7 それは狂気を写すもの

【高田君へ】


 丸っこい女文字でそう宛名書きされた、ピンク色のファンシーな封筒が机の上に置かれている。

 その横に置かれたこれまた可愛らしい便箋。



 そこには、ただ短くこう書かれていた。


『お話があります。

 放課後、校舎裏まで来てください』


 差出人の名前は無い。

 だが、思い当たる人物は居る。

 もっとも、その人物はこんなまどろっこしい事はしないだろう。という確信もあるのだが。

 現にその少女は今も教室で、此方など素知らぬ振りで分厚い本を読んでいるのだから。


 なら登校時に俺の下駄箱の内にあったこれは何だ。

俺の自意識が過剰でなければ、どうにも告白の呼び出しに思える。


――だが。


「……誰の悪戯だ?」


 ありがちな話だ。


 友達のいないぼっち・・・など多感で無邪気で残酷な年頃の少年少女にとって格好の玩具である。


 引っ込みの付かなくなった悪ふざけか、あるいは陰湿な虐めの予兆か。

 どちらにせよ面倒な事に変わりはない。


 無視しても良かったが、後になって変な噂でも立てられては敵わない。


 もっとも、もし本当にそういう事態になったとしても、面倒なだけで大した問題ではないのだが。


 別に構わないのだ。

 学校の連中にどう思われようと、俺には関係ない。



 だがふと、小林さんの言葉を思い出す。


 俺のどす黒い肚の内を、更に煮詰めて飲み干そうとしているような、ネットリとしたあの笑顔と共に。


――私が貴方の物語の書き手になる。


 そう言う彼女に感じたのは、紛れもない反駁。



「……小林さん。俺は今この時も君の掌の上にいるのかな? ……試してみようじゃないか」


 俺は手紙を手に取ると、それをそっと鞄の中に押し込むのだ。


――さぁ、始めよう。


 これが喜劇なのか悲劇なのかは分からないが、幕は上がる。



 俺が望むとも望まぬとも関係なく。


――――


 授業が終わり、放課後。


 俺は指定された場所へ向かう。


 既に日は落ちかけている。

 夕暮れの赤い光の中、俺を出迎えるのは古びたコンクリートの塀。


 周囲には木々が立ち並び、辺りには人の気配も無い。

 まさしく、ドラマや漫画に出てくるような、寂れた雰囲気の校舎裏だ。


 だが、俺はそんな場所に特に感慨を抱く事も無く歩みを進める。


 目的地に着くと、そこには既に先客の姿があった。


「……来てくれたんだ」


 そこにいたのは一人の女子生徒。


 背丈は高くないがスタイルが良く、顔立ちは非常に整っている。

 長い髪をポニーテールで纏めており、少し吊り気味の目元は勝気に見えた。


 そして何より特徴的なのは、彼女の纏う空気だ。

 一言で言うのならば、自信に満ち溢れている。

 まるで、己こそが世界の中心だと言わんばかりの傲慢さと威圧感。


 俺は彼女を知っている。


 名前は確か、陣内真理亜。

 生憎同じクラスになった事はなかったが、同学年……いや学校中の人気者である。


 成績優秀で品行方正、スポーツ万能の才色兼備。

加えて子役としてテレビドラマ等で端役も務めたりしている、まさに完璧超人。


 俺の前世でも、中学高校と学校が別になっても噂が聞こえて来る程の有名人だった。


「……それで、用件は何だい?」


 俺が問うと、彼女は少し意外そうな顔をする。


「あれ、随分と落ち着いているね。もう少し慌ててくれると思ったんだけど」


「いや、驚いているさ。

 人気者の陣内さんが俺なんかに何の用かってね」


「……私の事知ってたんだ」


 少しおどけた様な俺の台詞に、彼女は僅かに目を細める。

 その瞳からは、僅かに此方を値踏みするような視線を感じる。


「そりゃあ勿論。陣内さんは有名だから」


「ふーん……」


 彼女はそう呟くと、何かを考えるように黙り込んでしまう。



 俺は手持ち無沙汰になり、周囲の景色に目を向ける。


 手入れのされていない草木が茂るそこは、まるでジャングルのようで。

 そのせいだろうか、どこか現実味のない風景に見える。


「ねぇ、高田君」


 不意に掛けられた声に、そちらに目を向ければ、彼女は真っ直ぐに俺を見詰めていた。


「何?」


「貴方はどうして、私が貴方をここに呼び出したか分かる?」


「さあ? とても不思議だ」


 俺の言葉に、彼女は口元を歪めて笑う。

 その表情はとても楽しげで、同時に酷薄なものを感じさせには充分だった。


 覗き込むものを全て吸い込む様な瞳は、まるで獲物を見つけた肉食獣のようにギラついている。

 だが次の瞬間、それはフッと消え去り、今度は悪戯っぽい笑みに覆い隠された。


 その変化についていけず、俺は思わず息を飲む。


 ――一体、何を考えているのか。


 俺が困惑している間にも、彼女の中では考えがまとまったのか、その瞳に再び強い意志を宿らせる。


「貴方にね、私と同じものを感じるの。

 世界の中心でただ一人、狂おしい程の渇望を懐いている。その感情は孤独で、冷たくて、苦しくて。そして、どうしようもなく心地が良い・・・・・でしょ?」


 ヒュッと心臓を鷲掴みにされたような感覚に襲われる。


 一瞬呼吸する事すら忘れてしまった。


 心地よい。

 確かにそうだ。


 俺は、姉さんという決して手に入らない存在に苦しむと共に安堵・・していたのだ。

 この苦しみから逃れられるなら、どんな事でもするという覚悟を持ちながらも。


「……ああ、そうかもしれないな」


 俺の返事を聞いた彼女は、満足げな様子で微笑む。


 そして、一歩ずつゆっくりと近づいて、


「高田君。私達きっと、似た者同士だよ。だから、仲良く出来ると思うんだ。

 友達になろうよ。――これからずっと」


と、甘い声で囁きながら俺の手を取ろうとしてくる。


 俺はそんな彼女の瞳から視線を外す事が出来ない。



 俺は思う。

 彼女は俺に似ているのだと。


 俺という人間の本質を理解した上で、その上で尚、俺に付き合おうと言っているのだ。


 小林さんは違う。彼女は俺とは決定的に、ナニかが異なる。


 だが、陣内さんは……そうじゃない。

 俺にはそれが理解出来てしまう。


 だからこそ、怖い。


 彼女が俺にとっての何になるのか分からない。


「ふふっ……大丈夫だよ。

 怖くない。怖くない」


 まるで赤ん坊にでも語り掛ける様に、優しい口調で彼女は近付いて来る。


「…………」


 その優しげな瞳は、俺には蛙を睨み付ける蛇のそれにしか見えなくて。まるで石にでもなってしまったかの様に身体が動かない。



――その時だ。


 彼女の手が俺の手に触れる寸前まできた時、突如視界を遮るように小さな影が現れる。


「そこまでよ」


 低く重たい声が響く。


 俺と陣内さんが弾かれた様に距離を取ると、そこにはいつの間にか一人の女子生徒が立っていた。


 彼女は鋭い眼差しでこちらを見ている。


「……小林さん」


 俺が小さくその名を呼ぶと、彼女は小さく肩を震わせる。

 だが、それも一瞬の事だ。


 すぐに彼女は冷静さを取り戻すと、あのどろどろとした熱を帯びた瞳で俺と陣内さんを交互に見遣る。


「……高田君は、渡さないわ」


「……誰? 何のつもり?」


 陣内さんは、不機嫌さを隠そうともせずに小林さんに問いかける。


 だが、それに対して彼女は答えようとはしない。

 その代わりに、じっと陣内さんの事を凝視している。


 まるで、何かを確認するかのように。


「陣内真理亜。悪くはない。

 けど、駄目ね。貴女は違う・・


 ブツブツと呟くように言う彼女に、陣内さんは眉根を寄せて怪しむ様な視線を向ける。


「何の話をしているの?」


「別に。ただの確認よ」


「確認?」


「えぇ、そう。でも、もういいの。

 くくっ……ねぇ、高田君?」


「……何?」


 突然話を振られ、俺は少し狼然としてしまう。


「……陣内さんが貴方に求めるもの。それが何だか分かる?」


「……どういう意味かな?」


「そのままの意味。

 ……それは単純な傷の舐め合いじゃないよ」


 彼女はそこで一度言葉を切り大きく息を吐くと、いきなりケタケタと笑い出す。


「ふふふ、あはははは! 陣内さんが求めているのはね……。ううん、これは言わなくても良いか。だってその方が面白くなりそうだもん!」


 そう言って笑う姿は、まるで新しい玩具を買って貰って喜ぶ無邪気な子供のようで。

 それでいて、全てを嘲笑うかのような邪悪さが滲み出ていた。


 その姿に、背筋が凍るような寒気を覚え、俺は思わず一歩後ずさってしまう。


 それを目ざとく見つけた彼女は、また楽しげにクスリと笑って見せる。


「あぁ、ごめんなさい。驚かせちゃったかしら?

 ふふっ、高田君のそういう顔、可愛いよね」


「お前は……」


「さっき言った通り、陣内さんは違う。

 だから、安心してちょうだい高田君。私は・・彼女に手を出さないから」


 彼女はそう言い切ると、踵を返して校舎の方へと歩いて行こうとする。


「……待ちなさい」


 そう声を掛けたのは陣内さん。

 彼女は驚く程に静かな口調で、小林さんを呼び止める。


「――何かしら?」


「貴女は、高田君の何?」


 その問い掛けに、小林さんは足を止めると、ゆっくりと振り返り陣内さんを真っ直ぐに見据えて口を開く。


 ――その瞳には、狂気にも似た歓喜。


「私は書き手。

 そこにある、けど触れられない願いを叶えるもの」


「……そう」


 二人は互いに視線をぶつけ合う。

 その瞳は酷く澱んで、それでいてギラギラと互いの姿を映し出している。


 それはまるで鏡のように。


「それじゃあ、私はこれで失礼するね。

 これからよろしく、陣内さん」


 そう告げた小林さんは再びクルリと身を翻すと、今度こそ校舎の中へ消えて行った。


 残されたのは俺と陣内さん。


 暫くの間沈黙が辺りを支配する。

 数秒か、それとも数分か。感覚の麻痺した俺には分からないが。


 ふと彼女は静かにこちらを振り返る。と、まるで人形の様な無機質な表情で俺を見た。


「高田君。

 私達、もう友達だよね」


 彼女はそれだけを言うと、俺の返事を待たずに歩き出す。


 俺は何も言えずに立ち尽くすだけで。


 彼女の姿が視界から消えるまで、俺はその場から動く事が出来なかったのだった。

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