第16話 ネズミの作戦会議
「スコラスティク、無事だったのね!」
「ああ、お嬢さま!」
ジェランドさんと女中のお婆さんは、互いに目に留めるや、ひしと抱き合った。
元の雇い主であるザカリウス親方が亡くなった今では、ご主人さまと言ったほうが正しいと思われるが、愛情の前には些細なことである。
オベールさんは、涙ぐむふたりの肩に手を乗せて、気遣うように言った。
「外は寒かったでしょう。暖炉のある部屋まで行きましょう」
「これで安心です。よかったですね」
「はい。チュン二郎さんとカロルさん、ありがとうございました」
「どういたしまして。あたしはなにもしてないけどね」
オーベルさんとスコラスティクさんが深々とお辞儀をし、ジェランドさんは丁寧にカーテシーをすると、暖められた部屋へと引き上げていった。
役目を終えた俺とカロルは、すでに戻ってきていたラ・トゥールの部屋で相談することになった。薪をくべた本格的な暖炉は、すっかり芯まで冷え切っていた体を徐々に解きほぐしていく。
ここが安全な場所だと再認識して
「お婆さんは無事に救出できたけど、ピットナッチオに出くわしました」
「ふむ。ついに姿を現したか」
「それに困ったことになったんです。チーズの変身が三分しかもたないという弱点を見破られてしまいました。副作用が怖くて追加を食べられなかったけど、仮に連続で食べたらどうなるんです?」
「さあ、食べてみればわかるんじゃないか?」
「そんなぞんざいな。死んでしまうかもしれないじゃないですか」
テキトー男は身を引くと、少女を引き立てるごとく上にした手のひらを向ける。
「ここはひとつ、専門家に意見を仰ぐとしよう」
「あのねえ、あたしはただのガストロマンサー見習いで、チーズのことなんてなんも知らないわよ。だいたいどこでそんなもの手に入れたの」
「タイロマンサーの知り合いが大量に試作品をダメにしたと聞いたのさ。ぜんぶ廃棄するというから、勿体なくて貰ってきたんだ」
「失敗作じゃないですか! 美味しいはずとか言ってたくせに!」
「美味しいはずだろう?」
「まったくもう……」
得体の知れないチーズを食べさせられていたとは、呆れてものも言えない。
さいわいお腹の具合は、むしろ健康的になった感じまである。
「単に職人気質でこだわりが強いだけだから、わたしたちに味の区別はつかないよ」
「というか、ネズミだの胃だのチーズの魔術師って、意味がわかんないです」
「優れた職人をなんちゃらの魔術師と言うじゃないか」
「それとこれとは話が別です」
「ワイン占い師もいるぞ」
「それもう、呑みたいだけじゃないですか。ところで、ラトゥールはマスターであると聞いたけど、いったいどういうことですか?」
「そのまんまの意味さ。魔術結社のなかでも弟子をとれるレベルってことだ」
「カロル、この人ほんとうに強いの? ウソ言ってない?」
「まあ、間違ってはいないわね」
「ふふん」
マイオマンサーマスターはドヤ顔をして見せた。
「どうも信用ならないな。結局まんまと小さな子供たちをパイド・パイパーのもとへ連れてきてしまった」
「それはわたしのせいではないぞ」
「そうですね。それで、妹たちはどうでしたか。お役に立てそうでしょうか」
「うむ。しっかり者だからぜひお願いしたいそうだ。先生はカロルに休暇を与えると言っていたぞ」
働き詰めだった医者見習いは、不安そうな表情を浮かべた。
「とてもありがたいけど、急に離れるのはなんだか不安ね」
「心配せずに、たまには思いっきり羽を伸ばすといい。わたしを見習って」
「自分で言ったら世話ないですね」
「そうしようかな。でもこうなってしまった以上、くつろぐという気にはなれない。あたしもあんたらに付き合うよ。傷の手当てぐらいはできるしね」
「ありがたい。そいつは助かるな」
彼女の実力のほどは知らないが、ひとりでも戦力が増えるのは心強い。俺も素直に感謝の弁を述べた。
「話が逸れたけど、結局さっきの件はどうするつもりなの? 前例がないから、大量摂取のリスクはわからないということよね」
「そうだね。チュン二郎は一般人だし、念のためひと欠片で様子を見たら、ちょうど三分だったのさ」
「効果が切れた瞬間を狙われたらひとたまりもありません。見た目ではっきりバレてしまうし、いったいどうすれば……」
「そんなの簡単よ。最初からあの姿でいればいいじゃん」
「なんだって、そんな手が!」
そんな単純な解決策があったとは目から鱗である。己が思い悩むことは、他人から見ればあんがい簡単なものだったりするのかもしれない。
「あんたずっと真面目に生きてきたんだね。きょうだいからも懐かれてるしさ」
「なんだよ急に。ずっと馬鹿にしてたくせに」
「あたしは弱っちいのとダサいのが嫌いなだけ」
「へえ。それじゃあ、もし強くて格好よくなったら……?」
「惚れちゃうかもね」
「……!!」
いたずらそうな茶色の瞳に見つめられて血圧が一気に上がり、鼻からチーズ牛丼を吹きそうになった。
「でもさ、あの格好でクラシックはどうなのよ」
「仕方ないんだよ。弾けるのがそれくらいしかないんだから」
「名前は何て言うの?」
「ん? 鼠尾チュン二郎だけど」
「そうじゃなくて、あの状態のときよ」
「……考えたこともなかった」
「あたしは自分の名前気に入ってるけど、あんたのはなんというか、少なくともあれには似合わないんじゃない?」
名前とは与えられるものだから、この無遠慮な少女も多少は気を使ったようだ。
たしかにバンドマンでチュン二郎なんて名乗っても笑われるだけである。いい機会だから、ここで決めてしまうのもアリだ。
「Zがつくといいな。なんか格好いいし」
「ゼクスなんてどうかね?」
「それだ! ラ・トゥール、その名前にしてもいい? 最高にキマってるよ!」
「好きにしたまえ」
「ふうん。なんでその名を思いついたの?」
「ジェランドさんの父であるザカリウス親方から適当に」
「……由来はともかくとして、気に入ったよ。ありがとう」
適当なおっさんだが、なかなかセンスは良いではないか。
青い髪を逆立てた悪魔じみた男、ゼクスか……。気に入ったぜ。
「それじゃあさっそく、あたしが化粧をしてあげるよ。じつはあたし、そういうのも得意でね」
「ほほう。そのコーディネートも自分で?」
「そうよ。いくつかはあちらの世界から持ってきた物だけどね」
「……なかなかイカしてるじゃん」
「……まあね」
「おっさんには若者の趣味はわからん……」
おとぎの国からやってきたような出で立ちの男は、肩をすくめてみせた。
顔が良い人はどんな格好もさまになってしまうものだが、彼にびしっとした衣装を与えたら、途端につまらない存在になるようにも思える。
「それじゃあ、遅くなる前に行くよ」
「ふと思ったんだが、あの格好で生活するのか?」
「仕方ないじゃん。寝て起きたら、また髪の毛を立てないといけないかもだけど」
「チビたちがなんというかな……」
なにしろ出会った三人はみな卒倒してしまったのである。
悪趣味と言われるのは理解できるが、俺は格好いいと思うのだ。
「気をつけて行っといで」
俺とカロルは呑気なラ・トゥールに見送られながら、再びボロ屋敷を出発する。
雪の舞う灰色の世界は恐ろしいほど冷たくて、同時にどこか美しく見えた。
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