第11話 ネズミの大移動
まだ真っ暗な夜明け前に帰宅すると、おじさんに開口一番で怒られた。
「チュン、いったい今までどこに行ってたんだ。電話にも出ないで」
「ごめんなさい、ちょっと事情があったんだ」
「シオンはどこだ?」
「体調を崩してちょっと休んでる。場所はわかってるから安心して」
シオンは五郎のミドルネームだ。なんであいつの名前は格好いいんだか。
どうやら夜中にトイレで起きた六郎が、俺たちがいないことに気づいておじさんを起こしたようだった。警察に連絡する一歩手前だったらしい。異世界に行っていたら電波が届かないのは当たり前だ。
さて、どう説明したものか……。ここは素直に洗いざらい言ってしまおう。
「──そんな話をどう信じろっていうんだ。大人をからかうのもいい加減にしろ」
ダメだった。見通しが甘かった。
「べつに信じてくれなくてもいい。でも、来てくれればわかる」
「どこに行けばいいんだ?」
「ここでは言えない。秘密になってるんだ」
「わかっているのか、チュン。今はお前が長男なんだぞ。俺が倒れたら家族を養えるのはお前だけだ。いつまでそんな夢みたいなことを言ってるんだ」
「だから本当のことなんだって……」
世代が違うと、こうも融通が利かないものなのか。異世界にワープ、そこで冒険。それでいいじゃないか。
説得に難儀していると、声を聞いて起きてきた三奈と四葉と六郎がやってきた。
「おじさん、お兄ちゃんは嘘なんてつかないよ」
「アーラウは黙ってなさい」
「本当だったら五郎はいま異世界にいるのよ? 早く助けに行かないと」
「まともに受け取るんじゃない、マルティニー」
「海外では、何者かに時計が壊される謎の事件が発生しているようですよ。兄さんが見たというグレムリンの仕業だとすれば、つじつまが合います」
「ロカルノまでそんなことを言うのか」
おじさんは律義にミドルネームを使うから、よその人にはわかりづらい。
とにかく、年の近い弟妹は俺に味方をしてくれるようだった。
「おじさんは五郎が心配じゃないの? 大事なのはそっちだろ!」
「俺だって心配だ。お前の頭も」
「このわからずや!」
思わず大声を上げてしまった。おじさんのことは大好きだしとても感謝している。でもほかにどうすりゃいいってんだ。
「いいだろう。そこまで言うなら、お前の言うとおりにしてやる。だが行ってなにもなかったら、その時はわかっているな」
「ほんと? もちろんだよ。嘘だったら煮るなり焼くなり好きにしてくれ。ひとまず数日分の食事を持って、家族全員で向こうに行ってほしいんだ」
とりあえず一歩進んだ。怒らせたかと心配したが、ほっと胸をなでおろす。
「おおごと過ぎるだろう。会いに行くだけじゃダメなのか」
「そこは、その……」
「なんだ」
「ちょっとした家族旅行みたいだと思って……」
おじさんは黙ってしまった。
店が忙しいから、じつは彼もほとんど休みをとっていない。当然、このような状況になってから家族で旅行なんてしたことはない。俺は我慢できるけど、小さな妹や弟はときどき駄々をこねることがあった。
三奈と四葉と六郎にも見つめられ、おじさんは気まずそうに顔を背けた。
「わかったよ。いつ行けばいいんだ」
俺と三人は、わっと声を上げた。
「今すぐだ。移動できる時間が限られてるし、人に見つからないようにしたい」
「まったくもう……。お前たちといると気が休まらんな」
苦言を呈したおじさんの顔は、なんだか嬉しそうにも見えた。
かくして、鼠尾一家の早朝大移動が始まった。七子には悪いけど起きてもらって、八郎はおじさんがおんぶし、九美は台車に乗せ、十郎は三奈が抱きかかえる。俺たちきょうだいはみな二歳違いだから、末はまだ二歳である。
「じつは旅行というか、向こうでお医者さんの手伝いをしてもらいたいんだよ」
「いいよ、それでも」
「ここじゃないとこならどこでもいい」
「気分転換になります」
「助かるよ」
良いきょうだいをもった。もちろんおじさんもだ。
とはいえ心配がないわけではない。ポータルが開かないなんてこともありえるし、誰かに見つかって夜逃げかと思われる可能性もある。十郎が起きて泣かないといいのだが……。
ネズミたちはすべて連れていくことにした。大した荷物にはならないし、すぐ餓死してしまう彼らを残してはいけない。六郎が作った自動エサやり機を信用しないわけではないが、なによりわが家の象徴である大切な一員なのだ。
ギターとチュー太郎はラ・トゥールに預けてある。俺はもちろん一番大きな荷物を背負い、戸締りを終えるや、家族全員で静かに移動を開始した。
「こんな暗い時間にみんなで外に出るなんてワクワクするね」
眠るオルシエール十郎を抱えながら、いつも朗らかなアーラウ三奈は微笑む。
「なんだか悪いことしてる気分」
真面目なマルティニー四葉は台車を押しながら、やはり夜逃げを連想したようだ。
「暗視ゴーグルの性能を試す絶好の機会です」
発明家を目指すロカルノ六郎は、早くもこの状況を楽しんでいた。
「ふぁあ……。眠い……」
「すまないね七子」
一家の美少女、ローザンヌ七子の手を取りながら詫びを入れる。
物静かなラ・テーヌ八郎はおじさんの背中でおとなしくしており、どこでも眠れる剛の者、アローザ九美は揺れる台車の上で起きる気配がない。
ここにミュンジング太郎兄さんがいれば、さぞや楽しかったことだろう。
……と、ひとりだけ読み方が間違ってそうなチュン二郎は思うのであった。
皆のセカンドネームは、両親がハネムーンで訪れたスイスの地名から取られているのだが、俺だけ何かが違う気がしている。
「前方に牛丼屋が見えます。たまには食べてみたいですね」
「わたしチーズ牛丼が食べたい」
「あたしも」
「僕も」
鼠尾一家は苗字にねずみがつくだけに、全員チーズが大好物なのだ。
しかし安いものしか食べたことがないので、ラ・トゥールにもらったようなカビの生えた高そうなやつには慣れていない。
「お兄ちゃんは?」
「……え。ああ、また今度な」
俺はまた心のなかで
そんなこんなで、例の寂れたビル前へとたどり着く。周囲に誰もいないことを確認して、一通り荷物を階下に運び終わると、おじさんは疑わしげに尋ねた。
「本当にここなのか?」
「うん、開いたり閉じたりしてるんだ。黒いもやが出たら、みんな急いで入って」
それから十分ほど経ってもなにも変わらないので、チビどもがしびれを切らす。
もしかしたらラ・トゥールの身になにかあったのではないか、と少し不安をいだき始めたころ、突然にそれは開かれた。
「きた、ポータルだ! みんな急げ!」
それまで文句を言っていたおじさんを先頭に続々ときょうだいが入っていく。最後の一人になったのを確認すると、俺も渦の中へと飛び込んだ。
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