第10話 ネズミと医者

 救出を終えた俺は、カップルと共にラ・トゥールのアジトへと戻ってきた。

 穴に気をつけながらジェランドさんの部屋までたどり着くと、そこにはすでに彼の姿があった。ベッドには五郎が寝かしつけられ、足元には、到着した際にすれ違った白衣の少女が腰かけている。

 オベールさんの姿を認めるなり、マイオマンサーは口を開く。


「無事に助けられたようだね。よくやったぞ、チュン二郎」


「ええ、なんとか」


「助かりました。あらためて感謝申し上げます」


「いえいえ、お気になさらず。当然のことをしたまでです」


「ところで、お坊ちゃんの様子はいかがですか?」


 ジェランドさんに尋ねられると、ぼさぼさ頭の若い医者は答えた。


「魔力強制排出剤を打ったから、しばらく動けないはずよ。さいわい処置が早かったからなんとかなると思う」


「あのあと走って連れ戻したんだよ」


「そうだったんですね。お疲れのところありがとうございます」


「たしかに疲れちゃったわね。なにしろ千連勤なもんで……」


「千だって!?」


「こっちにもコロナが入ってきて大変なのよ。きっとグレムリンが媒介したんだわ」


 なんてことだ。異世界といえば現実からまったくかけ離れた空間だとばかり思っていたが、行き来するものがいる以上、起こりうる話である。

 そこまで言うと彼女はベッドにぱたりと倒れ、すやすやと眠り始めた。


「そうとう疲れていたんですね」


「うーむ。ちと気の毒だな」


 それからしばらくのあいだ、四人で救出劇の顛末てんまつを語り合った。

 『青い悪魔』の正体とは俺であり、決して悪魔に乗り移られたわけではないと説明するのには苦労した。どうやらふたりは、たいへん敬虔な人物のようだった。


「科学は悪魔なのです」


 ジェランドさんは至極真面目な表情で言った。


「わたくしたちはアンデルナット城でピットナッチオと遭遇したときに、いくつかの不可解な現象に見舞われました。父が作った生きた時計に、『私たちは科学の木の実を食べなければならない』、『人間は科学の奴隷にならなければならず、そのために両親や家族を犠牲にしなければならない』といった赤文字が浮かび上がったのです」


 俺はふと両親が頭をよぎり、いたたまれない気持ちになった。

 彼らにとって科学および魔術は、なのだという。


「しかし我々がふたたび悪魔に襲われたとき、神は助けてはくれませんでした……。魔術師であるラ・トゥールさん以外は、話を聞いてくれすらしなかったのです」


 オベールさんがまた頭を下げる。

 ほんのいっとき恋をした女性の婚約相手がここまで丁寧な人だと、こちらも婚姻を認めざるを得ない。いや、何様なのだ俺は。

 話に一区切りがつくと、ラ・トゥールは遠慮がちに言った。


「……というわけで、申し訳ないがこの部屋はわたしたちが借りるとしよう」


「ええ、もちろんです。こちらは隣の部屋へと参ります。わたくしたちにできることがあれば、どうぞご遠慮なく」


 美男美女が静かに部屋をあとにすると、間髪入れずに笛吹きは切り出す。


「それでチュン二郎。失恋の痛みを歌にして聞かせてくれ」


「あんたって人はーっ!」


 なんなんだこの男は。最初からわかっていて、裏で笑っていたに違いない。


「はあ……。あなたと本気でやりあっていると疲れます」


「よく言われる」


「でしょうね。それで、そこで寝入ってる女性はなんというお名前なんですか?」


「意外と切り替えが早いな」


「そういうわけではありません!」


 言ったそばから茶化され、思わず声を荒げるのであった。


「彼女の名はカロル・シャテニエ。ガストロマンサーと呼ばれ、胃を司る占い師だ。俺の腹ペコ芸に興味を示してくれて、仲良くなったんだよ」


「あぁ、あのすばらしい腹の音ですね……」


 諦めに近い感情で微笑む。こめかみが若干ひきつるのを感じた。


「胃腸内科ってとこでしょうか」


「そうだね。これでも十六歳なんだ」


「俺と同い年じゃないですか。もう働いているんですね」


「こちらの世界では、時が人の世よりもゆっくりと進むのさ」


「なるほど、よく聞く話です」


 自分もだいぶ頑張ってきたつもりだが、どうやらこの少女はこちらの更に上をいくようだ。医療技術も遅れていそうな世界だし、だんだんと哀れになってくる。


「なんとかしてあげたいですね」


「そうだな。人には人のやることがある。どこかに人手があればいいのだが」


 人手ねえ……。

 ふと目に留まった五郎の姿を見て、あることがひらめいた。


「そうだ! 俺のきょうだいたちを呼びましょう!」


「ほう、君にはまだ誰かいるのかい?」


「じつは十人きょうだいなんです。五郎のほかに、弟と妹が七人います」


「ははっ、ねずみの大家族だ。たしか兄さんもいるんじゃなかったか?」


「……いえ、兄は俺が子供のころ亡くなりました」


「そうだったのか。尋ねて申し訳ない」


「キュゥ……」


 一瞬、気が沈むも、少女を見てすぐに立ち直る。


「それよりあのポータル、まだ残っているでしょうか?」


「理屈上は、残滓ざんしに魔力を吹き込めばふたたび活性化するはずだ。本当に呼び寄せるつもりなのかね」


「どうせ冬休みだし、チビどもでもなにか手伝いはできると思うんです。妹の三奈と四葉はしっかりしていますから」


「ふんふん。異世界で旅行をするどころか医者の手伝いとは、じつに感心なことだ」


「そうと決まれば話は早い。さっそく家族を呼ぶとしましょう」


「くれぐれも食事には気をつけてくれ。ぜんぶ持ってこなくてはならないんだぞ」


「ええ、わかってます」


 内心、いっそこちらの世界に移住するのも悪くはないと思い始めていた。

 どうせ戻ったって、またあいつらに馬鹿にされるだけだろうし、チーズのちからを借りなければ、結局さえない俺のまま。

 ならば他人から求められる場所に腰を落ち着けるのは、至って合理的な判断だ。


「ああ、そしてなにより──」


「なんでしょう?」


「内密にな」


 急に声色を下げたので、少しどきりとした。


「も、もちろんです……」


「ふふ、いろいろ来られると困ってしまうからね」


 影響を考えれば当たり前の話ではある。

 はたして小さな弟妹に口をつぐませることができるだろうか。


「まあ、信じやしないと思うがね」


「そうかもしれません。でも、クギを刺しておきます」


 風変わりだが占い師、いや、魔術師か。心を見透かされたようで寒気がした。

 五郎を預けている以上、下手な真似はできないし、元よりそんなつもりもない。


「ここに連れてくればいいですか?」


「ああ、念のため結界を張っているから、ここならそれなりに安全だ」


「連中はすでに時計のロボットみたいなものを作っています」


「安心したまえ。ザカリウスの心臓はこちらが握っている」


 ラ・トゥールは腰のポケットをぽんぽんとたたいた。


「それがはまると……」


「時計神は動き出すかもしれないな」


「と、とにかく、行ってきます!」


「渦の場所までは同行しよう。くれぐれも気をつけてな」


 想像で身震いをしながら外に出ると、外は更に冷たかった。

 奇妙な事件に頭を突っ込んだ上に、家族まで巻き込むことになるとは。自分はもうとっくにパイド・パイパーの術中にはまっていたのかもしれない。

 時計を組み立てるように、運命の歯車が一つひとつ噛み合って回り始めていた。

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