5 絡みつく繰糸

 放課後、やって来たのは、街の山の手に建つ一件の豪邸であった。

 屋敷と言っても過言ではない程のその家の大きさに、俺は呆気に取られていたが、ここまで俺を連れてきた張本人は何一つ気負うこと無く呟いた。


「ここが私のおうち」


「へぇ……」


 玄関を開けて中へと入っていく彼女。俺はその後ろをトボトボと付いていく。


 広々とした空間。

 玄関ホールの天井にはシャンデリアが飾られ、床はピカピカの大理石が敷き詰められている。

 だが、どうにも寒々しいと感じるのは、俺達以外の人気が一切感じられないせいだけでは無いだろう。


「お父さんは仕事で。……お母さんも少なくとも夜までは帰って来ないから……」


 彼女は少しも感慨を滲ませる様子も無く、淡々と告げる。その無機質さは、彼女の心の内で両親というものがそこまでの重みを持っていない。

 その、現れなのではないだろうか。


「……」


 俺は黙ったまま、彼女の後に続く。


 案内されたのは彼女の部屋。

 8畳程の白を基調とした明るい内装の部屋。


 中央には大きな天蓋付きのベッド。部屋の隅には大きな本棚が三つ並んでおり、彼女の読書癖が窺える程の大量の本が収まっている。


 俺の視線に気付いた彼女が言う。


「物語なんて所詮は空想の産物でしかないけれど。

 でも、だからこそ誰かの、そうあれかしという願いが込められてはいると思うの。

 ページを捲りながら、それを読み取るのが私は好き」


「ふーん……」


「興味無い?」


「別に……」


 俺は彼女に背を向けると、窓の外を見る。

 まだ日は高い。少し太陽が傾いた程度だ。

 高台に位置するこの家の窓からは、俺の住む街が良く見える。

 淡くオレンジ色に霞む街を見下ろしながら、俺はぼそりと呟いた。


「いい景色だ」


「でしょ?」


 嬉しそうに微笑む彼女。

 俺は振り返らずに、そのまま言う。


「で、俺は何をすれば良いんだ?」


「え?」


「いや、だから何で俺を家に呼んだんだ? 俺は小林さんの暇潰しに付き合えば良いのか? それとも一緒に遊べば満足なのか?」


 キツい俺の言葉に彼女は戸惑う様見せずに、答える。


「……高田君って、感情がすぐに顔に出るよね」


「……え?」


 予想外の言葉に驚く俺。そんな俺を見て彼女はクスリと笑うと、詩でも吟ずるかのごとく朗々と続ける。


「特に、お姉さんが絡む事だとすぐに」


「…………」


 俺は何も言い返せない。

 それは図星だったからだ。

 俺の姉さんに対する気持ちを、彼女は知っているのだろうか。……いや、そもそも、本当に俺の感情が漏れ出ているのだろうか。


 だが、そんな俺の考えを読み取ったかのように彼女は言う。どこか楽しげに、そしてどこか寂しそうに。


「お姉さんがこの本を読んでた……って、嘘っぱちでしょ?

 あれは、本当は高田君が読んで思った事だった」


「それは……」


「……昨日の夕方からずっと考えているの。

 ――高田君。貴方にとってお姉さんはどういう存在?」


 それは、まるで俺の心の奥底にある、一番脆くて弱い部分を突くような質問。思わず叫び出したくなる衝動を堪えつつ、俺は言う。


「……何故、そんな事を?」


 絞り出すようにそう口にした俺。それに彼女は小さく息を飲むと、にこりと、どこか愉悦と優越を湛えながら、彼女は言う。


「言ったでしょ? 私は、そうあれかし、という感情を汲み取るのが大好きなの。

 だから、教えて? 高田君。貴方はお姉さんとどうなりたい? 何を、望むの?」


「俺は……。俺は……」


 言葉が出てこない。喉元まで出かかった言葉は音にならず、ただ掠れた吐息となって消えていく。


 そんな俺を見つめる彼女の瞳は、どこまでも澄んでいた。

 彼女は俺の答えを待っている。

 まるで俺の心を覗き込む様にして。

 全てを呑み込むように。


 俺はそんな彼女に向かって、ぽつりと呟く。


「俺にとって、あの人は、あまりに遠すぎて」


「うん」


「ただ、憧れで……。

 きっと、届かないもので……。

 きっと、俺なんかが触れちゃいけないものなんだ」


「うん」


「だから、俺に出来るのは、せめて遠くから眺める事だけで」


「うん」


「だけど、もし、もしも許されるなら……」


 俺はそこで一度言葉を区切る。そして、思い切って口を開いた。

 震える声で、それでもはっきりと告げた。

 目の前の、彼女の目を真っ直ぐに見据えて。

 今までの自分の想いを全て吐き出すようにして、最後に一言だけ。


「……俺もいつか、物語の主人公のようになりたい、な」


 俺の言葉を聞いた彼女は、一瞬驚いたような表情を見せた後、クスクスと可笑しそうに笑い始める。


「ふふふ、あはははっ! そうね、そうかも。やっぱり面白い、高田君は」


「……馬鹿にしてるのかい?」


「違うよ、褒めてるの」


 俺の問いに、彼女は心の底から嬉しそうな笑顔を浮かべて答える。


「ねぇ、知ってる? 人は誰だって主人公になれるんだよ。ただ一つ、願えばいいの――」


「「そうあれかし」、……と」


 彼女の語りと、俺の呟きが一つに重なる。

 彼女はその美しい顔に微笑みを張り付けながら、歌うように俺に告げた。


「私が貴方の物語の書き手になるわ。だから、私と一緒に居れば良いよ。

 これからも、ずっと……」


 それは感情の泡立った今の俺にはとても魅力的な提案で。



 ……だからこそその時。俺は、彼女の可愛らしいそれが、俺の唇に重なるのを、ただ黙って受け入れていたのだった。


――――


 彼女の部屋の中央に置かれたそれ。

 俺が押し倒された彼女のベットがギシギシと軋んだ音を響かせている。


 俺のにのし掛かる小林さんの身体は暖かく、甘い香りがする。


「……ん、ぷふぁ」


たっぷり数十秒。ようやく彼女は俺を解放して顔を離す。が、その表情は熱に浮かされた様でぼんやりとしている。


「どう? 私のファーストキスは?」


 その紅潮した頬を見て、荒い呼吸を整えながら、俺は彼女に尋ねた。


「なんで……」


「え?」


「何で、こんな真似をするんだ?」


 俺の問いかけに対して、彼女は少し考えこむ素振りを見せ、やがて悪戯っぽく笑って答えた。


「んー……、自分の書き上げる物語の主人公。それをよく知って、好きになりたいと思うのは当然じゃない?」


「それは……」


 確かにそうかもしれない。

 だが、俺は俺。彼女の操り人形ではないのだ。それに反発心を覚えるのは当たり前だろう。

 俺のそんな思いを察したのか、俺の耳元へと顔を寄せ、囁くように彼女は言う。


「楽になるよ。全部、私に任せてしまえばいいの」


 彼女の吐息が俺の首筋を撫でる度に、背徳的な快感がぞくりと俺の背中を走る。甘く優しい声が俺の脳髄を蕩かしていく。

 それは麻薬のような誘惑。

 気を抜けば、何も考えられなくなりそうな。


 ただの小学生が、本来であれば無邪気に表を駆け回っていてしかるべき年頃の少女が、何故ここまでの艶やかさを纏う事が出来るのか不思議でしょうがない。

 だが。


「――嫌だね。俺は君の人形にはならない」


 辛うじて首を横に振る。

 彼女を押し退けようと腕に力を入れる。だが、少女とは思えない程の力強さで彼女は俺を抱き締めていて、びくりともしない。


 俺の動きに、彼女はくすりと笑うと再び俺の顔を両手で掴む。そして、ぐっと俺の頭を引き寄せると、今度は強引に舌を入れてきた。

 先ほどよりも強く、激しく、乱暴に。

 互いの唾液が混じり合い、ぴちゃり、くちゅり、と淫靡な水音が響く。


「んちゅ……ぷはっ!」

「……はぁ、はぁ」


 俺達は互いに肩で息をしながら、至近距離から見つめ合う。


「ふふふ、キスって良いね。癖になりそう。

 でも、それは相手が高田君だからかな?」


「…………」


 俺は何も言えない。彼女の言葉が耳に入らない。

 目の前には、妖しく輝く二つの瞳。それが俺の心の奥底まで覗き込もうとしているような気がして。


「ねぇ、続き、したくない?」


 そう言って、俺の下腹部にさわさわと手を伸ばす彼女。


「凄く固い……、興奮してくれてるんだね」


 ズボン越しに与えられる刺激。

 だが、精神的な年齢差がある俺は、肉体的にはともかく精神的な情欲など、彼女に対して持ち合わせていない。俺は彼女を睨み付けると、冷たく言い放つ。


「止めるんだ、小林さん。

 こんなこと、許されない」


 俺の言葉を受けて、キョトンとした表情でくすりと笑った後、構わず俺の服に手をかけた彼女。

 俺は慌ててそんな彼女を突き飛ばした。


「――っやめろ!」


「……あっ」


 すると、今度は彼女も簡単に吹き飛び、ごろんとベッドの端に転がる。

 その拍子にスカートの裾が捲れ上がり、白く眩しい太股が露わになった。

 俺は慌てて目を逸らす。

 そんな俺の姿を見て、彼女は愉悦の混じった声で言った。


「……ふふっ、高田君ったら可愛い。

 ……でも、良いの?」


「……何がだ」


 俺の問いに、ゆっくりと身体を起こした彼女は楽しげに笑いながら答える。


「お姉さんに高田君に乱暴されたって言っちゃうよ?    

 ……そうしたら高田君、お姉さんに嫌われちゃうね?」


「――っこのっ」


 カッと、頭に血が昇る。

 だが、そこで少しだけ我慢して考えてみる。


 コイツは何故、こんなにも俺の精神を的確に揺さぶる言葉を吐くのだろうか。

 ……コイツは何故、ここまで俺に対して暗く粘ついた執着を見せるのだろうか。


 ――分からない。

 分からないが、どうにも気になるのは確かだ。


 俺は暫し、静かに彼女を見定める。

 その口元に浮かぶ微笑みは、まるで何かを待ちわびるかのようで。


 俺は――。


「はぁ……良いだろう。

 少しだけ、君のおままごとに付き合ってやるよ。

だが俺は君の人形になった訳じゃないからな。俺は、俺だ」


 ――俺は少しだけ。ほんの少しだけ笑みを浮かべてそう呟くのだった。

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