第13話 ネズミの歓迎会

 正午過ぎ、二度目の質素な食事を済ませ、修理や掃除も一段落を迎えたころ、鼠尾ねずお一家はいよいよ広間へと出向くことになった。


「……ん……どうしてみんながここに?」


「五郎? やっと起きたのか」


 事情を説明すると、わが家のやんちゃ坊主はすっかりしょげた様子でうなだれた。

 腹が空いたと言うが、例の医者に診せる前に与えるわけにもいかず、とりあえず水だけを飲ませて一緒に連れていくことにする。


「おや、元気が出たみたいだね」


「ラ・トゥール、カロルさんはどこですか?」


「さっき起きて帰ったよ」


「五郎に、あちらから持ってきた食事を与えても大丈夫でしょうか?」


「それはべつに問題ないだろう。人の世に住む者が、こちらの世界に存在する魔力を摂取して境界を渡るのが危険なだけだから」


「本当に残念なルールですよ。あなたはどうして平気なんですか?」


「こう見えて魔術師だからね。体が順応しさえすれば、何も問題はないのさ」


 それまでおっかなびっくりだった異世界のことわりが、がぜん魅力的に思えてきた。

 俺だけこちらに留まって、修行を積むというのもありなのではないか……。

 そんな思考を読みとったのか、マイオマンサーはにんまりと笑った。

 食事を取りに戻った五郎が帰ってくると、とうとうささやかな歓迎会が始まった。

 まずは簡単な自己紹介。


「こちらは俺のおじさん。亡くなった父の兄で、今は保護者となってくれてます」


「よ、よろしくお願いします、ジェランドさん!」


 離婚をしてから女っけのない男は、すっかり美女にくぎづけのようだ。


「それから、これが長女のアーラウ三奈、隣がマルティニー四葉……」


 互いに挨拶を終えて、和気藹々とした雰囲気になる。

 社会的弱者ゆえに怯えた性格の多いわが家族は、この心優しいカップルとたちまち打ち解けることができた。

 そんな空気を打ち破って、五郎は突然に切り出した。


「みんな、迷惑をかけてごめんなさい」


 問題児の豹変ひょうへんに、家族は揃ってぽかんとした。


「いや、巻き込んだのは俺だ。あの時は強く言いすぎてすまなかった」


「いやいや、わたしがチュン二郎を巻き込んだんだ。誠に申し訳ない」


「いいえ、それ言うなら、わたくしがラ・トゥールさまにお願いしたのが──」


「それは違います。そもそも僕があの時計を修理しなければ……」


「待って待って! みんな落ち着いて!」


 俺は変な流れを止めると、ばっさりと言った。


「ぜんぶグレムリンが悪いんだ。魔王のしもべ、ピットナッチオせいだ」


 束の間の静寂を破り、みな笑いながらそれに賛同した。しょげていた様子の五郎にもようやく明るさが戻り、なんだか少しほっとする。 

 そんなとき突然、広間の扉が開かれて、見知らぬ女性がずかずかと入ってきた。


「どーもどーも、ちょっと遅れちゃったね」


 俺は怪訝けげんな顔をして、馴れ馴れしい謎の美少女をしげしげと眺めた。

 ツインテールにした長い黒髪には紫のメッシュが入り、白い内側のシャツを大胆に見せて黒い上着を羽織っている。ネクタイを緩めた襟元からは、首に巻かれたバンドが確認できた。耳にはいくつもピアスをして、じゃらじゃらとアクセサリーを付けた指先には黒のネイルが際立っている。


「……どなたですか?」


 彼女は猫を思わせる大きな瞳でこちらの困惑を見てとると、笑って答えた。


「やだなあ、ラ・トゥールから聞いてるはずでしょ。あたしはカロル・シャテニエ。ガストロマンサーよ」


「え!? あのよろよろとしていたお医者さん……?」


「そうそう。久しぶりにぐっすりと眠って、だいぶ元気になったよ。おや、君も顔色がよくなったみたいね。その様子なら戻っても大丈夫かな」


「あ、ありがとう、カロルさん」


 五郎は深々と頭を下げる。

 俺はカロルさんのあまりの変容に、絶句して言葉も出なかった。


「何を口開けて見てるのよ。クソダサお兄さん」


「……だ、誰がクソダサお兄さんだ!」


 声を荒げるが、胸がバクバクとしているのが自分でもわかる。

 ジェランドさんを見たときとはまるで別の感情が、脳内を激しく渦巻いていた。

 と突然、ジャカジャンという音がした。


「あ、それは俺のエレキギター! ラ・トゥール、いつの間に!」


「しばらく借りさせてもらうよ」


「べつにいいけど、何すんのさ?」


「君たちを待っている間に作ったわたしの新曲、聞いてください」


「新曲?」


「『チーズ牛丼の歌』」


「は?」


 男は質問には答えず、そのまま強引に弾き語りを開始した。



 ああ チー牛

 どうしてキミはチーズ牛丼なの

 ボクはチーズを食べられない

 キミからチーズを抜けば ただの牛丼

 キミから牛肉を抜けば ただの汁飯

 キミから汁を抜けば ただの白飯

 ああ チー牛……



「どういう歌だよ!」


 五郎とカロルさんに続いて、今度はラ・トゥール。もう何がなんだかわからない。


「まあ、なんと感動する歌詞なんでしょう」


「じつに哲学的ですね。考えさせられます」


「どこがじゃ!」


 ジェランドさんとオベールさんは、なぜかハンカチ片手に目頭を押さえていた。

 というかこのふたりは、チーズ牛丼が何かもわかってないだろ!


「じつはチュン二郎にご飯を奢ってもらってね。隣でチー牛を食べる彼を見て、味を想像しながら作ったんだ」


「え、お兄ちゃん、チーズ牛丼たべたの?」


「ずるい、一人だけ!」


「兄ちゃん、あたしもチー牛たべたい」


「僕も」

「私も」


「悪かったってば! 今度たべさせてやるから!」


 どうして揃いも揃って同じものを欲しがるのか。

 なぜなら、そこにチーズが載っているから。

 ネズミにはチーズ。はるか昔、シェイクスピアの時代以前から、様式美としてそう決まっているのだ。


「それでは本邦初公開。『ねずみの迷路』」


「また何か始まった!」


 ラ・トゥールは唐突に自慢の縦笛を吹き始める。

 すると彼の服に隠れていたわが家のネズミたちがぞくぞくと姿を現した。

 ピアノの練習でお馴染みのチェルニーの曲に合わせて、飼い主すら見たこともない動きを披露し始める。


 なんということだ、この男はたった数時間でこれを仕込んだというのか。

 異なる楽器に向けて作られた曲をすらすらとこなす超絶技巧。笛を吹き、ネズミを操る奇妙な魔術師。これがマイオマンサー……?

 あっと言う間に終わってしまった寸劇を前に、誰もが拍手喝采した。

 だが俺だけは、音も立てずに小さく手を動かすのがやっとだった。


「どうだ、参ったかねチュン二郎」


「ああ、参った。俺の負けだ、ラ・トゥール」


 よくはわからないが敗北した。

 これまで生きてきてずっと胸にあったもやもやがすっかり晴れて、また同時に別の熱い何かが広がっていく謎の高揚感に包まながら、ささやかな歓迎会は閉幕した。


「そうそう、チュン二郎。君にこれを預けておきたい」


「え? この懐中時計って……」


「そうだ。ザカリウス親方の最高傑作、『生きた時計』だ」


「どうして俺が?」


「そりゃまあ、襲われたくないしね」


「何を言ってるんですか。冗談を聞きたいんじゃなくて」


「保険だよ。雑魚の目ぐらいは欺けるかもしれないから」


 そう言って、別の懐中時計をちらつかせる。


「なるほど」


 少なくとも雑魚グレムリンに真贋しんがんがわかるとも思えない。おとりになってくれるということか。

 広げた手のひらに載せられた瞬間、ぞくりと全身の毛が逆立つのを感じた。

 俺はあらためて、天才時計職人ザカリウスが遺した作品をじっくりと眺める。

 それは恐ろしいほどに精密なクリスタル・ウォッチ。硬く透明な素材の向こう側にローマ数字の刻まれた文字盤が見え、中心から四つの針が伸びている。


「いかにも古めかしいけど、クロノグラフがついてるんですね」


「師匠はたいへんすばらしい脱進機を発明したのです」


「どういう意味?」


「要するにストップウォッチと、針を少しずつ動かす仕組みのことですね」


 四葉の疑問に、六郎が眼鏡を光らせながら答える。


「著名な時計職人であるルイ・モネと、どちらが早かったのでしょう。それにしても僕の最新式と比べて、時間に寸分の狂いもありません。これは良いものですね」


「ねじ巻き式なんだ。このパーツも失くさずに保管しておきたまえ」


 秒針が刻むわずかな振動は、まるで胸の鼓動に手を当てているかのようだ。

 これが時計神の心臓になると言われても、さして違和感はない。

 恐怖心をいだきながら腰にチェーンをつなぎ、ポケットにしまおうとした矢先──懐中時計は自ら手を離れて中空に飛んだ。

 こちらに文字盤を向けるや、血のような赤文字が虚空に浮かび上がる。



《老いた女中は、時計工場に勤めを変える》



「な、なんだ!?」


 突如起こった奇妙な光景に、たちまち場は騒然となった。

 ジェランドさんとオベールさんは身を寄せ合って蒼白としている。


「これはいったい、どういう意味なんでしょう……」


 俺が尋ねると、ラ・トゥールは真面目な表情で腕を組み、静かに答えた。


「人質を取られた」

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