第3話 無垢とギャル 3

「昨日、あたしを助けてくれたのは……あんたなんだろう?」


 そう言った彼女には、どこか確信があるようだ。

 だが、別に隠しているわけでも誤魔化すような言い訳をするつもりもない。


「そうだけど……よく自分だって分かったね?」


「髪型が違かったからさ……朝には確信が持てなかったけど話しかけようとしてはいた。身長……体付き?いや、何か分からんけどね?でも、バスケの時も助けてくれただろ、あん時に本能的に確信がもてた」


あぁ、この人だってね。


「予定も聞かないで呼びつけたのは悪かった。今更だけど今日は時間大丈夫そ?」


「まぁ――――」


 家に帰れば父との稽古。

 残りのやることと言えば、宿題。予習。復習。くらいなものだ。

 残りは自己鍛錬に費やして終わり……


「基本的には自分は暇だね」


「そうなんだ……良かった」


 カランっと麦茶の中の氷が音を立てた。

 そのくらい二人の空間に音がなかった。

 春から夏に切り替わる季節、熱くもなく涼しくもないような平均的な温度。

 初めて訪れた誰かの家、それも部屋に居座っているという状況。

 相手は女性で、一対一で向かい合っている。


変な感じになちゃったな。


 嫌に黄昏れてしまった空間の中、馴染みの無い空気感に少し正座を組み直す。

 黙っている……というよりも、これと言って話すことがない龍昇は少しの気まずさを感じていた。向こうに座る彼女はジッと目を合わせてくるからだ。


「あん時は本当にありがとね?」


「うん。自分もランニング中に見つけられて良かったよ、教室で四人の会話を楽しく聞いている身として悲しい話は遠慮したい」


「まだ足りないよ。あたしのこれからを守ってもらったと言っても過言じゃないんだ、あれから何をされるのか想像しただけで……今でも少し怖い」


 たった一人の男にすらも敵わない。

 力というものは対人間、それも性別が違えばこれほどまでに怖いものなのか。たった一人の男にもあたしは敵わないほど弱いのか。


そう、改めて思い知らされた瞬間だった。


 腕を掴まれたときは痛かった。

 引き寄せられた時は逆らえなかった。

 大声を上げられただけで動けなかった。

 周りの人に目を合わせても助けてくれなかった。

 心臓の音がうるさかった、汗が吹き出てきた、足が震えたし、気が遠くなるような感覚というのを味わった。あれが怖いということなのかと、体に刻まれそうだった。


だけど、


 目の前で麦茶を飲む、一人の男を見た。


「ん?」


あんたに救われた。


 怖いと思う前に全てから救ってくれた。

 安心する……また、あの腕に抱きつかせて欲しい。

 いい香りがしている。バスケの時にも香ったが女の本能が求めるような匂い。


あたしを救ってくれたあんたに全てを――――


「もしもーし」


「……んぇ?」


「大丈夫?未だに怖かったらもうこの話はしない方がいいよ?体に悪いから」


「いや、思い出してたのはじゃないよ」


「そっち?」


 なんて本能的なのだろう。

 男は狼なんて言うが、女も大概だと心の中で思った。

 惚れてしまったからなのか、好きになってしまったからなのか、恋をしてしまったからなのか、愛してしまったからなのか……全く分からない。


ただただ、この人と一緒にいたい。


 そのためなら、何でも出来そうな気がする。

 あれ?今まで付き合った人ってだった?

 まぁ――――そんなことはどうでもいいや。


「ねぇ、そういや名前教えてよ」


「あぁ……そういえばまだだったね。自分は雲蔵龍昇くもくらりゅうしょう


「龍昇ね、あたしは誉優希ほまれゆうき。まぁ、クラスメイトなら知っとけよって話だけどさ」


 そして分厚い檜のテーブルを周って、龍昇の隣までやってきた。

 相変わらず、見つめている時に圧のようなものを感じる。危機は感じないが、なんだろう……説明できない。


「ど、どうしたの?急に立ち上がって」


「龍昇――――これからよろしくね?」


「え、あ、うん。よろしくね優希さん」


「〝さん〟いる?タメじゃん、呼び捨てでいいよ。てか連絡先交換しよ?」


「う、うん。いいよ、はい」


 そう言ってスマホを差し出した。


「え?」


「自分で連絡先を入れたことないからお願いしていい?」


「なんじゃそりゃ」


 すると優希は肩が当たるほどの距離に座り龍昇のスマホに自分の連絡先を入れる。

 電話帳に自分の全てを入力し、続いて連絡アプリにも登録を済ませる。


「てかなにこれ?パスなし、連絡先も……少なっ!まぁ……女としては好都合な男だね。龍昇、兄弟とかいないの?これ高校生のスマホの中身じゃないって」


 初期設定のオンパレード。

 不要なアプリの中に埋もれている連絡アプリ。新規でダウンロードしたのはそれくらいなもので、娯楽などは一切入っていない。


「自分は一人っ子、スマホはあんまり分からないから触ってない。家族から連絡来たときに使うくらい」


「流石に父、母、爺、婆、家はないって。友達いねぇのかよ」


「いない……。そもそもあんまり話かけられたことないから」


「マジかよ――――」


 言われてみれば、どこか話しかけにくい雰囲気がある。

 人気者になる人物とは真逆、何だか人物自体が捉えにくいようなとっつきにくい雰囲気だ。それに加えて髪は長いし、マスクしているし、あまり話さない。


「ぼっちじゃん」


「ぼっち?ってのは一人ぼっちって意味?でも、自分は家族いるよ?」


「……もしかして龍昇ってさ、今の時代の人じゃない?」


「しっかり令和を生きてるよ?」


「そうじゃないってば」


「?」


 検索履歴にあるのは「近くの駅」と「居酒屋 誉」の二つのみ。

 文字の変換予測は初期のままかと疑うほどに文字の種類がない。

 もう一度、彼の顔を見た。


「てかさ、この検索履歴……龍昇ってさ、AVとか見ねぇの?」


 男女問わず誰でも、それくらいは見るだろう。

 もう何でもいい。取り敢えず高校生らしい部分を見つけたかった。

 例えば今、優希が聞いた言葉に普通の男子高校生ならなんて答えるだろうか。

「は?見てます見てないですけど?」

「同じく(見てますけど?)」

「そりゃ見てるよぉ~」

 自分の周りならこんな感じで答えるだろう。

 いや、流石に男の方はもっとふざけた回答をしそうだ。

 

「えーぶい?なにそれ?」


「は?」


 耳を疑った。


「いやいや、誤魔化さなくていいから。あたしの兄貴だって中学の時から見てんだから、恥ずかしがんなって」


「恥ずかしい……その〝えーぶい〟ってのは何か恥ずかしいものなの?」


「いやいやいや……マジで言っている?」


「えーっと、ごめんね?全然そういう詳しくなくてさ……だから友達できないのかな?」


 いや、嘘つけ。

 知らないわけがない。知っていないのならそれは男子高校生ではないと言っても過言ではない。それか異世界転生でもしてきたのだろう。

 それくらいに


「龍昇……マジ?」


「何が――――って、そんなに面白い?」


「え?」


「いや、凄い笑ってるけど」


あぁ、今あたしは笑っていたのか。


 思わず口元を手で隠した。

 これほどまでに無垢な高校生がいるか?こんなにカッコよくて、強くて、優しくて、何にも染まっていない、完全に自分の色に染めることが出来る運命の人が……この世にいるのか?

 チャンスどころではない。もうこの人を逃したら、自分は一生恋愛は出来ないだろう……どういう訳か、そんな確信があった。


あ、でも……これ以上一緒にいたら我慢できなそう。


 今まで何人かと告白されたから付き合った。

 何人かと体を重ねたこともあった。

 でも、好きかと聞かれたら「好きではない」と答えるだろう。

 好奇心で付き合ってみて、好奇心で体を重ねて、好奇心がなくなったから別れた。

 でも、今は好奇心などではない。これは欲に近い何かだ。このまま二人でいるのは、本当に危険な気がしてきた。この世界がAVだったならば、既に優希は龍昇に襲いかかっていたことだろう。


「龍昇、今日はもう終わろっか」


「そうだね。もう夕方終わっちゃうし」


「明日からまた沢山話そ?」


「うん、よろしくね?優希」


 その後のことは、あまり記憶にない。

 欲求を抑えることに必死で、龍昇を玄関で見送ってからは自室でふけていた。

 おかげで布団がびしょ濡れである。風呂でやればよかったなどと後々後悔はしたものの、最高に気分がいい。


 夜、風呂上がりにふと鏡を見た。

 今まで太ったか痩せたか、それ以外で反応したことがなかった自分の体が映る。


「うっわ、あたしクッソエッチな体してんじゃん」


 これは……男が興奮してもおかしくない。

 そう自負できるほどの体付き。もはや襲われるのは当然とすら思うほど艶めかしい体をしている。


「どうりで……別れた男らがあたしに執着するわけだわ」


 真っ白な肌。

 掴んでもこぼれそうな乳房。

 ほどよく肉がついた弾力のある腰回り。

 170には届かないものの身長は高く、ヒールを履けば最高のシルエットになる。

 自分で自分に欲情する。

 それほどまでに、女の魅力が詰まっていた。


「押してもダメなら押し倒す」


 ふと自然と口から溢れた言葉は、自分の母親が言っていた言葉だ。

 父親と付き合うと同時に兄を妊娠した母親のことが、今なら理解できる。


「……あたしも、ママと一緒じゃん」


 鏡に映る自分と目が合う。

 そこに映っていた自分は、幸せそうな表情をしていた。


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