第24話 堕天使と血まみれ教会
赤黒い光に照らされたゴシック建築を前にして、俺たちの足は止まってしまった。
「おかしい。僕が以前アンデルナット城に来たとき、教会はあのような
「何があったのだろうか。一面が血で塗りたくられているようだ」
ラ・トゥールに続いて、それまで黙っていたカロルがようやく口を開く。
「悪趣味すぎでしょ。なんだか嫌な予感しかしないわね」
「同感だ。男は黒に染まるもんだ。赤なんて余計だぜ」
「髪の毛が青い奴にだけは言われたくないと思うわよ」
「ま、まあ、とりあえず行くしかないよな。たとえ罠だったとしても。というか罠としか思えないが……」
敵がわざわざこちらのために用意してくれたものを素通りするわけにもいくまい。目的はジェランドさんの救出と時計の回収だが、無視をしたら城門を開けてくれないような気がしてしまう。なんとなく魔王っていうのはそういうキャラクターなんじゃないだろうか。
鉄扉の前へとたどり着くと、俺は大声で呼びかけてみることにした。
「ごめんください。どなたか──」
言いかけるやいなや、門は招き入れるかのごとく、きしみながら開かれた。
どうやら選択肢はないようだ。外は寒いし、いつまでも戸惑っていても仕方ない。全員で顔を見合わせてうなずき合い、意を決して乗り込むことにする。
道の両脇には、不気味な石の彫像がずらり立ち並んでいた。苦悶の表情を浮かべた人間やなにかの幼虫、死体を喰らう怪異や獅子面の怪物などが入り混じっている。
「うわぁ……ほんといい趣味してるわ。グールやタラスクまであるわね」
「これってガーゴイルってやつか? 不意討ちしてくるっていう……」
目を離せば動き出すのではないかと思い、そろりそろりと歩を進めるが、最後までそれらが怪物と化すことはなかった。
教会の扉もまた、俺たちが近づくと自動的に開かれた。どこのどなたかは知らないが、つくづく気の利いたことだ。
建物の中は真っ暗だった。これまで先頭を歩いてきたラ・トゥールは恐れたわけではないにしろ、俺をちらと見てきたので、ここは男を見せることにした。
「たのもーう!」
大声で自らを鼓舞して入口をくぐり、中央に歩を進める。
どうやら人がいる気配はないようだ。ひとまず何事もなくて、ほっと安堵する。
と、突然──
ジャーン!!
どでかいピアノの音ともに、ぱっと蝋燭の火がともり、内部が明るく照らされた。
壁面には真っ赤な血が、これでもかというぐらい乱雑に塗りたくられている。
そして正面には、真っ白な衣をまとうひとりの男性が。
「うわあああああ! ……って、神父さま? 心臓が飛び出るかと思った……」
「皆さま、遠路はるばるようこそいらっしゃいました。わが名はベルヒトルト。この教会にて大司教を務めておる者にございます」
「……だ、大司教?」
緩やかなチュニック──ダルマティカに身を包み、頭には布製の冠ミトラ、首からは聖なるシンボル。純白の装いに明るい笑顔をたたえ、見た目には穏やかそうな男性である。
しかしその怪しく赤く輝く瞳は、明らかに常人のそれとは異なっていた。ゆったりとした動きで両手を広げ、いきなり甲高い笑い声を上げ始める。
「イーヒッヒッヒッヒッ!」
やはり始まってしまった。狂気を宿した聖職者。こいつかなりのヤバい奴だ。
俺たちが呆気にとられていると、彼はふと笑うのをやめ、再び優しそうに語りかけてきた。
「外はたいへんお寒かったでしょう。今夜はどうぞこの教会をお使いになり、長旅の疲れをお癒しください」
「……は、はあ。今のはいったい何だったんだ……」
「はて、どうかなさいましたか?」
「いいえ、なんでもございません!」
取って食われるのかと思いきや、ここでくつろいでいけとは、これいかに。
どうしたものかと戸惑っていると、奥から若くて美しいシスターが現れて、俺たちを客間へと案内するという。どう考えても胡散臭い教会だが、こんな寒い冬の夜に、外で寝泊まりする気にもなれない。潔く諦めて、厚意を受け入れることにした。
「部屋はふたつございます。殿方と娘さんの二組でよろしいですね」
するとカロルがすかさず言った。
「いいえ! 若者と成人で分かれます!」
「まあ、なんて破廉恥な!」
「ちょ、ちょっと待ってくれ! さすがにそれは……」
「こいつは安全だから大丈夫よ!」
シスターは困った表情を浮かべて、ラ・トゥールに目をやる。
「……よろしいのですか?」
「まあ、彼はあっちの気があるから、そのほうが安全だ」
「あらぁ~、そうなんですね!」
「いや違うから! 納得しないでください!」
ひどい誤解を招いたが、理解のある腐ったシスターであった。
こんな状況で何かが起きるわけもないだろうに、まったく失礼な話だ。
……いや、何も起きないわけがない、か?
ともかくとして、俺たちは二組に分かれ、ここで一泊することになったのだった。
「暖炉に火がともってるわ。まったく妙なことになったものね。あの掘っ立て小屋と同じく、ここもすべてがまやかしなのかしら」
「さあね。襲ってくる気がないとはとても思えないが。それにしてもよかったのか? 本当にふたりで」
「チュー太郎がいるじゃない。べつに男と同部屋なんてどうってことないわ。患者の看病をしてて寝落ちしたりなんてざらだから」
「それはそれで心配になる奴だな……」
「あ、雪が降ってきた」
「またか。どうりで寒いわけだ」
すっかり真っ暗になった窓の外を見やると、ちらほらと白い粉雪が舞っているのがうかがえた。急にぶるっと身が震え、あらためて置かれている状況が恐ろしくなってきた。敵の魂胆は何だ。なにもかも不自然すぎる。
気を張っているとまたシスターがやってきて、風呂の準備ができたという。丸一日歩き続けて、多少汚れが気になっていたから、これはとてもありがたかった。
特にハプニングが起きるわけでもなく、ひとりずつ順番に利用した。意外にも清潔で近代的な設備で、この世界の技術力も大したものだと感心させられる。芯まで冷え切っていた体の隅々がぽかぽかとなって、すっかりいい気分になった。
最初はおっかなびっくりだったけど、意外と親切な人たちなのかもしれない。
持ってきた保存食を持ち寄って話でもしようかと思っていたところ、またシスターがやってきて、今度は夕飯の支度ができたという。俺は食べるわけにはいかないが、一緒に付いて行くことにした。
「へえ、ずいぶん本格的だな。食べれないのが残念だ……」
蝋燭が立ち並ぶ長机には、ひとつの席を除いて、銀の蓋で覆われた食事がきれいに並べられている。表世界に戻る気がなければ俺も味わえるというのに、じつに残念であった。
朗らかに笑顔を浮かべる大司教が上座につくと、シスターとラ・トゥール、カロルとオベールさんが向き合って座り、俺は何もない席に腰かけた。
突然、皆が手を組んでお祈りが始まったので、慌てて目を閉じる。
「父よ。あなたの憎しみに感謝して、この食事を頂きます。ここに用意されたものを
「……ん、なんか違くないか?」
「よし、それじゃあ、ありがたくご馳走になるとしようか」
「あたしもうお腹ぺこぺこ」
「とても良い香りがしますね」
「いや、誰かツッコんで!」
俺を除く全員が一斉に銀色の蓋を開ける。
そこには、赤くてぶよぶよした何かが置かれていた。
「ちょっ!」
「何よこれ!」
謎の食べ物はドクンドクンと脈打ち、小刻みに膨張と収縮と繰り返す。
いや、これは俺でなくても食べてはいけない代物だ。
大司教とシスターがナイフで突きさすと、ブシューと音を立てて真っ赤などろどろの液体が噴き出し、周囲にぼとぼとと撒き散らされた。ふたりはまったく意に介する様子もなく、皿に乗った物体を丁寧に切り分けては口に運んでいく。
俺はそれを見て、持ってきた乾パンと干し肉を食べる気力も失せてしまった。
同じく呆気にとられていたカロルは、椅子を少しずつこちらに近づけてくる。
「ほうほう、なかなかイケるじゃないか」
「ラ・トゥール、なに食ってんだよ! そんなもの食べたらお腹こわすって!」
信じがたいことに、マイオマンサーは怪しげな物体を美味しそうに頬張っていた。
「オベールさんもなにか言って……って、し、死んでる!?」
穏やかな青年はいつの間にか、仰向けに椅子にもたれかかって泡を吹いていた。
「おや、おふたりのお口には合いませんでしたか?」
「あたしはちょっとお腹いっぱいで……。二郎、オベールさんを運ぼう!」
「お、おう……」
俺は気絶した青年を背負うと、カロルと共に逃げるようにその場をあとにする。
さいわいオベールさんは生きていたが、とうぶん目を覚ましそうになかったので、そのままベッドに寝かせて引き上げることにした。
「うっぷ。今日はもう食事はいいや……。ラ・トゥールのやつ、なんであんなもんを平気で食ってんだよ」
「同感ね。お腹は空いてたけど、明日にするわ。あの人は昔から、拾い食いをしてはぶっ倒れたりしてたから、べつに不思議ではないかな」
鼠占い師は図書館から追い出されたと言っていたが、ひょっとしたら、迫害されてきた過去でもあるのかもしれない。
「ともかく今日は寝るとするか。おやすみ、カロル」
「おやすみ、二郎」
ずっと「あんた」と呼ばれていた気がするが、いつの間にか名前になったようだ。チュン二郎と続けられるとネズミになった気がするから、正直そのほうがいい。
それにしても今夜は冷えるな。そろそろ雪も積もった頃合いだろうか。
ふと窓を見やると、雪だるまがひとつ、こちらを覗いてたたずんでいた。
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