魔界舞曲サラバンド ~音楽の悪魔は渓谷にほほ笑む~

かぐろば衽

迷いネズミと機械神

第1章 パイド・パイパー

第1話 ネズミとチーズ

 教室の隅っこで本を読んでいると、またいつものように奴らがやって来た。


「チー牛、なに読んでんの?」


「『オデュッセイア』だよ。というか俺は鼠尾ねずおチュン二郎だってば」


「なんだよチュン二郎って、マジうける」


「うるさいな、これでも本名なんだよ」


「チー牛でいいじゃん」


「まさにそんな見た目してるしな」


「眼鏡かけてて陰キャ、ほかに表現する言葉あるか?」


「ないねえ」


『チー牛、チー牛!』


 ……はあ。いつまでそんな死語を使っているのかね。

 いかにも牛丼にチーズを載せたものを食べてそうな人間に使う言葉としていっときネットで流行ったけど、チーズ牛丼は美味しいし、揶揄やゆとして用いるのはよくないと問題になったのに、いまだにそんなの使ってるのお前らぐらいだろ。


 っていうかそんな贅沢ぜいたくなもん食ったことねえって! 俺んちは両親がいなくて家計が火の車なんだ。とてもじゃないが、外食できる余裕なんてないっつーの。


 現在十六歳になる俺は十人きょうだいで、元々は祖父母と両親を合わせて十四人の大家族だった。子供のころは十四匹のネズミ一家が出てくる絵本が大好きで、自分と重ね合わせたりもしたっけ。


 今となっては祖父母と両親は亡くなり、今は俺を入れて九人になった。

 14から4を引いて9だと数が合わない?

 よく気づいたね。二郎の名のとおり俺は次男で、以前は兄さんがいたんだ。


 ちょっとアレな話だけど、両親はとある宗教にハマってて、避妊や医薬品なんかをぜんぶ否定する側の人間だった。

 そのせいで子沢山……はいいとしても、きょうだいは散々な思いをした。兄さんはそんなエゴの犠牲となって、子供のころに病気で亡くなったんだ。


 結局、両親は大流行したコロナが重篤化して死んじゃったから、ざまあないね。昔からネズミが好きでペストの話を知っていたから、医者を信じるよう説得したけど、まったく取り合ってくれなかった。


 それにしてもネズミも可哀想だよな。

 古代から食料を荒らす害獣とされてきて、疫病が流行ったら悪者にされ、科学では実験台に使われ、爬虫類飼育者からは餌にされ……。

 まあ絵本の題材としては事欠かないし、どこぞのテーマパークとか良いイメージもあるけどさ。電気をビリビリさせる奴に語尾が変なもの、大冒険した集団もいたか。

 あれ、あんがい悪くないポジションじゃないか。


 はあ、早く家に帰ってペットのチュー太郎に会いたいな。動物は飼い主に似るって言うけど、俺に似て本当に良い子なんだよ。

 容姿も似てるのかって?

 ……まあ、うん。からかわれてるぐらいだし、世間からはそういう評価を下されているようだ。なにせ苗字も鼠尾だしな……。


 こんな良いとこなしの自分だが、特技はある。それが音楽だ。

 歌声はお世辞にもよろしくはないが、昔から楽器の扱いにはけてきた。

 吹奏楽をずっと続けられたら幸せだったんだが、なにしろ家に金がない。父親の兄であるおじさんが廃品回収をしてるから、帰ったら手伝いをしなきゃならないんだ。


 おじさんはバツイチで酒飲みだけど、昔から俺たちきょうだいを気にかけてくれる良い人ではある。現在は保護者となっていて、親代わりだ。

 手先が器用でなんでも直してしまう彼にとって、廃品回収は天職としか思えない。ゴミ捨て場から使えそうな物を拾ってきて、たちまち修理してリサイクルショップで販売している。直すのが趣味だから値段はお手ごろだし、結構評判はいい。

 いつか跡を継ぎたいと思って少しずつ教わっているのだが、腕前はまだまだ。


 学校が終わるや逃げ帰り、店に直行したらシャッターが下りていた。家にまわると珍しく黒スーツ姿のおじさんが居て、俺の姿を認めるなりこう言った。


「チュン、今夜は用事があるから、お前だけで行ってきてくれないか」


「ええ、車も使えないのに?」


「台車があるだろ」


「恥ずかしいし、夜だと音がうるさくないかな?」


「仕方ない。良いもの見つけたら手で運んできてくれ」


「ええー!」


 おじさんは俺のことをチュンと呼ぶ。

 誤解されがちだけど、名前は『チュン二郎』じゃなくて『チュン』と『二郎』だ。つまりセカンドネームってわけ。日本人には珍しいかもしれない。

 両親がつけたんだが、まあふざけるなって感じだよな。正直、意味わかんないよ。

 つづりからすると本来はトゥーンに近いはずだが、チュンは海外で普通に人名として使われてる地域もあるから、あまり悪くは言っちゃいけない。


「お兄ちゃん、私も手伝うよ」


「いや、三奈。夜だからお前は来なくていい」


「でも……」


「気持ちはありがたいけど、チビたちの面倒を頼む。それよりお前が手伝ってくれると助かるんだけどな、五郎」


 二歳下の妹に手のひらを向けてから、漫画を読んでいる四歳下の弟を見やる。残念ながら非協力的なこいつは、家の手伝いをしようとしない。

 それにひきかえ、三奈はとても良い子だ。本人は容姿を気にしているようだけど、俺はかわいいと思うけどな。なにしろ性格が良いから、将来はすてきな女性になれるはずだ。

 ちなみにみんな名前に数字がつく。セカンドネームがあるからって適当につけた感が丸出しだ。男は全員『郎』がつき、女は申し訳程度にバラけている。


 ともかく仮眠をしよう。夜中に廃品回収をしないといけないからな……──。




 深夜二時、俺は目覚めた。

 この辺りでは、回収前日の夜にゴミを出すのが常態化している。警察に見つかるとまずいが、ライバルの少ないこの時間がチャンスなんだ。

 むくりと起き上がって眼鏡を掛けると、まずはペットのネズミたちに餌をやる。

 きょうだいを起こさぬよう静かにしながら、最も立派な個体につぶやく。


「留守を頼むぜ、チュー太郎」


 太郎は兄さんの名前だ。

 ハツカネズミの寿命は長くても二、三年、こいつはもう何代目のチュー太郎だったかな。家族が増え過ぎないように気をつけているが、ネズミ一家の大黒柱である。

 一番のお気に入りは、まるで言葉がわかるかのように鼻先を震わせて応えた。


「さてと、行くとしますか」


 すっかり空気にトゲを感じるようになってきた十二月の下旬。懐中電灯を片手に、深夜の街を徘徊する。

 この地域はあまり治安がいいとは言えない場所である。あまり人けのないとこに行くのは正直こわい。

 でも何かしらしなきゃ食っていけないし、家族が離散しかねない。


 じつは何度か、そういう話が来ていたんだ。

 三男の六郎は頭が良くて、三女の七子は器量が良い。それで「引き取ってもいい」だなんて言ってきた奴がいた。

 ふざけるな。俺んちは鼠尾だがネズミじゃねえ。ペット一匹売る気もねえ。

 人間ってのはつくづく業の深い生き物だよ、まったく。


 そうこうしているうちに三つ目のゴミ捨て場が見えてきた。今のとこロクなものがなかったから、なんかイイもんあるといいな。

 懐中電灯を向けると、一人じゃ運べそうもない箪笥たんすの前に、何かカラフルな物体が見えた。


「ん、アレなんだろう? まさか……人!? だ、大丈夫ですか!」


 よくよく見れば、それはやつれた細身のおっさんだった。両手をだらりと伸ばし、背を預けてぐったり座っている。横に落ちているのは羽帽子、背後にあるのはマントだろうか。いったい何者なんだ?

 正直かわいい女の子だったら、なんて展開を期待した俺が馬鹿だった。


 しかしこうしてるわけにもいかない。相手は呼びかけに答えずピクリともしない。

 仕方ない、警察に連絡するか……。そう思って懐からスマホを取り出した。

 高価なので遠慮していたけど、おじさんとやり取りするためにじつは持っている。五郎がねてるのは、三奈と六郎も持っているのに自分には無いからに違いない。


「──ま、待て。連絡をするな」


「え? よかった、生きてたんですね」


「それより、後ろに気をつけろ」


「へ?」


 振り返った先に、奇妙な生き物がいた。

 小柄で大きな耳をした、二足歩行する爬虫類のような、初めて見る謎の動物。


「なんだこいつ」


「ギャギャー!」


「うわぁっ!」


 突然そいつは襲いかかってきて、ジャンプで俺の眼鏡を横薙ぎに吹っ飛ばす。

 するとたちまち視界はぼやけてしまった。視力はたった0.1しかないのである。


「うう、何が起きた……」


「こいつはグレムリンだ。君、縦笛は吹けるか?」


「笛? いったい何の話です」


「吹けるかと聞いている。わたしは魔力を封じられていて使えないんだ」


「魔力……? わけがわからないけど、笛なら吹けますよ」


「よし。ならばこれを食って、こいつを使え」


 おっさんは俺の手に小さな固形物と一本の縦笛をつかませた。


「うーん、なんだこれ? って青カビが生えたチーズじゃないですか!」


「バカ野郎、チーズはカビ生えてなんぼだ」


「こんなもん食べたくないですよ!」


「いいから食え!」


「ちょっ、もごもご、にゃにすん……ゴクンッ!」


 謎のおっさんに変なものを飲み込まされた。最悪である。

 

「ううぇええ……いきなり何するんですかっ!」


「どうだ、美味かったろう」


「味なんてわかるわけ……って、なんだ? 目が見えるぞ!」


 裸眼なのに、おっさんの姿がよく見えた。

 一目で海外の人だとわかる顔立ち。さらさらとした長い髪をもち、薄汚れて奇抜な身なりをしているが、かなりのハンサムである。


「それだけではないぞ」


「なんだか体がぞわぞわする。か、髪が逆立って……静電気?」


『ギャッギャー!』


「集まって来たな。死にたくなければ早く笛を使え。いま説明してる暇はない!」


「この状況、まじでなんなんですか!」


 グレムリンといえば、機械を壊すことで有名な近代の妖精だ。

 以前それを題材にした映画を見たことがあるが、どうも姿かたちが違う。獣じみているが、レンチやペンチ、ドライバーなどの工具を手にして臨戦態勢に入っている。

 それらは武器として使うものじゃない。おじさんの仕事を子供のころから見ている俺は怒りを覚えた。


「さあ、早く!」


「いったい何の曲を吹けばいいんですか!」


「なんでもいいから激しいやつを頼む」


「と、とりあえず、ベートーヴェンの『月光』第3楽章でも……」


 ほんらいピアノで弾くものをなぜ選んでしまったかは謎だ。

 初めて使う謎の笛。なぜか理解できる。手が勝手に動いていく。

 驚くほどいろんな音が出た。まるで誰かが伴奏を添えるかのように。

 のっけから激しいこの曲は、俺の好きなクラシックのなかで上位に入る。

 こんな俺だがじつはバンドマンに憧れているので、高速の音楽が好きなのだ。


「ギャー!」

「ギャギャー!」


 笛から飛び出た音波は、次々とグレムリンたちを吹き飛ばしていく。

 流れ出る旋律はまるで目で見えるかのごとく、刃となって敵をなぎ倒す。

 す、すごい。このちからは……?

 いつも周囲から馬鹿にされてきた。虐げられて、ロクな人生じゃないと思ってた。 

 でもこれが無双ってやつか。最高にロックだっ!


 兄さんの死後、悲しみを乗り越えるために狂ったように弾き続けた記憶が蘇る。

 遅くまで学校に残り、誰もいなくなった教室で一心不乱に鍵盤をたたいた。

 癒しとなった想い出の曲を、まさに月光の下で演奏することになろうとは。


『ギャーッ!!』


 気づけば、こちらを取り囲んでいたグレムリンたちはすべて横たわっていた。

 俺は笛を吹くのをやめ、荒い息を整える。


「ブラボー!」


 謎の男は笑顔を浮かべ、俺に向かって拍手した。


「なんなんですか、このチカラは?」


「君のちからさ」


「俺の?」


「そう、さっきのチーズは、元々ある小さな欠片を引き出したに過ぎない」


「欠片……」


「ああ、よくやった、しょう……ねん……──」


「だ、大丈夫ですか!」


 再びぶっ倒れた男を抱きかかえる。

 こんなところで死なないでくれ、頼む。


「……は……」

「しっかりしてください!」


「……ら……」

「え? なんです、言ってください!」


「……へっ……」

「どうして襲われてたんです!」


「……た……」

「誰か、この人を助けてくれー!」


 ん、腹減った?


 グーキュルルルゥー。


 おそらく音楽家なのであろう男は、見事な腹笛を鳴らした。


「と、とにかく、俺につかまってください」


 細身の人でよかった。日頃の手伝いで意外と体力がついていたみたいだ。

 さすがに家は遠いし、子供がいるのに不審者を連れて帰るわけにはいかない。お金は惜しいが、どこかやってるとこを探さないと。

 裏道を抜けて明るい道を進んでいくと、やがて24時間営業の店が見えてきた。

 

 牛丼屋……。


 夕飯を抜いていた俺のお腹もグゥーと鳴った。

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