第5章 魔王城アンデルナット

第26話 堕天使と門番

 珍騒動の翌朝、目覚めたときにはすでにワイルドハントのベルヒトルトとシスターは消え失せていた。さいわい教会はそのままで、三人のために朝食が残されていた。カロルいわく普通に美味しかったとのことである。


 賑やかなおもてなしで生気を取り戻した、あるいは失った俺たちは、悪魔が巣食うというダン・デュ・ミディ山の攻略に取りかかる。昨夜から降り続いた雪が積もり、ますます困難になるかと思いきや、城に向かって一本道ができていた。

 もはや招き入れるというレベルではない。これも魔王の仕業なのだろうか。かの者が歩いた場所が道となる。そう考えると少しかっこいいかもしれない。

 いかんいかん、ジェランドさんや時計を奪ったピットナッチオの親玉である可能性が高いのだから、心を動かされてはダメだ。


 それにしても、音楽を愛する悪魔とはなかなかに風流である。彼らの優れた技巧を思うに、その腕前もきっとすばらしいに違いない。魔王の演奏を聞き終えたとき、俺は感動を禁じ得ないのではないだろうか。

 いつの間にか、音楽対決をするのが前提になっていると気づく。俺は占い師なんかではないし、未来のことなど知る由もない。それでもこの想像は必然なのではないかと感じるのだ。


 ときおり吹きつける粉雪を頬に浴びながら山道をたどってゆくと、とうとうそれが目の前に姿を現しはじめた。

 無数の黒い尖塔を天に伸ばした、ゴシック様式の美しい建築物──


 アンデルナット城。

 

 今ではここが魔王城であると強く確信している。

 時計神の復活を企む悪魔ピットナッチオとの対決は避けられないだろう。その背後に潜む強大な魔神の思惑は不明だが、みすみす見逃してくれるとも思えない。凍えるような寒さの中に、そんな空気をひしひしと感じとる。


 ……それだけならばいいが。

 機械神の心臓となりうるザカリウスの時計をコンパス代わりにして、ようやくここまでたどり着いたが、これではまさしく鴨がネギを背負ってきたようなもの。まんまと敵の術中にはまっている気がしてならない。


「心の準備はいいかい?」


 ふと三人と一匹の視線を感じた。俺は城を前にして考え込んでいたようだ。


「ああ、行こう」


 立派な石畳の先に、黒光りする禍々まがまがしい城門が立ちはだかっていた。てっきりここも自動で開かれるかと思いきや、一向に動く気配がない。正確には、開けようと努力してくれているのはわかる。しかし──


「凍ってて開かないみたい」


 なんらかの稼働音が聞こえてはくるものの、扉はきしむばかりでピクリともせず、とうとうダウンする音がして機械は止まってしまった。


「……帰るとするかね」


「そうしましょうか」


「おい、オベールさんの前でよくそんなことが言えるな!」


「お待ちくださいチュン二郎さん、上をご覧になって!」


「ん、何だありゃ? 空飛ぶグレムリン!」


「飛行種だ!」


 ラ・トゥールが叫ぶと同時に、機械の翼を背中に付けた小悪魔たちが続々と城門の上へと降り立った。


「さっそくお出ましだ。なるほど、まずはこいつらと戦わせて小手調べってわけか」


 しかしグレムリンたちはこちらに構うことなく、手にしている金属の容器を傾け、扉に液体をかけ始めた。するとたちまち湯気がもくもくと立ち昇っていく。


「やかんだ! お湯かけてる!」


 飛行種は仕事を終えるや再び機械仕掛けの翼を動かし、城の方へと戻っていった。


〝フハハハハハハハ!〟


 どこからか笑い声が聞こえてきて、扉が開くとともに、懐中時計が浮き上がった。


《よくぞたどり着いた、人の子よ。わがアンデルット城にようこそ!》


「段取り悪くてかっこわるっ! 文章もいつもより焦って打った感じがするし、よく見たら誤字ってんじゃねーか!」


「開幕は不戦勝のようだな」


「今の戦ってたの!?」


 きっと魔王ってのは暇なんだ。会いに来てもらいたくてたまらないんだな……。

 こんな雪山の谷にひっそりと訪れて余暇を過ごしているくせに、あんがい退屈しているのかもしれない。


「しかしくれぐれも油断はしないほうがいい」


 門をくぐる直前で、ラ・トゥールが急に真面目な表情でクギを刺してきた。


「それはわかってるけど、これまでだって殺そうと思えばいくらでも殺せただろう。なんというか、完全に遊ばれてるみたいだ。俺たちにとって都合が良すぎる」


「おそらくピットナッチオは、機械神を創造して魔王に取り入ろうとしてるんだろうけど、魔王はいったい何してんのかしらね。部下の不祥事は上司の責任でしょ」


「辞任するかもしれないな」


「んなわけあるかっ!」


 ほどよく恐怖が薄れたところで、俺たちはとうとうアンデルナット城に侵入した。

 あらためて見ればとても美しい城である。手入れされた庭と黒い尖塔はうっすらと雪化粧をまとい、カメラを持っていれば思わずシャッターを押していただろう。

 そもそも異世界のこんな場所に来れるなんて夢にも思わなかった。残してきた妹や弟たちには、また謝らなくてはならないな。


 ここでも教会と同様にガーゴイルが左右に立ち並び、みな雪の帽子をかぶって静かにたたずんでいた。醜悪な怪物たちにしては、なかなかおしゃれではないか。

 とはいえ二度もじっくり見るほど俺たちも暇ではない。そのまま突っ切って正面扉まで歩いていこうとすると──


 ボト。


 背後から雪の落ちる音がした。

 嫌な予感しかしない。完全に油断していた。

 恐る恐る振り返れば、猫の頭をした蜥蜴とかげのモンスターが、台座から長い首をこちらに伸ばしていた。


「た、タラスクって言ったっけ……?」


「違う、こいつはシュトレンヴルム!! ドラゴンの一種よ!」


「ドラゴンだって!?」


 途端に、恐怖心よりも謎の高揚感が全身にみなぎってきた。


「なんか顔がかわいい気もするが、ドラゴンはドラゴンだ!」


「なに喜んでんのよ!」


「だってドラゴンだぜ!」


「シャアアアアアアア!!」


「来るぞ! 気をつけろチュン二郎!」


「はうっ……」


 オベールさんはとりあえず泡を吹いて失神した。ラ・トゥールが背後から彼の腕をかかえ、ずりずりと遠ざかっていく。


「頑張って二郎! あたし応援してるから!」


 隣にいたはずの少女はいつの間にか忽然と消え失せていた。声の方へ振り向けば、怪物の姿に刈り込まれた植物の影に隠れながら、ケミカルライトを振るカロルの姿が見える。


「ちょ、お前ら逃げてんじゃねーよ!」


「クンクン、クンクン……」


「うん、なんだ? うわあっ!」


 突然、シュトレンヴルムは長い首を伸ばして俺のすぐ目の前に顔を突きつけ、瞳を閉じながら匂いを嗅ぎはじめた。


「こいついったい何をして……ハッ!」


「キューッ!」


「猫とネズミ!」


「シャアアアアアアア!!」


 なぜアルプスに猫頭をもつドラゴンが存在するのか。どうしてよりにもよって俺の苗字は鼠尾で、ペットにネズミを連れているのか。すべては運命だったのだ。


 ジャジャジャジャーン!


 脳内にベートーヴェンの有名な交響曲が流れた。

 と同時に怪物が大口を開けて突っ込んできて、すんでのところで横に転がり、これをかわす。さいわい雪がクッションとなり痛みは感じなかったが、シュトレンヴルムはすぐに次の攻撃態勢を整えた。


「そいつは毒をもってるから気をつけて!」


「そんなこと言われたってどうすりゃいいんだ! なにか弱点はないのか!」


「雄鶏に弱いらしいわ!」


「オンドリ? コケコッコーで退散するってのかよ!」


 ダミーだった彫像を盾に攻撃をかわしていると、猫と蜥蜴の合成獣は喉元を大きく膨らませ、俺に目掛けて紫の毒液を飛ばしてきた。


「うわっ! 汚ねえ!」


「医者がついてるから、安心して!」


「そりゃ頼もしいこった!」


 俊敏なドラゴンの攻撃を逃げながら考えるのは至難の業だ。鶏の曲といえばふたつほど思い浮かぶが、どちらも大して激しい曲ではない。

 しかしグレムリン相手にトライトーンが効かなかったことを裏返せば、敵の弱点を突けばより効果的であることは明白。ここは素直にヒントを尊重するべきだろう。

 ならば、よし。びしりと人差し指を突きつける。


「貴様にふさわしい曲は決まった!」


 サン=サーンスの『動物の謝肉祭』。さまざまな動物をテーマにした全十四曲からなる組曲で、『動物学的大幻想曲』なんてご大層な副題をもつ。

 その中に『雄鶏と雌鶏』が混じっているのである。全体的に明るくて楽しい雰囲気の作品だが、アップテンポの『終章』ならば武器として不足はないだろう。

 神秘的な『水族館』が最も好きなのだが、こいつで弾くにはちょっとミスマッチ。いや、それも悪くはないかもしれないな。


 急いで相棒にトレモロアームを装着して、眼鏡を外す。この間は正直かっこ悪い。先にやっとくべきだった。

 咀嚼したチーズを飲み込んで、鈴を振るような軽快なリズムでスタートを切ると、大量の音波がシュトレンヴルムの顔面に直撃した。


「ニャアッ!」


 散々こちらに毒を吐いておきながら、今さらかわいく鳴こうたって許さんぞ。頭が猫だろうが竜は竜。俺はこいつを倒して、ドラゴンスレイヤーになるのだ。


「キシャアーッ!」


 さすがに魔王城の門番を任されているだけあって、雑魚のグレムリンとはレベルが違う。吹奏楽のマーチングバンドで動きながらの演奏には慣れているものの、化け物の攻撃をかわしながら曲を弾くのは正直つらい。

 運動神経はそこまで悪くもないが、敵は圧倒的にその上をいく。音波でダメージを与え続けなければ、軽く首が飛びそうだ。

 そう思った直後、顔をかすめて振り払われた前足が、彫像のひとつを粉々にした。


「危ない! 早くやっつけて!」


 無茶を言ってくれる。見えないところで応援されたって勇気は湧いてこない。

 気づけばいつもの不思議な伴奏に混じって笛の音が聞こえていた。ラ・トゥールがこっそり援護してくれているのだ。

 俺は思わず笑みをこぼすと、指が千切れそうなほど高速のリズムを刻んで、猫頭のドラゴンに連撃を加えていく。タフな敵といえど、ダメージは着実に蓄積されているようで、動きは段々と鈍くなり、こちらの攻撃から逃れようと闇雲に暴れまわる。


「あっ!」


 演奏中にもかかわらず、俺は思わず叫んでしまった。

 突如として現れた門番に気を取られて気づいていなかったが、立ち並ぶ彫像の中にひときわ立派なもの──おそらく魔王像があったのだ。

 だが蠅の頭を確認した直後、それは粉々に砕かれてしまった。


「おいおい、ご主人の大切なもん壊して大丈夫なのかよ!」


「ニャ、ニャア……」


 やらかしたペットが素知らぬ顔で誤魔化す動画がときおり話題になるが、どうやらドラゴンも同様のようである。


「ニャー、ニャー!」


「俺のせいにするな!」


 開き直ったシュトレンヴルムは怒涛の猛攻をしかけてきた。俺が逃げまわるたび、背後から彫像が次々と破壊されていく悲惨な音が聞こえてくる。

 とその時、崩れたがれきに埋もれ敵の動きが大きく鈍った。この機を逃すわけにはいかない。すかさず俺は振り返り、音波をぶつけまくる。


「ギニャアアアアア!」


 いいぞ。夢の中で兄さんに教わったアームも効果的に使いこなせている。

 ……あれ、魔王に教わったんだっけ?

 今はそんなのどうでもいい、演奏に集中しろ! この曲は二分もない。急げ急げ! 体の動きは勝てなくても、指の動きは負けていないぜ!


「グニャ……」


 かなり効いている。あともう少しで倒せる。

 よろめくシュトレンヴルムは劣勢を悟ったか、相打ちを覚悟で飛びかかってきた。

 もう曲も終わり。指も足も限界な俺は、逃げずに真っ向から立ち向かった。


「これで終わりだ! くたばっちまえ!」


 甲高い少女の悲鳴とともに目の前が大爆発を起こす。

 俺は爆風に煽られ、足を踏ん張ったまま後方へ吹き飛ばされる。

 その衝撃がやみ、周囲を舞っていた白煙が散り失せたとき、猫頭のドラゴンは雪に埋もれて倒れていた。


「……勝った」


 歓声を上げて駆け寄ってきたカロルに飛びつかれたが、頭は興奮と不安に渦巻いていた。これが門番だって? グレムリンなんかとはわけが違うじゃないか……。


「勝ったんだから喜べばいいじゃん」


「そうだな。俺もこれでドラゴンスレイヤーの仲間入りだ。チビどもにいい土産話ができた。……ん、なんだ? また時計が!」


 突然、ポケットの懐中時計が飛び上がり、例の赤文字を虚空に浮かばせる。


《やるではないか。初戦突破おめでとう!》


「いや、メール代わりに使うなっ!」


 段々とおちゃめな本性を現してきた魔王なのであった。

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