第2話 ネズミとチー牛
ハフッハフッハフッ
もぐもぐもぐ
ゴクッゴクッゴクッ
「ぷはー、美味い!」
「あはは……、ちゃんと噛んで食べてくださいよ」
まるでなにかの音楽を聞いているかのような
たしかにお金は節約したいが、なんだかその組み合わせは申し訳ない気がする。
あのあと俺はおっさんを背負い、たまたま近くにあったこの店に入った。いつも前を通るたびに悔しい思いをしてきた、あの有名な牛丼チェーンだ。
「おごってもらって悪いね。君は食べないのかい?」
「夕飯を抜いたから匂いでお腹がすいてきちゃったけど、もうこんな時間だし……」
「わたしが言うのもなんだが、遠慮するなよ」
「うーん。本当は食べたいものがあるんですけど、勇気がいるというか」
「ほう、なんてメニューかね?」
「チーズ牛丼です」
壁に張りつけられたポスターを恨めしそうに眺める。
「どうしてチーズ牛丼を食べるのに勇気がいるんだ? 辛いものが入ってるとか?」
「いいえ、そうじゃありません。じつは、チー牛っていうネットスラングがあって、俺、周りからそう言われて馬鹿にされてるんです」
「ふむ。そんなもん気にする必要ないだろう。食いたきゃ食え」
「……そうします」
俺は勇気を振り絞ると、暇そうにしている店員に声をかけた。
「すみません。十色チーズ牛丼の特盛に温玉つきをお願いします」
「はい、かしこまりました」
「……ずいぶん豪華だな?」
「知らない間にパワーアップしたみたいですね」
しばらくすると、目の前に憧れのチーズ牛丼が運ばれてきた。
深夜だというのに腹の虫がグゥとなる。
すまない、弟に妹。兄ちゃんはみんなに内緒で外食をするよ。許しておくれ。
心のなかできょうだいに詫びると、割り箸を割って、どんぶりを持ち上げた。
たまごを箸でつつくと、じゅわりと黄色い液体がとろけだす。
しまった、これはもしかして味変用なのか?
くそっ、俺のばか! これが最初で最後のチャンスかもしれないのに。
「ふふ、そんなに緊張したら、美味いもんも美味くなくなるぞ」
「そうですね。味わって食べます」
あらかた食べ終わっていたおっさんは、頬杖をついて俺のことを嬉しそうに見つめていた。
少しずつ減ってくると、食べきるのが惜しくてペースを落とす。水を飲みながら、この謎の男と会話をすることにした。
店員は気を使って、だいぶ距離をとってくれている。さすがの気遣いだ。
「さっきはひどい目に遭いましたね。あいつらなんだったんでしょう」
「それを語ると長くなる。端的に言えば、わたしはネズミで奴らは敵」
「ネズミ? じつは俺、
「ほほう。もしかしてネズミとしっぽって意味なのか」
「字的にはそうだけど、謎ですね。おそらく多産のイメージから豊穣の意味なのではないかと。おじさんがネズミってどういう意味です?」
「……要するにスパイってことだな」
「おお、そういえば聞いたことあります。かっこいいですね」
「ふふっ、まあな」
おっさんは照れくさそうに笑った。
「さっきのチーズは何なんですか? いつの間にか治まってしまったけど、内側からうまく表現できないパワーがあふれてきたんです」
「まあ、わかりやすく言えば、すごい道具としか言えないな」
「つまりチート級アイテムってことですか」
「ん、ズルい? 最近の若者言葉はわからんもんでな。そうなふうに言うのか」
「ほんらい悪い意味だと思うんですけど、いつの間にかインチキみたいに強いという感じになってるみたいです。俺はゲームしないんであまり詳しくは知りませんが」
「若いのに珍しいな」
「……まあ、やること多いんで」
おっさんは良い人そうだが、家庭環境を言うにはまだ少し勇気が足りなかった。
「ところで、どうしてご自分でアレをお食べにならなかったんですか? おじさんが使ったほうが効果的だったんじゃないかと思うんだけど」
「…………な」
「え? 今なんて言ったんですか?」
「聞くな」
「す、すいません……」
なにかまずかったか。ひょっとしたらアレルギーとかなのかもしれない。
あれ、でもさっき美味しいはずとか言ってたような。
おっさんはべつに怒っている様子ではなく、むしろ凹んでいるようだった。
「……人は年をとるとな」
「はい」
少し間を置く。どうやら言いづらいようだ。
「チーズを食うと胃がもたれるんだよ!」
「!?」
そうだったのか。本当は食べたいのに食べれないなんて気の毒だ。
というかこのおっさん、いったい何歳なんだろう?
「チーズ牛丼を食べられるのは、若いうちだけだ」
「そうなんですね」
「ああ」
おっさんは一呼吸おいてから言った。
「チー牛は強者の証だ」
「!!」
体中に電撃が走った。
言葉の意味は日々変遷していく。しかし、弱者の象徴かのように馬鹿にされていたものが、いつの間にか強者だとは。
チートが意味を変えたように、チー牛も変わっていくのだろうか。
だとしたら、俺は強者……?
日々の作業で傷ついた自らの手を見つめる。
「ここに金がなくて飢えてたやつもいるしな。チー牛はわたしには買えん」
「……じつは俺んち、両親が死んでお金がなくて、いま初めて食べたんです」
「そうか、美味いか?」
「ウッ……グスッ……はい!」
俺は、塩味が増したチーズ牛丼の残りを、心ゆくまで堪能した。
なぜかはわからないが、店員さんも泣いていた。
ありがとう、チー牛。ありがとう……──。
しばらくして俺とおっさんは、冷たい風が吹く夜の街に戻ってきた。
無意識に、彼のゆったりとした足並みに合わせて移動していた。
「いやあ、美味かった。ゴハンとミソスープごちそうさま。ありがとうな、少年」
「いえいえ、俺もあそこに行けてよかったです。そういえば、まだ名前をうかがっていませんでしたね。おじさんはいったい何者なんですか?」
「うむ、そうだな。ネズミとはいえ、命の恩人には打ち明けねばなるまい」
スパイから情報を聞き出すと考えると、ぞくりとするものがある。
「わたしの名前はラ・トゥール。マイオマンサーだ」
「マイオ……? マンサーは魔法使いって意味ですよね」
「まあ、鼠占い師ってとこかな」
「そんな職業があるんですね。なんだかハーメルンの笛吹きみたいです」
「たしかにパイド・パイパーと呼ばれることもある」
「街のネズミ退治をしたのに報酬を貰えなくて、子供をさらったんでしたっけ」
「そうだね。新しい街づくりのために、若い子を勧誘したのが元と言われているな。もっとも、わたしは誘拐犯ではないが……」
うちには小さな子供がたくさんいる。ほんのちょっとだけ、嫌な予感がした。
とはいえ彼は信用できると思う。己の直感がそう言っていた。
「俺は鼠尾チュン二郎って言います。チュンはミドルネームです」
「ほうほう、響き的に次男坊ってことかな。それにしてもさっきの君の変貌っぷりには驚いた。まさか青髪とはね」
「どういうことです?」
「すぐにまた、君のちからを借りる時が来る。次の機会に、鏡で己の姿を見てみるといい。あのチーズは本当の自分を引き出すちからがあるのさ」
「本当の自分……? というか、またって?」
「すまんな、もう巻きこんでしまった。とにかくわたしに付いてきてくれ」
「ええ!?」
有無を言わせず、彼はどんどんと裏道へ入っていく。地元の俺ですら普段は怖くて避けている方面である。
「あそこだ。辺りには……よし、いないな」
「どこに行くっていうんですか?」
「あいつらがやってきた地域だ。とりあえずこれを食ってくれ」
「なんですか、この緑カビのチーズは……」
「翻訳チーズだ」
「いい加減にしてください!」
暗い路地にひっそりとたたずむ雑居ビル。狭い階段を使い、ラ・トゥールを名乗るおっさんと地下へと降りていく。
まんまと俺は、パイド・パイパーに連れ去られてしまったのだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます