第15話 ネズミと時計工場

 息を切らしながら駆けていくと、カロルは工場の門前で急に足を止めた。


「足の速さはあたしの勝ちね」


「こっちはギターを背負ってんだ!」


「言い訳おつ」


「いちいちしゃくさわる奴だな。お前だって瓶底眼鏡を掛けてただろ」


「あれは男除けの伊達よ。現にあんた、見向きもしなかったじゃない」


「ははあ、それで根に持っているのか」


「誰がお前なんか!」


 張り上げた声に驚いて、俺は慌ててなだめた。


「ま、待て。こうしてる場合じゃない。連中に見つかったら事だ」


「ふん。そんで、どうするつもりなのよ」


「このギターをかき鳴らし、音色で吹き飛ばすのみだ」


「本気で言ってるの? だいたいあんたから魔力を感じないのよね」


「ラ・トゥールから貰ったチーズがある」


「まさかそれってタイロマンサーが作ったやつ?」


「何の魔術師だって?」


「チーズ占い師のことよ」


「何にでもマンサーつければいいと思ってんじゃないだろうな」


「本当にいるんだって」


 魔法使いと言えば、炎とか氷とかそういうものではないのだろうか。

 いまいち信用はできないが、実際にその恩恵をあずっている身では文句も言えまい。


「まあ、あの人が任せるぐらいだから、腕は確かなんだろうね」


「意外だな。ラ・トゥールってあんがい強いのか?」


「そりゃ、腐ってもマスターだからね」


「ふうん。それじゃあ、ちょっくら行ってくる。お前は大丈夫なんだろうな」


「お前って言うな。自分の身ぐらい自分で守れるわよ」


 くだらないやりとりを終えると、あらためて時計工場をうかがう。

 一軒家ほどだった工房よりも大きな建物だが、近代的なものに比べれば小さい。

 敵を上手く一ヶ所に集めることができれば、三分で決着をつけることは不可能ではないだろう。


 切れたらまた食べればいい気もするが、あのいいかげんなラ・トゥールがわざわざ時間を指定するあたり、体に相当な負荷がかかっている可能性はある。

 五郎が異世界のりんごを食べたときの慌てぶりを見れば、魔力をもたざる者がそれを得ることに、なんらかの対価が発生しているのかもしれない。


「今、グレムリンの姿が見えたよ」


「ああ、俺も確認した。ではゆくぞ、俺様オンステージ」


「そのセリフ、ダサ過ぎでしょ……」


 ふふ、せいぜい笑っているがよい。ジェランドさんとオベールさんは悪魔と叫んでぶっ倒れた。こいつがどういう反応をするか楽しみだ。

 チュー太郎が入っているポケットに眼鏡を入れて、青カビチーズをひとかけら口に放り込む。体中がぞわぞわして、全身の毛が逆立つのを感じる。自分が自分ではなくなっていく確かな感覚。

 恐れおののけ! ちびっても知らんぞ!


「ハーハッハッハッハー! どうだ、驚いただろう?」


 舌をべろりと見せつけて、クソ女を脅すように迫る。


「……か」


 カロルは口をあんぐりとし、胸元に手を当てた。目を見開き立ちすくんでいる。

 さすがに可哀想だから、今回はこれぐらいで許してやるとするか。


「かっこいい……!」


「なに言ってんだ、お前!」


「あんたそれ、最高にイカすよ!」


 馬鹿な! この子、趣味が悪──いや、俺と同じ好みをしているのか!

 先ほどまでの見下すような態度は消え失せ、きらきらとした瞳を向けている。


「って、こんなことしてる場合じゃねえ! 時間が!」


 俺は慌てて駆けだし、工場の敷地内に侵入した。

 今回の曲はショスタコーヴィッチの交響曲第5番第4楽章に決めてある。

 眼鏡の話をしたときに、ふと彼の顔が脳裏をよぎったのだ。


「ギャー! ギャー!」


「遅いぜマヌケ! 見逃してやるから仲間をみんな集めやがれ!」


 開幕からどかんと始まる曲に合わせ、入口付近を破壊する。

 スターリンが引き起こした大粛清のあとに作られた曲で、『革命』と呼ばれることもある烈しい作品だが、やがて虚しさのような静けさへと移り変わっていく。歴史的背景を学べば、なぜそのような作品となったかが想像できるものだ。


 弦をかき鳴らすたびに、またも想像しない音がまるで伴奏のように飛び出てくる。ラ・トゥールのやつが何か変なモノでも取り付けたとしか思えない。

 このまま敵を倒して行けば、そのうち強敵を相手に彼と共に演奏する機会が訪れるはず……ふと起こりうる楽しげな未来を思い描いてしまった。


 短い階段を駆け上がると、工場内が一望できた。

 作業に従事させられていたのであろう人々が驚いた眼差しをこちらに向け、次々と叫びながら卒倒していく。

 どんだけやわな人たちなんだ。俺は正義の味方だっつーの!


 だが、跳び上がって騒ぎ立てるグレムリンとの区別がつくからかえって好都合だ。

 チー牛が大粛清してやるぜ! フハハハハッ!

 これまでのうっ憤を思う存分ぶつけられて、脳汁がどばどばと半端ない。

 む、あのお婆さんはまさか……。


「あなたがスコラスティクさんですか!」


「ひぃえええ! 悪魔ー! はぅ……──」


 うん、間違いない。ジェランドさんの家で勤めるお手伝いさんだ、たぶん。

 それにしても街で人を見かけなかったのはこういう理由か。強制労働をさせられるのを恐れて、みな自宅に引き篭もっていたのだろう。


 そうこうしているうちに、敵は大きく数を減らしていた。

 獣型のグレムリンと時計のロボット兵に混じり、管理官と思われる小柄な人型妖精が混じっている。あいつらがハイグレムリンと言ったところか。衣服を身にまとっていて指先が人と同じであることを思えば、たしかに知恵と技術を併せもつ存在であるとうかがえる。

 だがそんなことは関係ない。まとめて吹き飛べ!


「……ふう、これで全部か。なんとか効果が終わるまでに間に合ったな」


 見えている最後の敵を壁にたたきつけて伸びたのを確認し、一息をつく。


「キュー!」


「ありがとう、チュー太郎」


「やるじゃん」


 背後からかかった声に振り向いて、ポケットから出した眼鏡を掛ければ、カロルの表情がたちまち曇っていくのが見えた。


「うわ、ダッサ……」


「普通に傷つくんだが!」


「ごめん、無理」


「こいつ……」


 悔しさに拳を握って言い返してやろうと思った、その時──

 突然、上からしわがれた声がした。


「なるほど。やはり報告のとおり、きっちり三分だな」


「誰だ、お前は!」


 その者は、建物のはりの部分に腰かけ、こちらに視線を向けていた。

 時計の文字盤を模した金属の仮面を着けており、うがたれた穴からは、不気味な目と歯をむき出しにした口が見えている。はみ出たざんばらの白髪としわの浮き出た肌を見れば、年老いているのがうかがえた。


「わが名はピットナッチオ。命の時を計るものなり」


「貴様がグレムリンの親玉か!」


「何なのよ、こいつ……」


 俺はそっと懐のチーズに手を伸ばす。


「まあ待て、今回は挨拶だけだ。わが計画の邪魔だては許さぬとだけ言っておこう」


「デウス・エクス・マキナ──時計神ザカリウスを創るというのは本当か」


「ほう、どこまで知っているのやら」


「ここで貴様を倒せば終わりだ」


「ふっふっふ」


「何がおかしい!」


「そう生き急ぐな、若人よ。ここで我を殺しても計画が止まることはない」


「はったりだ」


「聞いたことはないか? わが城に至るアンデルナットの谷には、冬の訪れとともに魔王がやってくると……」


 ラ・トゥールが似たような言葉を口にしていたのを思い出す。魔王がサラバンドを指揮するなんて話はただの伝説だと思っていた。


「その顔、心当たりはあるようだな」


「でまかせだ」


「くくく。今回の代償は高くつくぞ。ではご機嫌よう……」


「待て!」


 ピットナッチオを名乗った小柄な老人は、一瞬にして姿をかき消した。

 辺りを見まわしてみても、倒れた住民とグレムリン、壊れた時計ロボットのほかに目を引くものは何もない。

 しばし感情が入り乱れて呆然としていると、カロルは冷静な声で言った。


「とにかく、街のみんなを助けよう」


「……あ、ああ。そうだな」


 俺たちは、工場内で倒れている人々に片っ端からビンタを食らわせ、次々と暴力的な目覚まし時計を与えていく。彼らは状況を呑み込むや、挨拶はそこそこで、転がるように逃げていった。


「スコラスティクさん、しっかりしてください」


「うぅ……。あんただあれ?」


「ジェランドさんとオベールさんの知り合いです。あなたのことを助けに来ました」


「そうかい、それはありがとうね、坊や。お嬢さま方はご無事ですか?」


「ええ、ある屋敷にかくまっています。俺たちと一緒に来てください」


 とうとう姿を現したグレムリンの親玉はともかく、なんとか任務は達成できた。

 あいつが言っていた魔王とは、いったい何者なのだろうか。

 これまで順調に無双してきたが、どこまで通用するかはわからない。いちど拠点に戻り、ラ・トゥールに事の詳細を報告せねばなるまい。


 俺とカロルはスコラスティクさんを護るように間に挟んで、周囲を警戒しながら、あのボロ屋敷へと向かうことにする。

 吹きつける冷たい風の中には、ちらほらと雪片が舞い散り始めていた。

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