第7話 ネズミと美女

 腐っていた玄関付近とは異なり、奥に行くにつれて床は多少マシになっていった。

 ラ・トゥールさんは立派な部屋の前で立ち止まると、タンタタタンとノックする。音楽家ともなれば、単に扉をたたくだけでも軽快な音が出せてしまうらしい。


「はい、どうぞ」


 奥から美しい声が聞こえてきた。まだ若い女性だが、少し年上な気がする。


「わたしだ、入るよ。客人を連れてきた」


 その部屋にどんなものが置かれていたのか、俺は覚えていない。つい癖で使えそうな家具には目をやってしまうのだが、とてもそんな物を見つめる余裕などなかった。なぜなら、その人は恐ろしいほどの美女であったから。


「まあ、東洋の方かしら。わたくしはジェランドと申します」


「……はっ! お、俺の名前は鼠尾ねずおチュン二郎といいます!」


「キュー!」


「こいつはチュー太郎っていいます! 俺のペットです!」


「まあ、あなたチュンというのですか。チューさんもどうぞよろしくお願いします」


 彼女は両手でスカートの裾を広げると同時に、膝を曲げて腰をかがめ、深々と頭を下げた。たしかカーテシーと呼ばれる挨拶だったと記憶する。

 年の頃は十八ぐらいだろうか。明るい栗色の長髪と大きな瞳をもち、穏やかな表情からは内面の美しさがにじみ出ている。お金持ちの令嬢という感じではなく、むしろ質素な出で立ちをしていた。


「チュン二郎はわたしたちを手伝いに来てくれたんだ。信用できて、おまけに強い」


「まあ、ありがとうございます。なんと心強いのでしょう」


「へへ、そんな大袈裟な」


「キュゥ~」


 どうも彼女には伝わっていない様子だが、チュー太郎は「べっぴんさんだ」とか「照れる」などど言っていた。


「さっそく本題に入ろう」


 おっさんはジェランドさんの横に立つと、急に真面目な表情を浮かべる。


「彼女は、この時計を創造した天才時計職人の娘さんなんだ」


「生きた時計?」


「さよう。グレムリンたちはこいつを狙い、彼女を襲ってきた」


「許せないですね」


「しかし、どうやらそれだけではないようでね。連中の親玉は、どうやら彼女自身も欲しているようなのだ」


「グレムリン風情が? なんて厚かましい!」


「キューキュー!」


 あんな物を粗末にする奴らに、この美しい女性はふさわしくない。チュー太郎も「そうだそうだ」と言っている。


「わたくしの父の名はザカリウス。グレムリンの王はピットナッチオと言います」


「それで俺はどうすればいいんです? すぐにでも敵の本拠地に乗り込みますか?」


「まあ待て、まずは状況整理だ」


 おっさんは手でこちらを制す。俺としたことが少し興奮しすぎたようだ。


「ザカリウス氏は時計ギルドの親方で、すでに亡くなっている」


「そうだったんですね。お気の毒です」


「いえ、お気遣いありがとうございます。もうだいぶ立ち直りました」


「ピットナッチオは人間とさほど変わらない姿をしており、グレムリンの上位種か、あるいは悪魔かもしれん。小柄な老人で、油断のならない人物だ」


「悪魔……」


「わたしの調べでは、奴は極めて恐ろしい計画を立てている。それが──」


 一呼吸を入れる。音楽家らしく、を大切にするのであろう。


機械神デウス・エクスマキナ──時計神ザカリウスの復活だ」


「なんだって? ジェランドさんのお父さまを機械で蘇らせるというのですか?」


「そのとおり。天才時計職人の魂を機械の体に呼び降ろそうというのだ」


 グレムリンごときが機械で神を作るとは、ずいぶんと大それた計画だ。まるで、『猫のひたいにある物を鼠がうかがう』である。


「敵の戦力は無尽蔵と言っても過言ではない。なにしろ獣型のグレムリンは繁殖力が高く、機械で作った手下までいるときた。どうも背後に魔神が絡んでいるようでな。わたしの仲間に応援を頼みたいところだが、あいにく年末で忙しくてね……」


「魔神だって!? 世界の危機だっていうのに、なんて薄情な人たちなんだ!」


「確証がないんだ。今現在わたしが持っているこの時計をはめることで機械神は完成するのではないかと、そこまではつかんでいるのだが」


 魔術師といえど、みんな生活がある。前に会ったときラ・トゥールさんが口にした言葉が脳裏をよぎり、歯がゆい思いがした。


「味方をしてくれる人はいないんですか?」


「オベールという青年が、グレムリンに捕らわれている。まずは彼を救い出したい」


「父の弟子で優れた時計職人なんです。わたくしの自宅には、スクラスティクという老いた女中もいます」


「……ふたりだけですか?」


「ああ」


 話を聞く限り、ジェランドさんもオベールさんもスコラスティクさんも、とうてい戦力になりそうもない。実質、俺とおっさんで敵に挑むってことじゃないか。

 チートなチーズとこのエレキギターがあれば、雑魚グレムリンなどバッタバッタと無双できそうな気もするが、魔神なんて話は聞いていない。

 しかもこれはゲームの世界でもなんでもない。俺は単なる生身の人間で、自惚うぬぼれていきなり飛び込んできてしまった、ただの十六歳なのだ。

 やられれば死ぬ……──。


「じつはわたくし、チュンを心から愛しているのです」


「……はい?」

「……キュ?」


 落ち着け、きっとなにかの間違いだ。

 今、彼女は「チュンを心から愛している」と言った。

 『チュン』とは俺に間違いないが、チュンという別人を指している可能性もなくはない。一応、ちゃんと確認しておこう。


「ええと、それはどういう意味でしょう……?」


「はい。チュンはとても優しくて──」


 俺だな。


「とても手先が器用で──」


 俺のようだ。


「とても慈しみ深く──」


 俺じゃないか!


「とても格好がよくて──」


 俺じゃない、か……?


「バカにされてばかりだけど、本当はとても強いのです!」


 まさしく俺じゃないか!!


「そ、そんな……。そうなんですね」


「はい!」


 確信した。ジェランドさんは俺に惚れている。いわゆる一目惚れってやつか。やけに俺について詳しいが、おそらくラ・トゥールが教えたのだろう。

 出会って数分だというのに、なんて罪深いんだ、俺は……。そう思ったら自然と、言葉が喉から紡がれていた。


「わかりました、お嬢さん。命を賭してあなたを助けるとお約束しましょう」


 俺は右手を胸に添えてうやうやしくひざまずき、深々とこうべを垂れた。


「まあ、ありがとう! チュン二郎さん!」


「いえいえ、当然ですよ」


「キュー?」


 どうした、チュー太郎。何か言いたいことがあるようだが、もう決めたことだ。

 お前は怖いかもしれないが、俺は男になる。

 チー牛? ああ、馬鹿にしたいならいくらでも言え。

 あばよ、お前ら。俺はこの世界で、一足先に英雄になってくるぜ……。


「そうと決まればさっそくオベールさんを助けに行きましょう、ラ・トゥールさん」


「お、おう。怖くはないのか?」


「怖くないと言えば嘘になります。でも今更のこのこ帰れますか。どのみち機械神が完成したら、人間の世界だってただじゃすまない。現に時計が続々と壊されて部品が盗まれているんです。たとえ動けるのが自分だけでも、俺はやりますよ」


「よく言った、少年」


「ああ、ありがとうございます。神に感謝します……」


 なんだか大変なことになってしまったな。

 まあ、困っている美女を前に素通りできますかって話よ。

 しかも俺に惚れてるんだぜ?

 頭を下げているジェランドさんを見てこっ恥ずかしくなり、背中のエレキギターを前にまわして、ジャカジャンと音をかき鳴らす。

 うむ、なかなかにクールな音が出た。

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