第9話 ネズミと時計工房

 俺とジェランドさんは飾り気のない建物を遠巻きに眺めていた。夜間だというのに灯りが浩々といていて、カタカタとした金属音がわずかに聞こえてくる。

 時計といえば職人が一つひとつ丁寧に作っているイメージだが、何かがおかしい。


「あそこが時計工房です。元々はわたくしたちの職場だったのですが……」


「敵のオーラがぷんぷんとします」


「オベールはきっと、組み立て作業に従事しているのだと思います」


「機械神……いや、時計神と言っていましたね」


「はい。父のザカリウスは死にました。このような形で蘇っても嬉しくありません」


 ランタンの灯火が照らす沈んだ彼女の横顔は、恐ろしいほど美しかった。悲しみに打ちひしがれるものに美を見出すとは、我ながら不謹慎だ。


「お父さまは、どのような方だったのですか?」


「傲慢なところがありました。自ら天才と言ってはばからず、弟子のオベールにもきつい言葉を使うことが少なくありませんでした」


「なるほど。職人気質かたぎという感じですね」


「父の作る生きた時計は本当に素晴らしいものでした。止まってしまう不可解な事件が起こる前までは、人々から高い名声を得ていたのです」


「しかし手のひらを返されたと」


「高価な物ですから仕方がありません。時を刻まない時計はガラクタです」


 なかなかにしっかりとしたお嬢さんだ。どうしてこの女性は俺に惚れたのだろう。

 やはりわかる人にはわかってしまうのだろうか、一本筋の通った男の魅力を。


「さっそく行ってまいります。しばしランタンと眼鏡を持ってていただけますか?」


「はい。でも眼鏡をお取りになって大丈夫なのですか?」


「内にある真のちからを引き出すと視力も強まってしまうんです」


「まあ、あなたも魔術師なのですか?」


「いえ、そういうわけではありませんが、魔法の道具を使うから似たようなものかもしれませんね」


「じつはわたくし、魔術を使う方を恐れておりました。しかし手を貸してくれる人はラ・トゥールさまぐらいしかいなかったのです。ほかの方は、わたくし自身を報酬に要求する者ばかりで……」


 クギを刺された気分である。とはいえ格好いいところを見せつければ、俺にも春が訪れるかもしれない。長い冬とは、おさらばだ。


「ジェランドさんは安全な所に隠れていてください」


「はい。どうかお気をつけて」


「……もぐもぐ……ごくん」


「何をお食べになっているのです?」


「チーズですよ。これを食べると勇気が──」


 ぞわぞわ、ぞわぞわ。体にちからがみなぎってくる。視力が強まり、髪が逆立ってくるのがわかる。さらに格好よくなった俺の魅力に火傷やけどしないといいのだが。


「きゃあああっ! 悪魔ー!」


「ええっ!?」


 突然、彼女は気を失ってばったりと倒れ、下に落ちたランタンは大きな音を立てて割れてしまった。


「ギャギャ?」


「しまった、気づかれた!」


「キュー!」


「時間がない、このまま行くぜ。俺様オンステージ!」


 割れたガラスからジェランドさんを遠ざけて茂みに隠すと、敷地に侵入する。

 すぐさま音を聞きつけたグレムリンたちが続々と集まってきた。

 目の前で倒れたことに驚いて、選曲をする余裕もなかった。


 ここはふと思い浮かんだサラサーテの『ツィゴイネルワイゼン』第3楽章を弾いてみることにしよう。昔からドラマの見せ場で使われてきた第1楽章が最も有名だが、いきなり急速になる三つめが好きなのだ。

 このエレキギターをまともに使うのはこれが初めてだが、楽器自体は以前に触れた経験がある。俺に優しくしてくれた数少ない相手、音楽の先生が貸してくれたんだ。


「ギャー!」


 最初の十四音で、四匹の獣じみた妖精を吹き飛ばす。

 ラ・トゥールから借りた縦笛でなくても問題ないことに安堵する。

 しかし頭に思い描く旋律に指がついていけないのを感じる。最初に弾く曲にしては激し過ぎたか。指先が千切れそうだ!


 バリン!


 しまった。うっかり手元が狂い、工房の窓ガラスを割ってしまった。

 昔、五郎がよそ様の窓に石を投げて弁償した記憶が蘇る。あいつは子供のころから問題児だった。襲いくる雑念を振り払って、演奏に集中する。


「あああ、指がいてえええ!」


 思わず声が出てしまう。寒さと疲労が相まり、手の感覚がなくなってきた。

 敵の数自体は減っているのだが、これまで良い曲を聞いてきただけに、己の才能のなさに嫌気がさしてくる。こんなんじゃステージに立つなんて夢のまた夢……。

 必死にかき鳴らしながら建物の中に侵入すると、こちらに驚くひとりの青年と目が合った。


「あんたがオベールか!」


「ぎゃあああっ! 悪魔ー!」


 バタン。


「お前もかいっ!」


 どうやら異世界の住民に、今の容姿は刺激が強すぎるようだ。

 ツッコんだのも束の間、敵の中に見慣れぬモノが混じっているのに気づく。


「何だあれ、時計……?」


 まるで目覚まし時計に手足が生えたような奇妙な生物が、こちらに敵意をあらわにしていた。音波をぶつけると、びよーんとバネを伸ばして簡単に壊れていく。

 問題はなさそうだが、曲を奏でながらそろそろ三分が近づくのを感じる。


「もってくれ、俺の指先ー!」


 この曲は最後が一番きつい。作曲者はドSに違いない!

 弾けてしまう天才たちのせいで、音楽はどんどんエスカレートしていったのだ。

 ぎりぎり曲が終わるのと同時に、最後の一体が吹き飛んでいった。


「ああ……弾ききっ……た……」


 だらりと手を伸ばすと、肩のストラップに重みが一気にのしかかる。


「キュー!」


 ラ・トゥールの代わりに、チュー太郎が「ブラボー!」と言ってくれた。

 あらためて工房内を見まわすと、倒れたグレムリンと壊れた時計に混じり、先ほどの青年が横たわっている姿が目に入る。


「こうしてる場合じゃない。オベールさん、起きてください!」


 演奏中は過激になってつい呼び捨てにしてしまったが、逆立った髪の毛が元通りになると心もすっかり落ち着いてしまう。

 慌てて駆け寄り、上体を起こして何度も揺さぶっていると、やがて彼はうっすらと目を開けた。


「うん……、君はいったい……?」


「俺は鼠尾チュン二郎っていいます。あなたを助けに来ました」


「チュン、ジロー?」


「ええ、ジェランドさんも一緒です。増援が来る前にすぐにここから逃げましょう」


「ジェランドが……? わかった、ありがとう」


 手を貸すと青年はなんとか立ち上がる。

 ったく、なんでどいつもこいつも美男美女なんだ。俺は内心、苛立った。


「すまない、僕は道具を持ってから向かう。すぐに終わるから」


「わかりました、急いでください」


 さいわいジェランドさんは無事だった。やむを得なかったとはいえ、目を離した隙に狙われたらひとたまりもない。眼鏡を拾い上げて声をかける。


「ジェランドさん、起きてください。オベールさんが来ますよ」


「……うん……?」


 あまり触れないようにして軽く肩をたたくと、ようやく彼女も目を覚ました。


「今なんと。オベールが?」


「はい、あなたも無事でよかった」


「はっ! 青い悪魔はどこへ?」


「いや、あれは……」


 どう説明したらよいか迷っていると、足音が近づいてくるのが聞こえた。


「ジェランド!」


「オベール!」


 彼女は俺を押しのけて立ち上がると、青年のもとへと駆け寄った。ふたりは互いに固く抱きしめ合い、共に涙する。


「ああ、よかった、オベール!」


「君も無事でなにより……」


「けがはない?」


「ああ、問題ない。それよりさっきの方は……」


 青年はこちらの姿を認めると、ジェランドさんを少し離し、丁寧に会釈した。


「どうお礼を申したらよいか……」


「いえいえ。当然のことをしたまでです」


 美しい女性は咳払いをすると、彼の横に立って笑顔を向けた。


「チュン二郎さま、本当にありがとうございました。あらためて紹介いたしますわ。こちらがオベール・チュン、私の婚約者です」


 ……うん、まあなんとなく察してはいたさ。

 オベールさんが瞳を開いた瞬間、男の自分ですらイケメンと思ったからな。眼鏡を掛けたら、よりいっそう残酷な現実が見えてしまった。

 さらば、愛しき人よ。俺の物語にヒロインは不在のようだ。

 しかしよりにもよってチュンってひどくないか? いったいどんな確率だよ……。


「こちらこそよろしくお願いします。鼠尾チュン二郎です」


「ははっ、同じチュンですね!」


「そうですね!」


 俺は悲しみをこらえ、引きつった笑いを浮かべる。

 チュー太郎は慰めるように、「キュゥ……」と軽く鳴いた。

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