第3話 ネズミと異世界
今にも消えそうなチカチカとした電気がついている。
恐ろしいほど冷たいビルの地下室。薄汚れた衣装をまとう男は腕を組んで、なにもない部屋の中央を眺めて突っ立っていた。
「この部屋はいったい何ですか? どうしてここに来たんでしょう」
すると明らかに外国人のラ・トゥールさんは、腰からチェーンでつながれた銀色の何かを取り出す。
「ふむ。……あと二分ほど待ってくれ」
「あ、それ懐中時計ですね。カッコいいなぁ」
「じつはグレムリンの連中が狙ってるのはこいつでね」
「ほほう、貴重なものなんですね」
「高価というより、ヤバい代物と言ったほうが正しい」
「ヤバい?」
「これは、とある天才時計職人が大昔に作ったものなんだ。つかぬことを尋ねるが、君は命と時計のあいだに、何かつながりのようなものを感じたことはないか?」
あまりにも抽象的な質問だ。俺はどう答えていいか戸惑ってしまった。
「うーん。鼓動、みたいなものでしょうか」
「ずばりそのとおりだよ。この時計はその職人と命が連動しているのだ」
「……なんだかおっかない話ですね」
まだ話は見えてこないが、どうやら厄介事に巻き込まれたのは理解できる。
そうこうしていると、突然、目の前にどす黒いもやが出現し始めた。
「うわ! なんだこれ!」
「ポータルさ。さあ、時間がない。飛び込め!」
笛吹きの男はそれだけ言うと、ひとりその中に入っていってしまった。
「ええ!? ちょっと、ラ・トゥールさん!」
慌てた俺は、とりあえずもやの向こう側を確認するが、そこに彼の姿は無い。
消えた? ポータルってたしかワープに使う扉みたいなものだっけ。
時間がないと言っていた。いったいどうしたら……。
「ええい、ままよ!」
一生にいちど使ってみたい言葉ランキングで上位に入るであろう言葉を叫ぶ。
俺は目をつむり、おっさんのあとを追って飛び込んだ。
ほんの一瞬、ぶつかるかなと思ったけど、そんなことはなかった。
視界が真っ黒に閉ざされた異空間を不安に思いながら進んでいくと、やがてもやは晴れてきて、徐々に辺りの様子が見えてきた。
先ほどと同様に地下と思われるが、現代的ではない古びた石積みの場所だった。
「ここはどこです?」
「ジュネーブの裏側に位置する世界ってとこだ」
「スイスですか? どういうことです、さっぱり意味がわかりません」
「なに、簡単に異世界と捉えてくれればいい。点と点、表と裏、ふたつの移動を同時にしたと考えればわかりやすい」
「いやいや……。もはやツッコむのも虚しい。納得しました、異世界ですね」
「理解が早くて助かる。さすがは最近の若者だ」
グレムリンやら謎の笛やらを見て、いまさら何を驚くことがあろうか。
「このポータルは仲間が仕掛けてくれたものだ。しばらくのあいだ、一定時間ごとに開いて、ふたつの世界を行き来できるようになっている」
「そりゃあすごいや。でもどうして日本に?」
「ただの偶然だ。アジトが襲われ、とにかく急いで逃げる必要があってな。たまたま開いた先が、君らの住む街だったというわけだ。グレムリンたちはここを嗅ぎつけたわけではなさそうだが、おおかた飛行機なんかを利用してわたしのあとを追ってきたのだろう」
「ラ・トゥールさんはチーズが食べれないのに、なぜ俺と会話ができたんですか? 最初から日本語ができたんです?」
「それは念話というやつだよ。こう見えて一介の魔術師だからな」
ここまでハイスピードだが、なんとなく理解はできた。要するになんでもありってこった。
「君に来てもらったのは、道具を取り戻す手助けをしてもらいたいからなんだ」
「またチーズ食べて笛を吹けばいいんですか?」
「うむ。それが終わったら帰ってくれて構わない」
「じつはちょうど学校が休みに入ったから、時間はあるんですけどね」
乗り掛かった舟だ。あっと言う間に巻き込まれ、ここまで連れて来られて困惑していたが、これは冬休みを楽しむチャンスとも思えてきた。
「ありがたいが、そういうわけにもいかないんだ。わたしは命を狙われているから、これ以上きみの手を借りるわけにはいかない」
「そうですか……。わかりました、気をつけてくださいね」
「ああ、恩に着る。ではさっそく敵のねぐらへ向かうとしよう」
俺たちは階段を上がって、異世界の裏道へと出た。ビルが遠くに見えていた光景は一変し、せいぜい二、三階建てのレンガ造りの家が並んでいるだけである。
貧乏ゆえに、海外旅行はおろか国内旅行もほとんどしたことがない。
近ごろ目にするようになった体験格差。世の中には自分よりも苦労している若者がいることはわかっていても、己の不幸を嘆かなかったわけではない。
はるばるスイスにまで来て華やかではないが、ちょっとした裏の海外旅行を楽しむことにした。こんな機会はもう二度とないだろうから。
諦めるのは得意なんだ。
異世界の街並みはひどく陰気だった。
現代のスイスは治安が良いことで有名だが、どうにも様子が違うように思われる。要するにここは貧しい人々が暮らす場所なのだろう。となれば、あまり安全とは言えなさそうだ。
暗い空を見てふと疑問に思い、おっさんに尋ねる。
「今は何時なんですか?」
「さあ、気を失ってたものでわからん。時差は七時間ほどかな」
「それじゃ午後の八時を過ぎたあたりでしょうか。表と裏で変わらないんですかね」
「満月で出入り口が勝手に開いたりもするからね」
「おとぎ話みたいだ」
「ポータルというのはおいそれと開けるものなんかじゃない。さっきのアレは、偶然の出会いを司る魔術師が、なんとなくやったものなんだ」
「仲間はどのくらいいるんですか?」
「わたしは魔術結社の一員でね。ピンチで手を借りたが、今は単独行動だ。みんな暇ではない。占い師も食っていくのに苦労しているのだよ。なにせこっちの世界には、魔法使いが腐るほどいるからな」
ますます興味が湧いてきた。すぐに帰るのがもったいなく思えてくる。
「そろそろ奴らの溜まり場が見えてくる。さて、先にチーズと笛を渡しておこう」
「どうも。それにしてもすごい笛ですよね。伴奏がついているような音がしました」
「それは君がイメージしたからだ。どうやらわたしは、当たりを引いたらしい」
「演奏するのは好きだったんですよ」
「過去形?」
「お金がなくて諦めちゃいました」
「たとえ一歩でも、望む未来に進んだほうが楽しいと思うぞ」
「……そうですね」
「む、静かに」
ラ・トゥールさんは角を過ぎた直後、すぐに身を隠した。
耳をすませば、先ほど見たグレムリンたちの鳴き声らしきものが聞こえてくる。
彼は壁に背を預けて人差し指を立てながら、俺にこう言った。
「演奏時間は三分だ。それで決着をつけてくれ」
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