⑧実が落ちる前に

 貴之は光狩と約束した通り、今日は縁を連れて真純のお見舞いに行った。


「森山さん、いらっしゃい……」


 光狩は今日、受験生になって初めて学校を休んだ。一瞬でもこの生活から抜け出すために、真純の死を想像してしまった罪悪感と、本当にいなくなってしまったらどうしようという焦りから、光狩は真純のそばを離れることが出来なかったのだ。


「昨日より元気がないみたい。光狩くん、大丈夫?」


 昨日も思った事だが、光狩の顔色は絶対に大丈夫ではなさそうだ。それでも、貴之はつい聞いてしまう。


「ありがとう。森山さん……」


 光狩は貴之を見つめて小さく笑った後、縁に視線を向ける。すると、視線に気づいた貴之がすぐに縁を紹介してくれた。


「俺や菊地さんのクラスメイトで、黄江縁さんだよ」

「初めまして! 突然お邪魔してごめんね」

「いえ、きっと姉さんも喜びます」


 光狩は弱々しく笑った後、二人を真純の部屋へと招き入れた。


「ねえ、光狩くん。昨日バイト先の人に真純ちゃんのお見舞いに行くって言ったらね、みんなも来たいって言うの」

「バイト先の人ですか」

「私の他に六人もいるから、何人か少ない人数で、もしも迷惑じゃなければ……って思ったんだけど」


 縁は申し訳なさそうに、光狩を見あげる。


「いいと思います。みんなが声をかけてくれたら、姉さんも目を覚ますかもしれませんし」


 早く目を覚まして欲しい。そのためなら、なんだってしたい。光狩はそう思った。そうでないと、本当に里奈あの女が言った通りになってしまいそうだから。


 そう想像をしてしまった光狩の背筋が、ゾクリと凍る。なんて恐ろしい想像だろうか。


「ありがとう! またみんなに声をかけてみるね」

「こちらこそ、ありがとうございます」


。。。


 結局、その次の日から縁に連れられて、代わる代わるにカフェの店員達が見舞いに来てくれた。


「どうして優しくて、可愛くて、働き者の真純ちゃんがこんな目に……」

「早く目を覚まして。また一緒に働こうよ。待ってるからね」

「客達もみんな待ってるよ。オパール…いや、真純ちゃん……。目を覚まして、また素敵な笑顔を……。姿を見せて」


 カフェの店員達は、みんな真純の状態を見て嘆き悲しみ、そして励ましの言葉をかける。真純が目を覚ますことを願って、必死に声をかけ続けている。


 そのためか、光狩の気持ちも段々と落ち着いていった。真純に声をかけるみんなの声を聞いて、光狩まで元気をもらっていた。


「みんないい人達だね」


 光狩はみんなが帰ってシンとした部屋の中。真純の横で、そう呟くように声をかけた。


「ずっと僕の事で忙しくしていた姉さん。僕のせいで大変な思いばかりしてきたと思ってた。友達も出来ないんじゃないかって心配してた。でも、あんなにたくさんの素敵な人達に囲まれていたんだね。森山さんっていう、姉さんを恋い慕う男性もいるし。黄江さんっていう、友達思いの素敵なクラスメイトもいる。バイト先の人達だって、そのバイト先に集まるお客さん達だって……。みんな姉さんを大切に思ってくれている。もう、姉さんを必要としているのは僕だけじゃないんだね。みんな姉さんが目を覚ますのを待ってるよ。だから、早く目を覚ましてよ。姉さん…………」


 光狩は祈るように、縋るように真純の手を取って、自分の額にその手をつけた。真っ白で綺麗な手は力なくだらんとしているのに、確かな温もりを感じる。


。。。


 日曜日。今日は縁が午前中から真純のお見舞いに来てくれた。


「真純ちゃんのお部屋。眠ってから何にもしてないでしょ? 軽くお掃除してあげたくて」

「それでわざわざ休みの日に? ありがたいですけど、いいんですか?」

「うん! むしろ、急に来ちゃって大丈夫だった?」

「それはもちろん! いつでも姉さんに会いに来てあげてください」


 光狩は嬉しそうに笑う。掃除はずっとしたいと思っていたが、貴之が前に言ったように、光狩は受験生だ。学校から帰ったら、簡単な換気くらいしかしてあげられていなかった。


「掃除、とても助かります。休日だししたいなって、僕も思ってたんです」

「じゃあ、手伝う! まず換気と……。真純ちゃんが埃を吸わないように、はたきや箒は使わない方がいいよね」

「そうですね。雑巾を持ってきます」

「ありがとう!」


 光狩が部屋を出ていったそのうちに、縁が窓を全開にして風通しをよくする。


「持ってきました。バケツは窓際に置いておきますね」

「はーい。私は机や家具を軽く拭くね。カーペットは後で粘着クリーナーでコロコロ掃除しよ」


 縁は受け取った雑巾を握りしめて、やる気のポーズを見せる。縁が来ると部屋の雰囲気が明るくなるので、光狩はいつも助かっていた。ニコッと笑顔を返して、光狩も縁と同じようにガッツポーズをして見せた。


「はい。姉さんの布団も換えたいんですけど、手伝って貰えますか?」

「もちろん!」

「黄江さん。本当にありがとうございます」


。。。


 一方、貴之は休みの日でも変わらず真純のお見舞いに真純の家へと向かっていた。今日は、手土産に小さな花束を花屋で買っていた。貴之は、以前来た時にクローゼットの上にあるが枯れている事に気づいて、変えてやろうと思ったのだ。


「……あの人」


 真純の家に向かう途中で里奈を見かけて、貴之は動揺してしまった。先日の悔しい気持ちが蘇って、嫌な気分になった。


 彼女の歩いてくる方向から察するに、また真純の家の前に足を運んだのだろうか。そう思ったら、貴之はもっと嫌な気分になって、自分の顔が歪んでいくのを感じる。


「………………」


 しかし、遠くて聞こえないが、里奈は何やらイライラしているようで、爪を噛んでぶつぶつと独り言を呟きながら歩いていた。


 それがつい気になってしまい、貴之は彼女とのすれ違い際に、彼女の方へ耳を集中させる。


 いつになったら実は落ちるのか。早く消えて欲しい……。彼女は確かにそう言った。


 貴之はそれを聞いて、真純の顔を思い浮かべる。『消えて欲しい』の対象が真純だと、分かってしまった。貴之は彼女を問い詰めようと、身を翻す。


「捨てられたらどうしよう……」


 彼女の言葉から漏れたその言葉を聞いて、貴之は足を止める。そして、もう一度身を翻すと、真純の家へと急いだ。


。。。


 光狩は掃除中、クローゼットの上にある見覚えのない花を見つめて不思議な顔をしていた。姉はいつの間にこんなものを置いていたのだろうか。


「初めて見る花だね。実もできてる」

「あ、はい。先週はなかったので、きっと姉さんが眠る直前に買って置いたんでしょうね……。もう枯れてしまってる」


 光狩は真純の事ばかり気にしていたせいで、花の存在に気づかなかった。毎日水をやっていれば枯れなかったかもしれないのに。真純が目を覚ました後、枯れている花を見て悲しむだろうか。そう思った。


「今からじゃ遅いかもだけど、水を持ってくるね」

「ありがとうございます」


 光狩はクローゼットの上に花を戻すと、濡れた雑巾を持って窓に近づいた。その時、吹いた風が机の上に置いてあった紙を飛ばしてしまうので、光狩はそれを拾う。


「……? なんだこれ」


 雑巾を持って濡れた手で触ったからだろうか、濡れた箇所に文字が浮び上がった。光狩は雑巾を洗い直してから、軽くその紙に水分を含ませる。


「意味がわからない」

「どうしたの?」


 水を持って帰ってきた縁が、紙切れを見つめて険しい顔をしている光狩に声をかける。


「それが、書いた覚えのないメッセージカードがあって。僕の筆跡でもないし」

「え? それは変だね」


 縁もそのメッセージカードを覗き込む。その瞬間、インターホンが鳴った。窓から軽く顔を覗かせてみると、玄関先に立っているのは貴之だった。


「森山さん。こっち」

「あ、光狩くん!」


 貴之は息を切らせて、窓の側へと駆け寄ってくる。


「大丈夫ですか? そんなに急いで……」

「あの人、この前の女の人を見かけて、その人が変な事を言ってたから……」


 また母が? そう思って、光狩は苦虫を噛み潰したような顔をする。縁は何の事だかわからないので、首を傾げて二人の会話を静かに聞いていた。


「……って事があって」

「あの実をつけた花の事?」

「多分。元々、枯れてるし変えようと思って花を買ってみたんだけど……。あの花があの女の人の用意したものなら、実が落ちる前に捨ててしまおうよ。根拠は無いんだけど、もしかしたらあの人が、花に細工をして菊地さんに何かしたのかもしれないし」


 貴之は、真純が目覚める可能性があるなら……。と、根拠は無いが力強くそう言った。光狩は貴之に完全に賛同する。


「僕も、姉さんが目を覚ますかもしれないならなんだってしたいです。だから、森山さんが持ってきてくれたその花を、あの枯れた花の変わりに飾ってあげてください」


 光狩はそう言うと、貴之を真っ直ぐに見つめる。希望があるかもしれない。と期待するような、綺麗な瞳だった。

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