見ると、目の下にはうっすらと隈が出来ている。あまり眠れなかったせいだろう。


「はぁ……」


 俺は小さく溜め息を吐くと、重い足取りで廊下に出る。

 リビングからテレビの音が聞こえて来る。


 リビングに繋がるドアをゆっくりと開けると、そこには家族三人が勢揃いしていた。

 父さんと母さん、そして姉さんだ。


 母さんと姉さんは何やら賑やかに朝食の支度をして、椅子に座った父さんは静かに新聞を眺めている。


「おはよ」


 俺が声を掛けると、食卓に着いた父さんが新聞から顔を上げて「おはよう」と返してくる。


「……珍しいね、父さんがこんな時間に家にいるなんて」


「ああ、久し振りに休みが取れた」


 返事を返す父さんにふと思う。

 父さんの顔をじっくりと見つめるのなんて何時ぶりだろうかと。


時を遡ってからもまともに顔を合わせる事もなく、その前なぞ大学に入学してから結局一度も故郷に戻らなかった。


 時間軸的には違うのかもしれないが、体感で十数年振りに眺めた父は、やけに小さく感じられた。


「どうした?」


「……いや、何でもない」


 俺は誤魔化すように笑うと冷蔵庫から牛乳を取り出すとコップに注ぐと一気に飲み干し、空になったマグカップを流し台に置いた。


「あら、もう少しでご飯出来るから、ちょっと待てば良かったのに」


「うん。でも喉が乾いちゃって」


 台所に立つ母さんとそんな会話を交わすと、そこに姉さんが口を挟む。


「あら、良いじゃない。育ち盛りなんだから牛乳くらい幾ら飲んだって」


「どうかしらね? あんまり大きくなられても困りものよ?」


 そんな冗談を言い合いながら笑っていると、ふいにインターホンが鳴る音が聞こえてきた。


「あら、誰かしらねこんな朝早くに」


「私が見てくるわ」


 そう言って姉さんが玄関へと向かう。

 俺はそんな後ろ姿をぼんやりと見つめて、不思議な感慨に浸る。


(もう、これが当たり前の光景なんだよな……)


 あまり現実味のないそれは、何処かクレパスで描かれた絵のようにぼんやりと滲んで見える。


 そんな事を考えいると、またインターホンが鳴った。どうやら急かされているらしい。


 「はいはい」と呟きながらドアを開ける姉さんの声が微かに聞こえる。



 それから少しして戻って来た姉さん。

 姉さんは、何処かニヤついた笑みを浮かべ口を開いた。


「ゆう君。お友達よ」


「……え?」


 そうポカンと呆ける俺をよそに、姉さんの背後から姿を現した人物。


 よそ行きであろうワンピース姿のその人は、微かに頬を紅潮させて微笑む。


「おはよう、高田君」


 小林藍はそう言って、こちらに向かって軽く頭を下げるのだった。


――――


「申し訳ありません。

 こんな朝早くにお邪魔して、朝御飯までご馳走になってしまって……」


「あら良いのよ。

 でも驚き、祐希にこんな可愛らしいお友達が居たなんて」


 そう言って笑うのは、俺の向かいに座る母さん。


 俺は隣に座る少女をチラリと見やる。


(……これは夢か?)


 視線の先には小林さんが座っている。彼女はさっきから恐縮したように肩を縮こませて、どこかぎこちない動きでトーストをかじっていた。


(何でこんな事に……)


 俺は思わず頭を抱えたくなる衝動に駆られる。


 そんな俺の様子を見て、小林さんは申し訳無さそうな表情を浮かべる。


「ごめんね、高田君。迷惑だった?」


「……ああ迷惑だね。

 こんな休みの日の朝早くに一体何の用なんだ?」


 それを聞き、顔を俯ける小林さん。


「ご、ごめんなさい」


 蚊の鳴くような声で謝罪の言葉を述べる彼女を見て、母さんが慌てて口を挟む。


「祐希。そんな言い方したら駄目よ? 折角遊びに来て下さったのに」


 そう言って嗜めてくる母さんは、子供を叱る母親そのものだ。昔から俺達姉弟には甘い所がある母さんは、一度叱り出すとなかなか折れない頑固な一面があったのを今更ながら思い出す。


(仕方ないか……)


 俺は溜め息を吐くと、改めて横に座っている少女を見る。


 彼女は先程からずっと俯いたまま黙っているが、その口元は固く結ばれている。


「……それで? どうしたんだ? こんな朝早くに」


 俺がそう尋ねると、彼女は少し躊躇う素振りを見せる。だが、意を決したように顔を上げると口を開いた。


「実は……高田君に相談したい事があって……」


 そう言ってまた俯いてしまう小林さん。


(何を今更)と一瞬思うが、彼女の真剣な表情を見て思い直す。


「分かった。話くらいなら聞くよ。……後でね」


 俺がそう返すと、彼女はパッと表情を明るくする。


「ねえねえ、ところで学校でのゆう君ってどんな感じなのかなー?」


 姉さんがにこやかにそう言うと、小林さんの頬が微かに赤く染まる。


「え? あーっと……その」


 俺と父さんを置いてきぼりに始まった女性三人の会話。


 俺は内心複雑な思いでそんな小林さんの笑顔を見つめる。


 どうしても、その笑顔が俺にはまるで仮面のように見えて仕方がないのだ。

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