第18話 青白き焔をまとう漆黒の堕天使、原宿の地に降臨す
ここは日本の原宿、その表の世界。
かの宮沢賢治がいわく、理想郷イーハトーブとは、アリスが冒険した鏡の国などと同じドリームランドの東に位置するという。
平面世界をこまめに張り合わせていけば、やがて球体を描くことができる。表が表でつながっているように、裏は裏でつながっているのかもしれない──。
「俺がコンタクトを入れる日が来ようとは」
「目をこすっちゃダメよ」
「まだなんとなく違和感があるな……」
俺とカロルはまず眼科にいかねばならなかった。当然この髪型のままであり、服は元のダサいままであったから、拷問にも等しい思いがしたのは言うまでもない。
購入を済ませて電車で移動し、現在は道の端っこで目をしばたたかせながら服屋を探している最中だ。
「お金がないとか言ってたくせに、スマホはあるんだ」
「おじさんと連絡するために必要なんだ。カロルはどうして持ってないんだ?」
「あっちじゃ使い道なんてないわよ。グレムリンに見つかったら壊されちゃう」
「すでにこっちにも現れてるし、今に大変なことになるぞ」
「雷の精霊が近くに来るだけでも、精密機械は簡単に故障するよ」
「そんな奴までいるのか。持ち歩かないほうがよさそうだ……」
会話をしながら、パンク・ファッション、原宿……で検索。
いろいろ出てくるが、俺にはわけがわからない。
「そもそも向こうの世界はどういうとこなんだ?」
「そうね、平たく言えば妖精の世界。迷い込んでしまった人間が勝手に住み着いた、という感じかしら」
「なんだか侵略者みたいだな」
「今でもそう思っている種族は多い。グレムリンは人に寄生して生活するのを覚え、ふたつの世界を行き来し始めたと言われている」
「病原菌まで運んでるとなると、なかなか厄介な状況だ」
画面に、どう見てもヤバいおっさんが映るやいなや、彼女は手で遮った。
「それよ、そいつがいいわ。『Bloody Bones』か」
「本当にこんなものを着るのか……」
「いまさら何を言ってるの。今のあんたはとんでもないチグハグの状態。これまで私が見てきた人間のなかで、間違いなくワーストよ」
「ひどい、そこまで言うか」
「それにもっと言葉遣いを荒くしなさい。そんなんじゃ舐められるわ」
「そんなこと初めて言われたぞ。せめて店員さんには丁寧語を使わせてくれ」
「買ったあとはメイクよ。道具はあるし、どこかいい場所を見つけておいて」
どんどん改造されて、本当の自分どころか、自分が自分でなくなっていく気分だ。このまま突き進んでいいものか、どことなく不安がよぎる。
「それにしても何なの、さっきから人のことガンつけてきやがって。日本人ってのは意外と好戦的なのね」
こいつ自覚がないのか……。
すれ違う男たちが、カロルを目にするや首が固定されているのだ。連れ立って歩く女性に腕を引っ張られたりもしている。
まあ、雑魚どもにはいい目くらましだ。たまに俺を見て吹き出す人がいてつらい。
大通りから脇道へ逸れ、地図とにらめっこしながらたどり着いた先に、その小さな服屋はあった。血塗れの
サングラスを掛けた陰気な店長さんは見かけによらず良い人で、俺が初心者であると知ると、初めてならこれ、背伸びするならあれ、と次から次へと紹介してくれた。
「今日のあたしは、改心したスクルージおじさんよ。なんでも買ってあげる」
「なるほど、『クリスマス・キャロル』か」
カロルは
もっとも女の子の中身があんな印象の悪い老人だとは思いたくないが。
彼女は俺の意見にまったく耳を貸さないで金に糸目をつけず、オマケで置いてあるアクセサリーまで購入してしまった。
たぶん店長さんは、俺がカロルのおもちゃか下僕だと思ったに違いない。ついでに探していた化粧室まで提供してくれて、ほくほくの感情が表に現れていた。
今どきの男子は美容にも気を使うとされるが、これまで無縁だった己は、自分磨きを怠っていたと言われればそれまでである。
また椅子に座らされ、顔面を塗りたくられていく。細かく動く毛先がこそばゆい。
真剣な顔が近づいて赤みを帯びた頬が、白く染まるのはかえって好都合だった。
それが終わるや、今度はご指導の時間だ。
「もっと堂々としなさい」
「そうだ、顔を上げて背筋を伸ばして」
「余裕ぶった笑みを浮かべるの」
「今の君は堕天使だ。己を磨きあげれば、伊達ワルの神は裏切らない」
店長さんまでノリノリで注文をつけてくる。
最後にはうっすら涙を浮かべて、首に孔雀のペンダントを掛けてくれた。若かりしころの自分を継いでくれとのことである。いったいどういう意味かは不明だが。
「さあ、夜の街に羽ばたくといい。男は黒に染まれ!」
最初は寡黙だった店長さんに見送られ、俺たちは店を出た。
かくして、青白き焔をまとう漆黒の堕天使ゼクスさまが原宿の地に降臨した。
自分で言っていても恥ずかしいが、割り切らなくてはつらいだけだ。
ド派手な格好のまま電車で地元に戻り、食事を買い足してから戻ることにした。
「ほら、また猫背になってるわよ。それじゃ弱く見えるでしょ」
「チーズを食べれば強くなれるけど、今はそうじゃないからな」
「人間ってのはたいていハッタリなの」
「
「ケレンミ? なにそれ」
「元は歌舞伎の言葉だよ。邪道から奇抜へと意味が変わっていったらしい」
「ああ、カブキ、ゲイシャ、フジヤマね、知ってる知ってる」
「本当にわかっているのか。なければないでつまらないと言われてしまうし、難しいもんだ……ん?」
「どったの?」
前方から、こともあろうに見知った少年たちがこちらへやってくる姿が見えた。
「これはまずい。いちど隠れよう」
「なんでよ。あいつらがどうかしたの?」
「いつも俺のことからかってくる連中なんだ」
「びくびくすんな。今のあんたは別人でしょ。バレっこないって」
「……それもそうか」
と突然、横道から見るからにヤバそうな集団が現れて、連中と接触してしまった。
「いって」
「なんだてめえ、どこ見て歩いてんだ?」
「げ……」
「おいィ? 革ジャンに傷がついちまったじゃねーか」
「そっちからぶつかってきたんじゃないですか」
「なんだと、やんのか?」
「あーあ、こいつを怒らせちまいやがった。早く謝ったほうがいいぞ」
「す、すみませんでした!」
「ちょ、待てよ。逃げようったってそうはいかねえぞ」
「お前ちょっとジャンプしてみな」
「そんな、キャッシュレスの時代に……」
ベタな展開かと思いきや、最後ので少しクスっとしてしまった。
同級生たちは年上の怖いお兄さんたちに囲まれて、すっかり縮み上がっている。
いつもは俺のことをからかっているくせに、こんなときはずいぶんと情けないな。記念に写真でも撮ってやろうか。
そんなことを思っていたら、ひとりが殴られてしまった。
「うわあ!」
「おら、とっとと出すもん出せ」
ちらとカロルを見やると、さっきまでの尊大な態度は消え失せて、良家のお嬢さんらしく恐怖に震えてしまっている。
ふむ、ここはひとつ、男を見せるべきか? どうしたらいい、チュー太郎。
ポケットに手を突っ込むと、愛するペットは軽く噛みついて答えた。
いてて。ギターは置いてきたが、さいあくチーズはあることだし、ちょっぴり格好いいところでも披露してやりますか。
俺はゆったりとした動きで、彼らの前に立ち塞がって声をかけた。
「おい、お前らなーにやってんだ?」
「あ? 部外者はすっこんでろ」
「なんかおれのダチが迷惑かけちまったようで」
「なんだと。お前の知り合いなのか?」
「い、いいえ……」
「って言ってるけど?」
「ああん? 俺たち知り合いだよなあ?」
「はいい! 仲良くさせてもらってます!」
「ほらみろ。つーわけで、俺が相手になってやんよ」
手のひらを上にして煽ってみせる。
「ちょ、ちょっとあんた、何してんのよお!」
カロルが情けない声を漏らすと、相手の取り巻きはリーダー格をなだめた。
「なるほど、女の前で格好つけようって魂胆か。こんな奴ぁほっとけ」
「ふん、誰がお前みたいな貧相なのを相手にするか」
「そうかそうか。いつもママのスカートに隠れてるお前さんじゃ無理か」
「なにい!」
「おい、挑発すんな!」
「いいから、まとめて掛かってきやがれ!」
そろそろ頃合いか、悪く思うなよあんちゃん。
「ん?」
って、チーズがねえええええ! チュー太郎、お前やりやがったな!
どうすんだよ、この状況! 指ぱきぱき鳴らしてるぞ、やっべえええ!
「何を今さら青ざめてんだ?」
けけけ、外連味だ! こうなったらハッタリかますしかない!
今の俺は地上に舞い降りた堕天使、ゼクス様だ!
息苦しいので襟元を緩め、前のめりに臨戦態勢に入ると、じゃらりと音がした。
「ん? あの首に掛かってるペンダントは……」
「孔雀の紋章! まさかお前……」
「伝説の半グレ集団『ブラッディ・ボーンズ』の〝黄昏〟、ディンプシー!?」
「いや、こんな若いはずがない。もしかして子供か孫かも……」
「はわわ……」
ブラッディ・ボーンズ? まさかこの服を買った店の名前か。
するとさっきまでの勢いはどこへやら。
『す、すいませんでしたー!!』
突然、怖いお兄さんたちは尻尾を巻いて逃げ出してしまった。
た、助かった……。わけがわからないけど、なんとかなった。
世代を超えて逸話が残ってるなんて、あの店長さん、相当やんちゃしてたんだな。
「ありがとうございます。お陰で助かりました」
「あれ、あなたどこかで……?」
立ち上がったクラスメイトたちがしげしげと眺めてきたので、慌てて顔を背ける。
何気なくポケットを探ると五百円玉が指先に触れた。勿体ないが、このまま終わるのも決まりが悪い。俺はそれを親指で弾いて、そいつの頬にぶつけてやった。
「いて!」
「ほら、そいつでチー牛でも食って帰んな」
「ち、チー牛??」
「そいつを食えば俺みたいに強くなれる。あばよ、お前ら」
『は、はあ……』
手でカロルに付いてくるよう促すと、早めに角を曲がって狭い路地に入った。
足を止めるなり、ポケットの中でぬくぬくとしている悪党に声を荒げる。
「おい、チュー太郎。ふざけんな! チーズが無くて焦ったじゃないか!」
「さすがに青いのは遠慮したよ。ぼくが食べたのは緑のほうだ」
「あれ? 本当だ。ごめん……」
「あらら、ネズミが喋るようになっちゃった」
「よろしく、カロル」
「こちらこそよろしく、チュー太郎」
やれやれ、また少し老けてしまった気がするぜ……。
連中がいなくなったのを見計らって道路に出ると、いつも利用している大安売りのスーパー・マーケットに向かうことにした。
「見なおしたよ。嫌いな連中を助けるなんて、やるじゃん」
「ふふん。いつもからかってる奴に助けられるという屈辱をくれてやったのさ」
「悪魔的思考ね」
「そうだ。器の大きさってもんを見せつけたんだ」
「でも、正体を明かさなくちゃ意味がなくない?」
「そこは配慮ってやつだ。あいつらと同じにはなりたくないからな」
「ふうん」
だいぶ遅くなってしまったが、そのぶん割引もされているだろう。なにしろ乾物や缶詰ばかり急いで詰め込んできたから、食事が味気ないのである。
「チビどものために、たまには甘いものでも買っていってやるか」
「あんた良いお兄ちゃんなんだね。自分のことは我慢しすぎなんじゃないの」
「千連勤の奴に言われたくはないね」
「ははは、ごもっとも。見た目はダサかったけど、心はダサくないよ」
「そりゃどうも」
ちょっとばかし格好いいとこを見せすぎたみたいだな。優男だなんて思われたら、伊達ワルが廃るぜ。
「うはははっ!」
「あはははっ!」
「フハハハハッ!」
「キャハハハハッ!」
どうやら向こうも恥ずかしかったみたいだ。
チーズをキメたわけでもないのにだんだんハイになってきて、思わず笑い合った。
そんなとき、背後から声をかけてくる者がいた。
「──君たち未成年だよね。こんな時間に何してるの?」
「うげ! あなたはまさか!」
「なあにこの人? ジャパニーズ・ポリスマン?」
「まさかとは思うけど、ふたりともお酒とか変なクスリやってないよね」
「と、当然です! なんの問題もありません!」
「念のため、ちょっと署まできてくれるかな」
「じつは病気の弟が家で待っていて、急いで桃の缶詰を買って帰らないといけないんです! 離してください、本当なんだってば!」
言い訳を貫いて解放されるころには、すっかり深夜となっていた。
家族のために食事を大量に買ってからポータルをくぐると、そこは完全なる静寂に包まれた、一面真っ白の銀世界だった。
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