⑨目覚めの時

 貴之は窓から真純の部屋にお邪魔して、枯れて実をつけているその花を掴んだ。


「優しくて純粋で、とても美しい菊地さんを……、この花みたいに枯らしたくはない」


 呟くようにそう言って、貴之は目覚めて欲しい。と強く願う。どこかに捨ててしまおうと窓から外に出た瞬間、貴之の持っていた枯れた毒花がサラサラと静かな音を立てて消え始めた。


「えっ!?」

「どうしたんです…………。何これ」


 花は真っ赤な砂になって、サラサラと崩れ消えていく。まるでファンタジーの世界にいるような、不思議な気分だった。


「きゃあっ! 真純ちゃん!!」


 話が分からない縁は、力になれないから。と真純を看ていた。そんな縁が真純の傍で声をあげるから、貴之と光狩は焦って真純と縁を見つめた。


「何!?」

「どうしたんですか!?」


 縁は、真純を見つめてポロポロと涙を流していた。真純は小さく唸ったあと、瞳を開けて天井をボーッと見つめている。


「真純ちゃんが動いたの! 目を開けてるの!」


 縁の言葉を聞いて、光狩は真純の傍らに膝をついた。貴之も、半分土足で靴を脱ぎながら真純の元へと駆け寄る。


「姉さん!!」「菊地さん!?」


 天井を見つめてボーッとしていた真純が、ゆっくりと光狩の顔に視線を向けた。


「……どうしたのよ。光狩ったら、そんな目をして私を見て」


 光狩の顔を見つめていたら少しずつ頭の中が明瞭になっていったようで、真純は光狩の頬に手をあてて微笑んだ。

 

「姉さん!」

「きゃっ」


 光狩は泣きながら、真純の身体を抱き起こした。


「光狩……?」

「姉さんだ。姉さんが起きてる……! 姉さんの声だぁ……!」


 光狩はボロボロと大粒の、歓喜の涙を流す。その傍では縁も泣いているし、貴之も涙ぐんでいた。


「なあに? 光狩ったら……。苦しいわ」

「真純ちゃあん……!」

「菊地さんっ……!」


 二人とも光狩の背に手を添えて、もう片方の手は真純の手をしっかりと握る。


「え? え? 縁ちゃん? 森山くん……? どうしてうちにいるの……?」


 戸惑う真純を置いてけぼりにして、三人は暫く嬉し涙を流して真純の目覚めを喜ぶのだった。


。。。


 冷静になったあと、三人は戸惑う真純にこれまでの経緯を話す。一週間ほど、真純は目を覚ますことがなかったこと。最近、家の周りを里奈がうろついていたこと。光狩が書いた覚えのないメッセージカードと、里奈の呟きから、里奈が真純の眠りに関わっているかもしれないと思ったこと、そして、今はもう手元にない、毒花の話も……。


「そんな……。そこまでして、あの人は私を殺したいのね」


 真純は、以前自分を殺そうとした中年男性を思い出す。そして、今回の出来事だ。本当に義理の母親に恨まれているのだ。と、真純は悲しくなった。


「酷いわ。殺し屋さんを呼んだり、可愛い光狩の名を騙っておかしな花を送るだなんて……」


『殺し屋さん』と聞いて、光狩達は驚いた。


「何の話?」

「実はね、前にも義母に雇われたって言う男の人に会った事があるの。でも、あの人は私を殺せないって言って、家に帰してくれたわ」

「聞いてないよ……」


 光狩の表情が曇る。


「ごめんなさい。心配かけてしまうでしょう? それに、あの時は無事に帰って来られたし」

「それでも、あの人はまた君をこうして傷つけた。もし、あの花の実が落ちていたら……」


 その時の事は想像したくない。したくないが、察してしまう。あの不思議な花が里奈の言っていた通りに実を落とした場合、真純は永遠に目を覚ますことは無かっただろう。


「あの花は消えてなくなってしまったし、殺し屋って人も、もうどこにいるかすら分からない。でも、君をこんな目に遭わせたあの女をこのままにしておきたくもない!」


 貴之は怒りを表情に滲ませ、拳を強く握る。


「森山くん……」

「俺の大切な人をこんなにも悲しませた事を後悔させてやりたい」


 貴之は最後に、あの女の人に会いに行く。と言った。真純は目を覚ましたぞ。と悔しがらせてやろう。今後一切近づくな。と釘を指してやろう。そう考える。


「待って。それなら、私も行くわ。もう、光狩や縁ちゃんを悲しませたくないし。光狩には悪いけれど、あの人の事は私も許せない」

「今更何を言うの。僕はあの女が出ていったあの日から、実の母親であるあの女よりも、血の繋がっていない義理の姉さんを選んだんだよ。僕だってあの女が許せないよ!」

「光狩……。ありがとう」


 真純は光狩を見つめて微笑んでから、視線を貴之に戻す。


「それにね、私も大切なあなた一人に危険なことをさせたくないの」


 真純はそう言って、貴之の拳に手を添えた。


「でも、菊地さん。あの人がまた何かしてきたら……」


 真純がまた危険な目にあったら、今度こそ貴之はどうにかなってしまいそうだと思った。それは光狩も縁も同じ気持ちで、真純の手に自分達の手を合わせて、言う。


「それじゃ、僕も連れて行って」

「私も。私も真純ちゃんを守るよ」

「光狩。縁ちゃん……」


 真純はみんなの思いに感激して、嬉し涙を流す。真純はいつの間にか、とてつもなく素敵な人達に囲まれていたのだと、改めて気づいた。


「カフェの宝石達も、みんな真純ちゃんを心配してたんだよ! 全部終わったら、元気な顔を見せに行こうね」

「ええ、ありがとう。縁ちゃん」


 優しい人達に囲まれながら、真純は最後のお別れを言うために、里奈に会いに行くことにした。


。。。


 光狩に連れられて、真純達は里奈がいるというマンションにやってきた。インターホンが鳴らなかったので、管理人に生徒手帳を見せ、母親に会いに来たのだと話す。マンションの部屋の入り口まで管理人に連れられて、監視の下で部屋のインターホンを鳴らした。


ピンポンピンポン


 ベルの音が短く二回鳴り響き、すぐに辺りがシンとする。


「この時間、留守なんですか? うちの母が働いてるって話は聞いたことがないんですけど……」


 がめつい母のことだから、もしかしたら遊び歩いているのかもしれない。とも思った。しかし、彼女は自分のテリトリーに相手を引きずり込むのが趣味なのだ。わざわざ出かけることをするだろうか。とも思う。


「いや、働いてはないみたいだが、よく派手な服を着て出かけているし、今日もどこかに出かけてるんじゃないかねえ」

「そうですか」

「見かけたら息子が来ていたって伝えといてやるよ。また日を改めて来な」

「はあ……」


 拍子抜けだが、光狩はある意味ほっとした。あの顔を見なくても済むのか。とつい思ってしまった。


。。。


 しかし、その後何度家を訪ねても、彼女はどこにもいなかった。部屋の持ち主である鏡にも話を聞いたが、真純が目覚めたあの日付けから、彼女は家に帰っていないのだと言っていた。


「菊地さんが目を覚ましたって、気づいたのかな」

「気づいたとして、もう一度狙いに来ない理由も分かりません……。あの女は執着心が強いから」

「足がつくと思って逃げ出したとか?」


 いくら考えても、季節が変わっても、結論が出ることはなかった。しかし、これだけは言える。もう真純を脅かす存在はここにはいないのだ。と。


。。。


 季節は巡って、光狩は見事受験に成功し、卒業を迎えた。そのお祝いとして、優しいカフェの店員達が短時間ではあるがカフェを貸切状態にしてくれ、真純や縁、そして貴之が光狩を祝ってくれる。


「ありがとうございます。こんなサプライズがあるなんて、ビックリしました」

「ううん。頑張って勉強していたもんね。俺も嬉しいよ」

「光狩は本当に私の自慢の弟よ」

「今日は私達の奢りだから、沢山食べてね!」


 わいわい騒ぐ中、宝石である店員達も光狩をお祝いするためにサービスしてくれた。真純の眠っていたあの件から、少しずつ親睦を深めていったのだ。


「あのね、光狩くん。報告があるんだ……」


 盛り上がりが少しずつおさまってきた頃、貴之が言いにくそうに頬をかいて光狩を見つめた。


「……姉さんとの事ですか?」


 光狩は何となく、最近の姉と貴之の仲を察していた。早く教えてくれればいいのに。とずっと思っていたのだが、恐らく自分が受験生だから気を使ってくれていたのだろう。とも理解している。


「うん。俺達、最近お付き合いをはじめて……。だから、光狩くんには伝えておかなきゃって」

「はい。何となくですけど、知ってました。僕も森山さんにはたくさんお世話になったし、姉さんの事も任せられます」


 光狩は二人の仲を祝福し、簡単ではあるが二人の交際を記念して新しくケーキを頼んだ。


「姉さんを悲しませたら許しませんからね!」

「うん。約束する」

「ありがとう。光狩!」


 優しくて純粋で、美しい少女は、頼りになる弟や優しい恋人。明るい友人と宝石のように個性的な面々に囲まれ、今も幸せに暮らしている。

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