⑥暗転
片桐里奈は、憎き
しかし、あの娘の前では、里奈の魅力なんて消え去ってしまう。里奈によってかけられた、呪いにも似た魅了の力は綺麗さっぱり消えてしまうのだ。
1人目の男は、美しい真純を見て足がすくんだ。しかし、何もしない訳にはいかなかったので脅かしのつもりで信号待ちの所を突き飛ばした。本当に車道に出てしまうとは、彼も思っていなかったようだ。あれから、里奈の前に彼が姿を現したことは無い。
2人目の男も、美しく純粋な真純を前に心変わりをした。真純を家に返した後、美しい少女を殺そうとした。と持っていたナイフを片手に警察に出頭したそうだ。未遂だったことと自首をした事もあり、そう長くムショにいることは無いだろう。何故なら、真純は無傷なのだから……。
「忌々しい女め……」
里奈はギリッと歯ぎしりをしつつ、カフェで元気に働く真純の姿を恨みがましく見つめていた。
「どうしてくれようか……」
思わず口にしたその言葉に、後ろから返事が返ってきた。
「手助けをしてやろうか?」
里奈が驚いて振り返ると、そこにはいかにも怪しげな格好の女が立っていた。
女は真っ黒のドレスを身にまとい、これまた黒い、広い縁の帽子を被っている。どこかのパーティーにでも出るつもりなのだろうか。この国の現代社会にはそぐわない装いである。
「あんた誰よ?」
里奈は訝しげに眉を寄せて聞くが、女は真っ赤な唇の端を怪しく上げると、里奈に対して一輪の花を差し出した。
「何よこれ」
「毒花だ……」
怪しげに笑う唇を見た里奈は、思わずゾッとしてしまう。出しかけていた手を引っ込めて、女を睨みつけた。
「花びらを口に含まなければ問題ない」
その一輪の花は、開いた花を覆うように袋が被さっている。花束でもないのに綺麗にラッピングされているのはそういう事か。里奈はそう思って、茎のリボンがついている部分を持ち上げた。
「私は魔女だ。この花は私が作った特別な毒……。目当ての娘を永遠に眠らせることの出来る毒。この花は1週間で枯れ、実を落とす。実が落ちれば対象は完全に息を引き取るよ」
魔女。特別な毒。永遠に眠らせる……。この花はそんなおとぎ話に出てくる魔法のような花だと言うのか。
「お前が魔女だという証拠は?」
「……これをやろう」
魔女が今度差し出してきたのは、ひとつの小瓶。
「この薬はお前の体を10年若返らせてくれる」
「なんですって!?」
自身の容姿に絶対的な執着を見せる里奈は、その小瓶を奪うように受け取った。その小瓶に入っているピンク色の液体をうっとりと眺めている。
「もし私が本物だと分かったのなら、この花の封を切って対象の部屋にでも置いておけ。花の香りが部屋に充満し、一晩で娘は眠りに落ちて、実が落ちれば完全に死ぬだろう……」
「ええ。ええ……。わかったわ」
里奈は花よりも小瓶の中身に夢中になって、話半分に魔女の話を聞いている。
「しかし、私は魔女。タダで望みを叶える訳にはいかぬ。成功した時の報酬はあの娘の魂。失敗した時の代償はお前の命だ。わかったな?」
「ええ。ええ……。わかったわよ」
本当にわかったのだろうか。魔女はそう思ったが、成功しても失敗しても、魔女にとってはどうでもいい事だ。くすくすと笑って、うっとりと小瓶を見つめる女を置いたままその場を去った。
。。。
真純と光狩が学校でいない午前中。若い女が真純の寝室へと忍び込んでいた。
「ふふふ……。これであの女も終わりよ」
そう。小瓶の薬で若返った、片桐里奈である。
里奈は魔女に言われた通り、花にかかった袋を綺麗さっぱり取った状態で、クローゼットの上に飾っておく。隠しておいたとしても効果は変わらないのだが、里奈はより確実に真純の命を奪うために、花びらがよく見える位置に置いておいた。
。。。
里奈の作戦は大成功だった。
今日も今日とてバイトから帰ってきた真純は、食事と入浴の後、寝る準備をしている所でクローゼットの上にある花の存在に気づく。
「まあ、綺麗なお花。光狩ったら、直接くれたらいいのに」
メッセージカードだけを大事に手に取って、真純はそれを机の上に飾ると、改めて寝る準備をする。
「明日お水を変える時にじっくり見ましょ」
戸締り後、綺麗に咲く花を見つめてニコニコと微笑んだ真純。
彼女は朝になっても、次の日も。そのまた次の日も……目が覚める事は無かった。
。。。
真純が毒花によって眠りに落ちた次の日、いつも通りの時間になっても起きてこない真純に対して、光狩は疲労によるものだと思って深く考えずにいた。
学校に行く時刻ギリギリになっても起きないので真純の部屋へお邪魔したところ、真純は綺麗な顔で眠っていた。
「姉さん……?」
静かに眠っている真純の姿は美しく、まるで人形のようだった。色白で陶器のように艶のある肌。りんごのような赤いほっぺた。サラサラで綺麗な黒髪。
物語に出てくるお姫様のようである。
「起きてよ。姉さん……。姉さんってば。遅刻するよ?」
何度起こしても起きない。揺すっても、軽く叩いてみても。近くで大きな声を出しても。
「もう。王子様みたいにキスしちゃうよ? 弟にそんな辱めは受けたくないでしょう?」
途中、狸寝入りで驚かせようとしているのかとも思ったが、そんなことは無かった。
「大変! 家が火事だよ! 姉さん!?」
本当に何をしても起きない真純を見て、光狩の血の気がスーッと引いた。
「姉さんっ!!」
。。。
救急車を呼んだ光狩は、検査を受けている姉を検査室の前で待っている。酷く青い顔をしているので、周囲の人が彼も病人なのではと勘違いしてしまう程だった。
「片桐光狩さん。お姉さんの検査が終了致しましたので、お呼びするまでまた待合室でお待ちください」
真純は、診察室の奥に用意されているベッドに寝かされた状態のままでいる。光狩のいる待合室からは見えない。
ソワソワとして落ち着かないし、グルグルと不安で頭がいっぱいだ。気分も悪くなってきた。
「菊地真純さんの付き添いの方。どうぞ」
「は、はい」
姉はどうなってしまったのだろう。酷い病気でなければよいのだが。早く目を覚まして欲しい。そんな事を思いながら、光狩は診察室に入っていく。
「結論から申し上げますと、彼女の身体は健康そのものでした。何故眠ってしまっているのか、目を覚まさないのか、原因は不明です……」
「ど、どういう事ですか!?」
「ただ眠っているだけなんです。彼女は脈も呼吸も正常で、脳の検査もしましたが、これといった異常は見つからず……。本当にただ、ただ眠っているのです。お力になれず申し訳ありません」
「目は、いつ覚めるんですか?」
光狩がそう聞くと、医者の顔が険しくなる。ドキリとした。
嫌だ。聞きたくない……。
「わかりません。明日目が覚めるかもしれないし……一生このままかもしれません……」
「う、嘘ですよね!? だって、身体は健康なんでしょ。何も問題がないのに、何で目を覚まさないんですか!?」
光狩は思わず立ち上がった。医者のそばにいた看護師らしき人が慌てて光狩と医者の前に立つ。
「申し訳ありません……」
医者は目を伏せ、そう言った。光狩の頭の中が真っ白になる。目の前が暗転する。椅子に力なく座ると、看護師の人が気遣うように覗き込んできた。手にはタオルと紙コップに入った水を持っている。
「……姉は連れて帰ります」
真純と光狩だけで暮らしているのだ。光狩は今日の検査の支払いだけで手一杯で、彼女を入院させるだけのお金を払うことは出来なかった。
本当はもっとしっかり調べてもらいたい。しかし、医者の言う通りなら、これ以上調べることもないのかもしれない。どうすれば良いのだろうか。
「栄養補給のために、一週間に一度は通ってもらう事になります。その度に彼女を連れて来られますか?」
「……はい。必ず」
。。。
真純を車椅子に乗せ、自宅に着いた光狩。彼女は光狩が車椅子を引く間も、寝返りひとつ打たなかった。寝言のひとつも言ってくれなかった。
「姉さん……」
光狩の目に涙が零れる。もう一生、あの優しくて美しい真純に会えないのだろうか。いつでも光狩を気遣って、どんな時も気丈に振る舞う彼女の姿を見ることは出来ないのだろうか。いい点を取ったと報告する度に自分のことのように喜んでくれるあの笑顔を見ることは叶わないのだろうか。
「姉、さん…………っうぐっうぅ……………………」
光狩は玄関で、姉の身体に縋り付く。真純の膝元がどれだけ濡れようとも、彼女はうんともすんとも言ってくれない。
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