第25話 堕天使と雪だるま
暖炉からパチンと火が弾ける音が聞こえてきて、俺はハッとした。
「何だあれ?」
「……ん。どうかした?」
「外に雪だるまがあるんだ。すごい悪趣味なの。いったい誰が作ったんだろう」
燭台が灯る部屋の窓から、大きな雪の怪物がこちらを向いているのが見える。
顔にはぎょろりとした三白眼。半開きの口には歯のようなものがぎっしりと生えていて、パイプをくわえている。人のような左手には、真っ赤な穂先をした三叉の農具ピッチフォークが握られていた。
「日本じゃ見ない感じだなあ」
「あれはまさか……」
「知っているのか?」
「ブーク!!」
その時だった。
焦点の合っていなかった雪だるまの瞳がこちらを向く。
直後、右手で窓ガラスをたたき割り、頭から部屋に乗り込んできた。
『ぎゃあああああ!!』
跳ね起きたカロルが靴を引っかけ、こちらのベッドに飛び込んでくる。
「ダメダメダメダメ! あたし、あいつだけはダメなのよー!」
そのままこちらに抱きついて、胸に顔をうずめながら体を震わせる。
俺は突然起きたふたつのことに混乱するも、瞬時に頭を切り替えた。
「こうしてる場合じゃねえ! とりあえず逃げるぞ!」
慌ててカロルを引き剥がすと、枕元のチュー太郎がポケットに跳び込んでくる。
取る物も取り敢えず扉のもとへ向かうと、間一髪、雪だるまはベッドの上に三叉の槍を突き刺してきた。
しまった。相棒のエレキギターと分断された。寝る直前だったため、つい回避行動を優先してしまった。
敵は得物を抜き取ると、すぐさまこちらに向き直る。
まずいことになった。ここは今すぐラ・トゥールと合流するべきだろう。頼りがいはないが、腐っても魔術師。なんとかしてくれるに違いない。
少女の背中を押して部屋を脱出し、扉を乱暴に閉める。
だが、目の前の木材を破って赤い穂先が突き出したかと思うと、扉は
雪だるまの怪物は、笑っていない目をぎょろつかせて口の端をつり上げ、こちらに体を向き直す。
「ギ、ギ、ギ……コドモ、コロス……」
「ななな、何なんだよあいつは!」
「ブークっていう、この国のブギーマンよ!」
「子供をおどす化け物だっけ。ナマハゲみたいなもんか……」
とにかく逃げなくてはならない。俺とカロルは廊下を走り、食堂へと向かうことにする。オベールさんの眠る隣の部屋を通りすぎたが、ブークはこちらに一直線。子供にしか興味がないのなら、今はかえって都合がいい。
「ラ・トゥール助けてくれ、大変なんだ! なんかやべーのが向かってくる!」
狭い通路ゆえ、ブークはあちこちに体をぶつけて動きは遅い。徐々に距離を広げて食堂にたどりつくと、俺は破壊する勢いで扉を開けた。
だが──
「ヒヒヒヒヒ!」
待っていたのは、机の上に立って両手を掲げ、白い衣を広げる大司教ベルヒトルトの姿だった。
「遅かったか……。ラ・トゥール、しっかりしろ!」
マイオマンサーは力なく机に突っ伏し、呼びかけにも応えない。
「二郎、横!」
カロルの叫びとともに、扉の横に隠れていた修道服の女性が突っ込んでくる。
すんでのところで回避。その手にはなんと、血塗られた包丁が握られていた。
「チッ。仕留め損ねましたわ」
「あ、危なかった……」
大司教に気を取られ、シスターの存在にまったく気づいていなかった。こめかみに冷たい汗がだらりと垂れるのを感じた。
とそこに、背後から再びブークの叫びが聞こえてくる。
「グギギギギ……コドモ……コロス、ブッコロス!」
スイスになんか憧れた俺が間違っていた。
この国はヤバい。悪魔と化け物の巣窟だ!
「こうなったら正面口から逃げるしかない! 走れカロル!」
凶刃に倒れた仲間を見捨て、俺たちは唯一の逃げ場を目指してひた走る。
すまないラ・トゥール、あんたのことは忘れない。慌ただしく出会い、あっと言う間に仲良くなれた。短い付き合いだったが、楽しかったぜ……。
恐ろしい化け物たちも若者の足には敵わない。正面ホールにたどり着いた俺たちはすぐさま扉に手を掛ける。
しかし案の定、金属の錠が下されていて開けることができない。押しても引いてもうんともすんとも。
「カロル、扉を壊す呪文は使えないか? 湖で使ったようなものを、早く!」
「あれは検診で使うライトの応用よ。あたし、攻撃呪文は使えない」
「そんなあ……」
がっくりと肩を落としているうちに、とうとう大司教がシスターとブークを伴って現れた。
──ここまでか。
ジェランドさんの救出に向かうはずが、こんなところで命を落とすとは。
妹に弟、おじさんと一緒に仲良く暮らすんだよ。お前たちならきっと、俺がいなくても上手くやれるはずだ。
「ふふふ。追い詰めましたよ。もう逃げられません」
「くっ、貴様いったい何者だ!」
「お忘れですかな。わが名はベルヒトルト。一介の大司教にございます」
微笑みをたたえるその顔には、
「はっ! ベルヒトルト……ペルヒタ……」
「何か思い出したのか、カロル!」
「わかったわ、こいつの正体はワイルドハント! 堕落した聖職者の亡霊だわ!」
「ほほう、博識なお嬢さんだ。そのように呼ばれることもありますね」
「ワイルドハント? なんだそりゃ」
「悪魔というより、古い神々を崇める連中よ。罪を犯して攫われたと言われてる」
「罪? それは少々違いますな。我々は、悪魔へと貶められたベルゼブブさまの真のお姿、嵐の神バアルさまを取り戻すべく、信徒を絶賛募集中なのです!」
「どさくさに紛れて勧誘じゃねーか! なんで殺しにきてんだよ!」
「生者はなにかと小うるさい。いちど殺して蘇らせたほうが、何かと都合がいいのでございますよ。さあ、人の子よ。我らが神の眷属となるがよい!」
そう言うやベルヒトルトは宙へと舞い上がった。白い衣の裾がゆらめくその姿は、神々しさすらも感じられる。
血塗れのシスターもふわりと浮き上がって包丁を構え、ブークはピッチフォークをこちらに向けた。
「うわあああああ! こ、こいつら幽霊じゃねーか!」
「なに諦めてんの! あんたにはチーズがあるでしょ!」
「でも楽器がない!」
「歌えばいいじゃない!」
「声には自信がないんだよ!」
小学校のときに歌を馬鹿にされた記憶が蘇る。あれ以来、俺は人前で歌うのが怖くなった。励ますように腕を引くカロルに対し、首を横に振って答える。
するとベルヒトルトは意外な言葉を寄こした。
「おや、あなたさまは楽器がご入用なのですか? わが教会にはアルプホルンを保管してございます。必要でしたら、どうぞそれをお使いください」
「へ? なんでそんなことを……」
「
「好まれてたまるかっ! てか腐ってる自覚はあるんかい!」
明らかに敵だと思われるが、なんとも調子が狂う奴である。
中空に浮かぶ大司教が大手を広げると、教会の奥からふわりふわりと、俺の身長の二倍近い楽器がこちらに向かってやってきた。
「ありがたいっちゃありがたいけど、こんなもんどーすりゃいいんだよ……」
ベルヒトルトは目をつむって神経を集中させながら、アルプホルンを俺の正面へと丁寧に運ぶ。
こちらとてミュージシャンを目指す端くれ、楽器を乱暴に扱うわけにもいかない。バカでかい筒を優しくつかむと、先端のベルがゆっくりと床に置かれた。
山岳地帯の連絡に使われてきたこの代物、素人には音を出すのすら難しいと聞いている。たとえチーズのちからがあっても、いきなり吹けるものだろうか。
「さあ、どうぞ。これで全力が出せるでしょう。あなたの魂の響きを拙僧にお聞かせください」
「頑張って、あんたなら吹けるよ!」
俺はいったい何をしているんだ……。今からこれを吹いて、敵を倒すんだよな?
まあ気にしたら負けだ。ワイルドハントとやらが何者かは知らんが、戦って倒すというよりは、与えた試練を乗り越えるのが趣旨なのかもしれない。
俺だって神童の弟。楽器の扱いには天賦の才があると自負している。覚悟しろ。
例のチーズをひとかけら口に含み、大きく息を吸う。
スーッ……。
直後、この楽器は狭い空間で吹いてはいけないと思い知ることとなった。
ベルの先から飛び出た音波が、まるで跳弾のごとく壁に跳ね返り、敵も味方も関係なく襲いかかったのだ。
『ぎゃあああああ‼︎』
ベルヒトルトとシスターは床に撃墜し、俺とカロルは壁にたたきつけられる。意地でも楽器を手放さなかったのは、我ながら立派だったと言えよう。
「いってぇ……。チュー太郎、カロル、大丈夫か?」
「キュゥ……」
「な、なんとか。敵はどうなったの……?」
「ぐは……。よくやりました、少年よ。潔くこちらの敗北を認めましょう……」
よくはわからないが、勝ったらしい。敵に武器を与えて有利にするとは、つくづく謎な人物である。
立ち上がろうとすると、どこからかバチバチという謎の音が聞こえてきた。
「ん、なんの音だ? あれ、ブークの頭が……?」
「あっ、これはまずい。皆さん伏せて!」
ベルヒトルトがそう叫んだ直後、雪だるまの頭が大爆発を起こした。
『ぎゃああああああ‼︎』
白い雪が盛大に飛び散って、双方が仲良く二度目の悲鳴をあげる。
教会の玄関ホールが真っ白に覆いつくされ、俺たちは軽く埋もれることとなった。
「ぷはっ! なんでだよ、どこに爆発する要素がある!」
「ブークはああいうヤツなのよ。春を告げるお祭りで雪だるまを爆破するのが、この国の慣わしなの。といっても今は真冬だけどね」
「まったく意味がわからないよ。スイス怖い……」
「ふう、少しばかり火薬が多かったようです。おふたりとも、ご無事でしたか?」
「何がご無事なものか。お前なんかと馴れ合うつもりはない。ラ・トゥールを殺したくせに!」
勝負に勝ったといえど、相手はまだ生きている。いや、もともと死んでいるのかもしれないが、んなこたぁどうでもいい。さて、どうしてくれようか。
雪を払いのけて、ワイルドハントとやらをにらみつける。ごたごたしているうちにチーズの効果は切れてしまったが、あらためて成敗するべきか。
とそこへ──
「いやー、つい本気で寝てしまった」
「ん? この声は……ラ・トゥール! 死んだはずじゃあ……」
「皆さん、終わりましたか」
「それにオベールさん! これはいったい、どういうことだよ?」
奥から呑気に現れたふたりに対し、俺は目を丸くする。
四人の大人は横一列に並んで軽く会釈をすると、ベルヒトルトが代表して朗らかに答えた。
「ふふふ。これは拙僧たちからのちょっとしたサプライズ。少し時期は過ぎてしまいましたが、子供たちへの催しを企画させていただきました」
「お楽しみいただけましたでしょうか。いささかやりすぎてしまったので、お片づけが大変ですわ」
「いやあ、迫真の演技、お見事でした。僕の気絶もなかなかだったでしょう?」
「メリークリスマス。じゃなかった、メリーベルゼブブ!」
こいつら……。
まさか風呂の順番を待っているあいだに、こんなことを相談していたのか?
俺は肩を震わせてゆっくりと立ち上がると、大きく息を吸い、怒りのアルプホルンを力の限り吹き鳴らした。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます