第20話 堕天使と三日月湖

 すっかり夜が更けた午前0時。俺たちは動き出した。

 数日分の食料と自慢のエレキギターを背負い、ポケットにはチュー太郎。もちろん例の時計とチートなチーズもばっちり確認した。

 ちからを得れば視力まで強化されるのを考慮した結果、コンタクトは外して眼鏡を掛けることにした。勿体なかった気もするが、まあ無駄にはなるまい。


「さて、出発するとしよう。くれぐれもわたしから離れないように」


 やけに荷物の少ないラ・トゥールが、ランタンを提げて先頭を歩く。薄く積もった雪を踏むたびに、愉快な音を立てて気分を盛り上げる。


「今回は偵察とのことですが、アンデルナット城にはどうやって行くんですか?」


「そうだな。レマンヌス湖からローヌ川を遡っていくのが楽だと思われるが、途中、『悪魔の住処』と呼ばれる山の麓へ迂回することになるだろうね」


「レ・ディアブルレ山ですね。どうしてそのルートを?」


「聞いてのとおり、ここは妖精の世界。彼らとの接触はなるべく避けねばならない」


「むしろ会いたい気もしますけどね。妖精も悪魔を恐れているのかな」


「おそらくね。そこから南西へ向かい、川を超え、『悪魔の橋』を目指す。表の世界ならば、ずっと東のゴッタルト峠のものが有名だが、似たようなものは至る所にあるのだ。アンデルナット城は、その先のダン・デュ・ミディ山の峡谷に位置している」


「悪魔ばっかりだ。おふたりはよくそんな場所まで行きましたね」


「父を救うために無我夢中でした」


「でも結局は助けられず、師匠は今もアンデルナットの山頂に眠っているのです」


 悲痛な面持ちをしているのが見なくてもわかる。大切な人を地に埋めて帰るなんて想像したくはないし、考えたこともなかった。


「そろそろ灯りを消すよ。月が出ているけれど、足元には気をつけて」


「三日月だと星がよく見えるわね。まだ敵の気配はないみたい」


 街から湖までは思ったよりも近かった。まだ闇に目が慣れていないため、さざ波の音だけが聞こえる水辺は底知れぬ恐ろしさを感じた。

 ラ・トゥールいわく、ネズミ捜査網の情報では、人間の世界で分解してきた部品を街の工場で組み立て直し、夜間に湖から運んでいるのだという。


「湖にはオンディーヌを始め、水にまつわる妖精がたくさんいる。グレムリンたちもおいそれと手荒な真似はできないはずだ」


 表の世界なら、湖畔には家々が立ち並んでいるはずだが、ここではほとんど自然のままだった。しかし小さな桟橋が作られていて、そこに一艘いっそうの小舟が泊まっている。


「あれが手配した船だな。我々は少し遠回りをしたのだが、連中は街に近い波止場を利用しているらしい。さて、ジェランドさんとオベールくんはここでお別れだ」


「はい。どうか皆さんもお気をつけて」


「道中の無事をお祈りしています」


「付き添いありがとうございました。気をつけて帰ってくださいね」


 暗がりの中、遠ざかるふたりはいつまでもこちらに手を振ってくれていた。

 こんな平和な湖にグレムリンなど本当にいるのだろうか、と思ったその時、カロルが急に足を止めた。


「ちょっと待って」


「君も気づいたか。つい先ほどまで、まったく気配がなかったのに」


「どうやらハメられたみたいね」


「何だって? そりゃどういう意味だ」


 疑問に答えるかのごとく、周囲の暗闇からぞくぞくとグレムリンたちが現れた。


「こいつらいったいどこから……。まずい、ジェランドさんが!」


 慌てて振り返った闇の向こうから、甲高い悲鳴と青年の叫び声が聞こえてくる。

 すかさずカロルが両手を天に掲げると、夜空に強烈な灯りが輝いた。

 魔法だ。だが驚いている暇などない。視線の先に、獣型から襲われているオベールさんと、人間より少し小さな人影につかまれたジェランドさんの姿が見えた。


「ピットナッチオ!」


 間違いない、それは時計盤の仮面を着けた奇怪な老人。


「ひっひっひ。まんまと引っ掛かったようだな」


「横恋慕してんじゃねーぞ、ジジイ! その人を離せ!」


「助けてほしくば、その時計と引き換えだ。修理を終えたのはわかっている」


「ダメです! この者の言葉を信じてはいけません!」


 自らの危機にもかかわらず、気丈な女性はこちらを制した。


「どうするの?」


「決まってるだろ、こうなったら時計を渡すしか……」


「いけません! この者はお父さまを蘇らせる気なのです!」


「ジェランドよ、そうよそよそしくするな。おぬしはわが妻となるのだからな」


「きめえんだよ! 人の恋路を邪魔する奴は、この俺様が許さん!」


「ふむ、交渉決裂か。結構。だがおぬしの相手は我ではない。それではご機嫌よう」


「待て!」


 ピットナッチオはジェランドさんを抱えたまま、忽然と消え失せた。


「くそっ、どうすりゃよかったんだ……」


「とにかく今は、こいつらをなんとかするとしよう」


 そう言ってラ・トゥールは、倒れたオベールさんのもとへ向かう。

 やるしかないか。覚悟を決めて、懐のチーズをひとかけら削り取る。目の前で恋人をさらわれた青年を見て、ふと名案が閃いた。

 人生は一度きり。やれるときにやらないと、後悔する羽目になる。


「ふふ。オリジナル曲のファーストステージが、こんなシチュエーションになるとは思わなかったぜ……」


 俺は舌をべろりと出し、想いを伝える相手に手でつくったピストルを向けた。


「カロル、君にこの曲を捧げよう」


「えっ? 何なのよこんな時に!」


「ピュウ! やるじゃないか!」


 さすがはラ・トゥール。こんなときでもノリのいいおっさんだ。


「行くぜ、ドミナント・セブンス・コード!」


 何気なく思いついた格好いい単語を叫んでみる。

 かねてから自作の曲を作りたいとは考えていた。音楽の授業で声に自信を失う体験を味わい、バンドで何のポジションにつけるかを考えた結果、歌作りに思い至った。

 家に帰るのが嫌で、先生が許す限り音楽室で楽器を奏で続けた日々は、決して無駄ではないはずだ。今日この日のために、俺は己の才能を磨き続けてきたんだ。


 聞いてくれ、カロル。眼鏡を外してチーズを飲み込み、心の中で語りかける。

 叶うかどうかもわからない恋心。不安と期待の入り交じる思いの丈をストレートにぶつけてみせよう。

 全身にちからがみなぎり、指先から儚げな旋律があふれ出した。


「おうふ、これはひどい……」


 しかし返ってきたのは、期待とは異なる反応だった。

 振り向けば、パイド・パイパーは苦虫を噛み潰したように顔をしかめている。


「こ、これは悪魔の旋律……うぅ……」


 無事だったオベールさんが泡を吹いて倒れた。


「なんでよ! 何がいけないの?」


「悪魔だって? そ、そうか、トライトーン……!」


 三全音トライトーン──それは最も響きが不快であるとして、長らく教会から使用を禁じられていた不協和音。『音楽の悪魔』として忌み嫌われていた存在である。

 己に自信がもてなくて、つい不安の気持ちが多く表れてしまったらしい。

 今を生きるであるカロルは平気のようだが、古き価値観を重んじてきたのであろうふたりにとっては、耐えがたき音色であったのだ。

 一方のグレムリンたちは、不気味な音色にむしろ活気づいたかのようにも見える。


『ギャッギャッ!』


「あいつら喜んでるわ」


「そ、そんな……」


 こんな事態はまるで想定外だ。

 固められた髪は依然として天を向いたままだが、心は完全に折れてしまった。

 時は刻一刻と過ぎていく。頭が真っ白になり、残り時間で何を演奏すればよいのかまったく思いつかない。チー牛の無双もここまでか……。


「まだ諦めちゃダメ! こんなこともあろうかと、じつはあたし、子供のころ学校で使ってたリコーダーを持ってきたの」


「カロル、吹けるのか!」


「ええ、任せなさい。助け合うのが仲間ってものよ」


 仲間、か……。俺はいったい何を焦っていたんだ。

 ちょっと前まで衝突していた仲なのに、告白だなんて気を急ぎ過ぎたんだ。

 うなずき返して無言のやり取りを交わすと、カロルは自信満々にリコーダーを口に添え、呪曲を奏で始めた。


 ピ~ヒョロロ……ル? プ、プヒュー、プピィ……ピィッ!


 場に沈黙が流れた。


「……う、うん、頑張った、もうそれぐらいでいいよ。申し訳ないけど、君はファンに回ってくれないか」


「オーケー! ケミカルライトも用意してある!」


 やはりあの男の友人である。頼りにした俺が間違っていた。

 どんな副作用があるかは不明だが、今はオーバードーズを覚悟してチートなチーズをキメるしかない。


「待て、チュン二郎。ここはわたしに任せてもらうとしようか」


「ラ・トゥール!」


 完全に人任せで動こうとしないから忘れるところだった。彼は所属する魔術結社において、マスターを名乗れる地位にあるマイオマンサーなのである。


 ピロリロリロ~ン!


 まずは軽快なリズムで勢いを整える。不安が薄れるような心地よい響きだ。

 続けて汽笛のように甲高い響きを鳴らし、武器を振り上げた敵の動きを止める。

 さらには安らかな子守唄ララバイによって、数匹単位で眠りに落としていく。

 乱暴に音波で吹き飛ばしていた俺とは異なり、じつに彼らしい平和な手捌きだ。


「すごい、これがマイオマンサーのちからだというのか……」


「でも敵の数が多すぎるわ!」


 いったいこれほどの数がどこに潜んでいたのか。魔術師ふたりが感知できなかったことを思うと、いわゆる召喚のようにどこからか送り込まれたのかもしれない。

 不意に一匹が俺に飛びかかってきて、相棒のギターに触れようとした。


「やめろ! こいつにだけは触れるな!」


「きゃあっ!」


 悲鳴をあげた少女のツインテールには、別の二匹がぶら下がっていた。

 まずい、やはり俺も手を貸さなくては──

 そう思った瞬間、安らぎを奏でていた笛の音色は楽しいリズムに変化した。

 と同時に、俺もカロルもグレムリンも、揃ってコサックを踊り出す。


「な! なんなんだよこれは!」


 意思に逆らい体が動き続ける。どうやらラ・トゥールは、危機を察して呪歌の範囲を拡大した結果、味方をも巻き込んでしまったようだった。

 だが皆その場にとどまってリズムを刻むだけで、時間稼ぎにしかなっていない。


「どーすんだよコレ! ふざけてないで、早くなんとかしてくれ!」


 するとまた音色が変化した。初めて耳にするが、楽しげな行進曲のようだ。

 パイド・パイパーを先頭にして、グレムリンが列をなしてぞろぞろと付いていく。俺とカロルもその軽快な音色に逆らえず、妖精たちの後ろに続くことになった。


「どこに行く気なんだ!」


「げげっ! あっちはまさか!」


 ラ・トゥールは桟橋に向かっていた。その先には、真っ黒な水面にきれいな星々を浮かべた夜の湖が手招きしていた。


「ウッソだろ!」


「このままじゃ落ちちゃう!」


 男は橋の先端まで歩みを進めると、片手で簡単なリズムを維持したまま、あたかも案内するかのようにもう片方の手を湖へ向けた。


「ギャー!」


 ボチャン!


 目の前で、獣じみた妖精たちが一匹また一匹と、音を立てて落ちていく。


「止めてくれえええ!」


 とうとう俺の番がやってきた。あれだけたくさんいたグレムリンはみんな水の中。これではまるで、海賊船から落とされる板歩きの刑のようではないか。

 極寒の湖に落ちる光景を想像して心は強張るも、足は動き続ける。

 もうダメだ、おしまいだ。まさか仲間の手によって命を落とす結末になろうとは。

 目蓋の裏に兄さんの顔がよぎった瞬間、笛の音色はぴたりと止まった。


「た、助かった……」


 俺はへなへなと桟橋の上に崩れ落ちた。本当にあと一歩のところだった。


「どうだ、参ったか」


「……参りました」


 よくはわからないが、また敗北してしまった。

 文句のひとつも言ってやりたいが、気絶していたオベールさんをとりあえずたたき起こし、これからどうするかを話し合うことにした。

 湖に落ちたグレムリンは映画のように増殖することもなく、水の精霊オンディーヌたちのおもちゃとなって、どこかへと流されていった。


「このまますぐにジェランドさんの救出に向かいましょう」


「僕も連れていってください!」


 案の定、オベールさんはすかさず言葉を挟んできた。待っていればこんな事態にもならなかったというのに、まるで懲りていない。気持ちはわかるが、戦えない人間が付いてきても邪魔なだけだ。


「君は君のやれることをやるといい。きっと何かがあるはずだ」


「悪いわねオベールさん、このボート三人用なのよ」


「恋人を奪われてただ待つだけなんて、僕にはできません! そこに隙間があるではないですか!」


「この空き、この空きが重要なんだって」


「詰めれば乗れるはずです! さあ、もっと奥へ!」


「ちょっと押さないで! そもそも食事はどうするんですかっ!」


「こんなこともあろうかと、じつは用意していたのです!」


 どうしたものかと迷っていると、ラ・トゥールは呆れたように言った。


「仕方ない。ここはわたしが残るから、三人で行ってきてくれ」


『いい加減にしろ!』


 結局、小さなボートに四人でぎゅうぎゅう詰めになりながら、湖を渡った。

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