3 素知らぬ想い
「ねえ高田君」
全ての授業が終わり、HRを迎えた後の教室。小林さんがこちらへと歩いてきた。
相変わらず感情を読み取るのが難しい顔だ。
「……どうしたの小林さん」
「今日の放課後、時間ある?
あるなら少し、付き合ってくれないかな」
突然の誘いに面食らう。
この子はこんなに積極的だったろうか? いや。俺の知っている小林さんとは少し違う。俺の記憶が確かなら、どちらかと言えばもっと引っ込み思案な子だたったと思う。
「ダメ……かな」
と、小林さんの問いかけに、俺は反射的に応えていた。
「え、あぁ大丈夫だよ。今日は特に予定はないから」
「良かった」
俺の返事を聞くと、珍しく、彼女は心底嬉しそうに微笑み、踵を返す。
「じゃあ、一緒に帰ろうか」
「あ、ああ」
小林さんと共に学校を出る。
二人で並んで歩く帰り道。
夕日に照らされる町並みの、闇に沈みつつある藍色の天蓋を、カラスが鳴き声を上げて飛んで行く。
そんな、牧歌的でありながら何処か物悲しい街の通りを、影法師二つこさえて俺達は歩く。
本来は無かったはずの出来事。
彼女は無言のまま、俺の少し前を行く。
――気まずい。
何を話したら良いのか分からない。
子供の頃。昔は人とどんな話をしていたんだっけ? いくら考えても思い出せない。
そんな俺の様子に気づいたのだろうか、小林さんが足を止めた。
振り返り、俺の顔を見る。
彼女の表情は、無表情の内にもどこか申し訳なさそうな色が浮かぶ。
「ごめんなさい」
「えっと、何が?」
「私が無理に誘っちゃったから、高田君、困ってるんでしょ」
「いや、そんな事は……」
「いいの。気を使わなくても」
「……」
「……」
ふたたび、気まずい沈黙が流れる。
俺は必死になって話題を探すが見つからない。
そんな時だ。
不意に余所から声を掛けられる。
「あら、ゆう君。今帰り?」
声の主の方へ振り向くと、そこには姉さんが買い物袋を手に提げた姿で佇んでいる。
姉さんは俺の隣に立つ小林さんを一通り見回してから言った。
「ああ、お友達と一緒だったのね。
……ごめんねゆう君。お邪魔しちゃったかしら?」
悪戯っぽく笑う姉さん。
対する俺はと言うと、まさかここで姉さんが現れるとは思ってもおらず狼惑うばかりだ。
「ね、姉さん? ……いや、彼女は……その」
あたふたとする俺を見て、姉さんはクスリと笑いをこぼす。
ただ、何か微笑ましいものを眺める時の笑み。
こちらを向いてそれを浮かべる姉さんに、俺はモヤモヤとした気持ちを覚える。
――どうして、そんな風に笑っていられるんだ?
――あんたのせいで、俺がどれだけ苦しんできたかも知らないで。
俺の胸中に浮かぶ様々な思い。
それらは全て言葉にならず、俺の喉元で消える。
俺が何も言わない事に、小林さんが首を傾げる。
その視線が、僅かに上に向けられる。
「あの……高田君のお姉さん、ですか?」
小林さんの問いに、姉さんはその笑顔を小林さんに向ける。
「ええ、初めまして。私はゆう君の姉の綾希です。いつも弟がお世話になっております」
「いえ、そんな……こちらこそ」
ペコリと頭を下げた小林さんは、何故かそのままじっと黙り込むと、俺に視線を注ぎながら、ややあってからボソリと言った。
「綺麗な人ですね」
「え?」
思わず聞き返してしまう。
確かに、俺の姉さんは美人だ。
だが、それを今、口にしたて何の意味があるのだろうか? 疑問符を浮かべていると、彼女は淡々と言葉を紡ぐ。
「私なんかよりずっと……高田君は幸せ者ですよね」
「……ん?」
意味が分からず困惑する俺に構わず、何かがはち切れたように訥々と呟く。
「高田君は、こんなお姉さんが居て幸せでしょうね。羨ましい……本当に」
俺は慌てて口を挟む。
「何を言っているんだ小林さん」
「だってそうでしょ? こんなに素敵なお姉さんが居るんだもの。きっと毎日楽しいに違いないわ」
「……」
沸々と沸き上がる感情。
これは、何だ。……いや、俺はよく知っている。
今まで何度も味わってきた感覚だ。
怒りとも悲しみとも言えるような、それでいてもっと複雑な何か。
――どいつもこいつも好き勝手言いやがって。
なにも知らずに、よくもまあ。
湧き上がってくる激情に、俺は思わずぎゅっと拳を握る。
――お前らは、一体何を知っているというんだ。
「……ちがうよ」
「……高田君」
「……違う」
「……」
「……俺には……そんなの」
俺の言葉に、小林さんは寂しげに俯いた後、小さく呟いた。
「ごめんなさい」
そうして、彼女は背を向けると走り出すが、その小さな背中に、俺は手を伸ばせない。彼女の姿はどんどん遠ざかり、やがて見えなくなる。
俺はただ立ち尽くすのみ。
「……追いかけなくて良いの?」
いつの間にか、隣に来ていた姉さんが静かに問う。
俺はそれに答えられない。
「いいのかしら」
もう一度問われる。
俺はようやく声を絞り出した。
「……わからない」
「そう……」
姉さんはそれだけ言うと、俺の横を通り過ぎていく。
俺は、動けずにいる。
何故だろう。
俺は、彼女を悲しませたかったわけではないのに。
俺は、彼女に謝られたいわけじゃないのに。
「まったく……」
思わず独りごちてしまう。
中身は大人が聞いて呆れる。
己の激情から子供を泣かす、そんな大人が何処に居るんだ、と。
――――
家に帰り着くなり、自室のベットに倒れ込む俺。
仰向けになりながら考える。
――小林さんの事だ。
今日の彼女からは、何処か違和感があった。
俺の記憶にある小林さんとは違う、何か。
最も、俺は彼女と言葉を交わしたことすら殆ど無い。
俺の知らない彼女の一面なぞ、それこそ星の数ほどあるのかもしれない。
だがそれでも、アレ程までに力強い他者への好奇心を持ち合わせた娘だとは思ってもいなかった。
もっとも、未だに何がそこまで彼女の興味を引いたのか、とんと理解出来ないのだが……。
そんな事を考えている内に、食事が出来たと階下から姉さんの呼び声がする。
俺はのそりと体を起こし、部屋を出る。
食事の最中、姉さんはいつもと変わらぬようでいて。
それでいて何処か違った雰囲気で、俺に話し掛けてくる。
「それで? あの娘とはどういう関係なの? ゆう君」
いかにも下世話な好奇心を装いながらも、俺への気遣いをそこはかとなく匂わす彼女はやはりどこまでも善良な人物なのだろう。
その事に性根の曲がった俺は、一抹の安堵と落胆を織り混ぜつつ答える。
「別に。特にどういったことも」
「また~そういう誤魔化し方するー」
わざとらしく頬を膨らませる姉さん。
「ホントだよ。今日もたまたま一緒になっただけだし」
「ふぅん? でもさっきの子、ゆう君と仲良くしたがってるよ?」
ふと、そんな言葉を柔らかな笑みに混ぜ込み、彼女は言う。
――知ってるよ。
これでも中身は三十過ぎのおっさんだ。そのくらいは察する。
だが、それを知ったところで俺が小林さんに何か特別な感情を抱く事は無い。
姉さん。
俺が抱ている感情はそんな甘ったるく綺麗なものなどではないのだ。
分かっていますか? 貴女は。
そんな俺の内心を知ってか知らずか、姉さんは続ける。
「お姉ちゃんはゆう君があの娘と仲良くしてくれたら嬉しいな~。
だって、ゆう君友達も居ないじゃない?」
姉さんはそう言って笑う。
――ああ、そうだったな。
この人はこういう人だった。
俺の事を心配してくれているのは分かっている。
それは純粋にありがたいと思う。
だがそれでも、それを言葉にすることは出来ない。
だから俺はこう言うしかない。
「――余計なお世話だよ、姉さん」
箸を置き、席を立ちつつ、俺はそう姉さんに告げた。
姉さんは一瞬だけ、驚いたような表情を見せるが、次の瞬間には、その顔はいつもの笑顔に戻っていた。
「そっか……うん、そうだよね。お節介が過ぎたね」
「……ごちそうさま」
食器を流しに運び、二階へ上がる俺に、姉さんの声が掛かる。
「あっ、明日はお姉ちゃん、学校の用事で遅くなるの。 お金は置いていくからそれで何か食べて?」
「……分かった」
ベッドに倒れこむ。
横になりながら、先程の姉さんとの会話を思い返す。
友達――俺には……そんなの要らないよ。
姉さん。貴女が側に居てくれれば。
そうすれば、他には何も要らなかったんだ。
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