第2話 無垢とギャル 2

いやぁ、昨日はランニング中に酷い目にあった。


 そんなことを考えながら、教室の中へと静かに入る。

 周りを見れば、部活仲間や仲が良いグループでの会話で教室は賑やかだ。

 いつも通り三列ある真ん中の、更に真ん中の席に着席した。


「昨日のナンパ失敗しちゃった」


「そりゃそうでしょ~、あんた少し顔がいいだけだもんねぇ」


「おいおい、褒めるなよ……俺たち付き合っちゃう?」


「いやホント勘弁して?死んで?」


「言い過ぎだろ……」


 後ろから聞こえる声はいつも以上に賑やかである。

 でも、何かあったのだろうか?残りの二人は何か言いたげな表情である。


「てか、優希はどったの?今日は静かじゃね?」


「マジでどうしたの?大丈夫?」


「う、うん」


「彼ピッピとラブラブデートだったんでしょ?それにしては何か表情暗くなぁい?」


「表情……暗いかな?良いことと悪いことが一緒に起きちゃったから、どんな顔していいのか分からんのかも……ね」


「一体、何があったんだ!」


「テンションたっけ」


「昨日さ――――私……」


「はぁーい、席に着いてくださーい」


「絶妙なたいみんぐぅ!」


「うるさいですよ、陽也くん。その元気は次の体育の授業で発散してくださいね」


いま、すっごい良い話の途中だったんだけどなぁ……


 教室の真ん中の席である唯一の長所である、噂話。

 友達が……まぁ、少ない自分にとっては楽しいものだ。それこそ昨日の夜に出会った態度が悪い男も騒がしかったが、ここの陽キャたちの方が何千倍も騒がしい。だけど自分に「楽しい」という利益を生み出してくれているため、自分の体に微かに当たる身振り手振りも気にならない。

 まぁ、当たっているという感覚があるのかは置いといてだ。


「ん?」


 顎先に当たる前髪を少しかき分けた時、昨日の女と目があった。

 それはもうばっちりと目があった。ここに運命があるのなら時が止まっているのだと思ってしまうほどに、目があったのだ。


「……あんた」


「呼んだ?」


「違う」


……気の所為?


 龍昇にこの言葉が聞こえていなかったことを、彼女は残念だったと思うだろう。何故なら、龍昇は素直な性格に育っている。きっと今の言葉が聞こえていたなら「昨日は大丈夫だった?」なんて心配そうに尋ねてくることだろう。

 昨日と同じような優しい手で彼女の腕を掴み、温めるように握る。活殺自在である武術を学んでいる龍昇からしたら活法を扱うなど、まるで息を吸うのと同じような感覚でやってしまう。


そんなことをしてしまえば、大変なことになってしまうというのに……


「はい、朝のホームルーム終わりでーす。朝から体育でしょー、お疲れ様、頑張ってねぇー」


 わらわらと教室から出る女子、がやがやと教室で着替える男子。


「朝の優希さぁ、なんかよく分からん顔してたなぁ」


「流石に伝説のナンパ師と言われた俺でも分からなかったわ」


「いや……昨日俺と一緒に失敗したじゃん。そんでラーメン食ったじゃん」


「俺はあの後、しっかりヤリました。あの女の子と」


「は?絶交ですわ、お前とは金輪際会話はしない」


「難しい言葉知ってんじゃん」


「話しかけないでくれませんか?」


「冷たすぎない?」


 後ろからは、そんな会話が聞こえた。


昨日のなんぱっていうのは失敗したんだ……難しいのかな?

やったってのは何だろう?友達と絶交するくらい大事なことなのかな?


 龍昇は非常に素直な性格である。

 小さい頃に「お菓子は月に一回」と父親に言われから約束を守っているし、「飲み物はお茶と水とコーヒーだけ」と言われてからはそれ意外を口にしたことがない

 「帰って来たら稽古を始めるよ」と言われればどれだけ疲れていようが始めるし。

 「宿題はやったの?」と母親に言われれば宿題を「終わってるよ」と答えるし。

 それこそ、「女の子は助けてあげなさい」と母親から言われれば「分かった」と返事をして手が届く範囲で年齢関係なく助けることが出来るのならば助けてしまう。

 本当に純粋無垢のような男なのだ。

 それに、この学校で自動販売機を扱う生徒の中、水を購入しているのは龍昇だけだろう。

 つまるところ、保健体育の授業以外での知識は皆無なのだ。


「てかさぁ~、あの子超可愛かったじゃん。あのあとどんなプレイしたん?」


「普通に制服でくんずほぐれつって感じだな」


「かぁー!!いいなぁ~!!」


 教室に誰もいなくなり、ようやく龍昇が着替えを始める。

 いつもならトイレに行って、皆がいなくなるのを待って、それから着替え始めるのだが今日は話が面白かったためか自分の席から移動していなかった。

 もはや、自分が着替えていないということを忘れているかのようである。


「あっ、すぐに着替えなきゃ」



「今日の授業はバレーボールとバスケットボールだ。バレーなら男子はネットの準備、女子はボールの準備。バスケなら人数割ってチームを作ってくれ、くれぐれもバスケ部が一緒になるなんてないように」


「「「はい」」」


「対戦表はくじで決めるから……班ごとに固まってリーダーが引いてくれ。引いた番号はこのホワイトボードに書け、コートは半々で分かれてくれ」


 ギリギリ授業の開始に間に合っていた龍昇は、どちらにしようかと悩んでいた。

 どちらにせよ一人でいても大丈夫なスポーツの方が気持ちは楽であり、チームが必要な授業の場合余り組だ。

 もう二人ほど余り組がいるが、彼らは彼らで仲が良さそうで結局のところ龍昇は一人ぼっちである。


「おい雲蔵くもくら、お前は……どっちやりたい?」


「どっちでも……」


「先生を困らせるっていうにはな、内申に響くぞ」


「それならいつも通り人数が埋まってない方で……」


「ならバスケの方だな。二チームあるが、入るチームは決まってるようだな」


 コートに目を向けると、あの陽キャグループに一人足りない様子。

 いつも四人でいるからこそ、今回は余りが生じたのだろう。

 ただ、聞こえてくる声は……


「今日はお前と敵にならないといけねぇ……」


「いや、お前元バスケ部だろ?現バスケ部がそっちにいんだからこっちのチームに戻ってこいって」


「うるせぇ!俺は今日、お前をボコボコにしてねぇと気がすまねぇんだ!」


「ねぇ、あれ、何かあったの?」


「俺が昨日ナンパに成功したのを黙ってたら、あんなふうになっちまった。さっきまで普通に話してたのな、怖すぎかよ」


「はぁ……だからモテないって分かんないかなぁ~」


「まっ、しょうがねぇ。バレー組にいるバスケ部員捕まえてくるわ」


「あと一人……――――あの大きい人がこっち来るよ?」


 何だか、あまり受け入れは良くなさそうだ。


「よ、よろしく」


「……まぁ、お前にはあんま期待しないでおくわ」


 相変わらず、言葉が鋭い。男と話していた女子の方も当然だが興味や期待は持っていないような表情ですぐに視線をずらした。

 ただ、もう一人の方からは見られている。


「あんた」


「ん?」


「その声……ちょっと聞きたいことあんだけど」


「授業終わってからでもいいかな?」


 もう一人の女――――優希は視線をまじまじと龍昇に送っている。

 もう穴が空くんじゃないか?と思うほどに、足の先から頭の先まで眺めているように感じた。ただ危険な感じではない。


「てか、そのだらしない髪。結びな」


「……このままやらせて欲しいかな」


「ふーん。まっ、よろしく。あたし動かないから、動けんなら代わりに頑張ってね」


「バスケ部召喚しましたー」


 可哀想なことに、敵チームの一人がバレーへと向かっていった。

 それからすぐにジャンプボールが始まり、もはや彼ら二人だけの戦いが始まった。

 点数を決めればドヤ顔で煽り、逆に点数を決めれば「元バスケ部ってそんなもんですかぁ~?」なんて煽り、少しも触っていないのにファールにしようとしたり、顔がむかつくからファールとか言い出したり……彼らの独壇場であった。

 そんななか、定位置のように全く動かない他の人たちは彼らの会話に笑っている。無理やり連れて来られたバスケ部の人ですらも、嫌な顔せずに笑っているのだ。


「やっぱり、平和が一番」


 つい、小声で呟いてしまう。

 この高校に入学してからというもの、友達と呼べる人はできたことがない。

 ただ、彼らの会話を聞いているだけで友達との会話というのはこんなに楽しいのかなんてことを錯覚してしまう。

 常人から見れば異常な立ち位置にいる龍昇だからこそ、そこに尊さを見出だせるのかもしれないが……結局のところ何事もないのが一番良いのだから、それでいい。


「うぉい~!」


「あっぶ」


「フェイントでした」


「本気で投げるかと思ったじゃねぇか!」


確かに、相手に向かって何かを投げるという仕草は体が硬直してしまうだろう。

相手の投げる意思を汲み取れているのなら、あの程度のフェイントはフェイントにすら入らないのだが。


「はい、一点いただきました!」


 そこで連れてこられたバスケ部がボールを弾き飛ばす。


「ナイス!」


 ただ、そこそこ調子に乗ってしまったのだろう。

 弾かれたボールに向かって、男は足を振り抜いた。

 バスケットボールからはボコッと鈍い音がして、通常よりも早い速度でボールが飛んでいく――――優希に向かって。

 誰も声を発することが出来なかった。

 蹴った瞬間に当たると不思議な確信がある軌道。優希の隣には携帯をイジっている杏奈もいる。このままボールが向かえば、確実にどちらかに当たってしまうだろう。

 声も出せずに、声無き声を荒げようとする人たち。

 そして、当たると認識し始めた優希と杏奈の動向が開いた、そんなを確認している龍昇は、誰も反応出来なかったボールを二人の顔に直撃する直前に


「「「…………」」」


 急に静まる体育館。

 どうしてか、バレーをやっている人たちまでこっちを向いて心配そうな顔をしている。確かに鈍い音が体育館に響いた、視線を集めてもしょうがない。


「あぶないよ?二人とも」


「「え?」」


「まぁ、無事で良かったけどね」


「あ、ありがとぉ~」


「…………」


「そんな、感謝なんていいよ。助けられたならそれで自己満足だから」


 こうして、静寂に包まれたバスケコートを動かしたのは授業の終了を知らせる教師の笛の甲高い音だった。





 放課後になった。

 あの後に話しなどする時間は向こうにはなかったため、結局放課後にまでなってしまった。

 そして今、龍昇は母親に短い連絡を入れた。


『誰かに呼び出されたから、少し帰るの遅くなるね』


 返ってきた返事はこうだった。


『遅くなっても大丈夫だからね?』


 何を悟ったのだろうか?

 スタンプがなんだか、いつもより楽しそうな母だ。

 まぁ、自分もなんだかんだ楽しみではあった。

 人生始めての呼び出し、しかもやり方が古風だ。まさか机の中に手紙が入っているとは思わなかった。


「ここか……な?」


 来るのは初めて、帰路につくと毎回目にはするが一回も入ったことがないファストフード店の隣の隣にある居酒屋「誉」。

 未成年である自分が入ってもいいのか分からないが、ここに来いと手紙には書いてあったので、正しいのだろう。


「入っていいのかな?」


 なんだか入るのに戸惑っていると、ここ最近良く耳にする声が耳に届いた。


「――――来てくれたね」


「ん?」


 そこに立っていたのは、よく自分の後ろの席で放している四人組の中の一人。

 優希――――彼女はそう呼ばれていたはずだ。


「君が……自分を呼んだの?」


「そう。話は中に入ってからでいい?長い話になりそうだし……着いて来て」


 そう言って、彼女は龍昇の腕に自分の腕を絡ませる。

 意外にも関節を決められていて、振りほどくつもりはないが振りほどくのは難しいなんてことを考えながら着いて行くというよりは、連行された。

 裏口から家に入ると檜の香りがし、玄関には熊の彫り物が置いてある。まるで自分の家の玄関のようで不思議と緊張はしなかった。


「ここ、この階段を上がったら目の前に扉があるからそこに入って待ってて。あたしは飲み物取ってくる。何がいい?」


「そ、それじゃお茶で」


「うん、分かった。それじゃ――――先に行っていて」


 彼女の瞳が一瞬だけ……何か見たことのない輝きを放ったような気がした。

 だが、龍昇は彼女に言われた通りに階段を上り目の前の扉を開ける。

 完全に和の造りになっている広い部屋だ。何だか色々と服や装飾品などが飾られているが、畳の香りと淡い花の香りが充満しており、とても気分が良くなってくる。


「何だか……うちに似てるなぁ。結構『和』が好きなのかな」


 待ってて、そう言われたので丁寧に敷かれた座布団の上に正座する。

 すると先程まで聞こえて来なかったが、綺麗な琴の音色が鳴り出した。

 その音が聞こえ出すと同時に、階段を上がってくる音も聞こえると何も言わずに龍昇は扉を開ける。


「ん、ありがと」


「これくらいならいくらでも」


 そうしてテーブルにはコップ二つと結露した麦茶のボトルが置かれる。

 彼女が到着したことで、少し場が落ち着いたように感じ更に心地よくなっていくと彼女はおもむろに部屋の扉の鍵を締めた。


「はい、あんたはそっちに座って」


「うん」


 これと言って危機感を感じずに、扉から離れた向かい側に座らせられると麦茶を差し出される。


「さ、大事な話だよ。まずは一杯飲みな」


「う、うん。ありがと」


 そうして、麦茶を飲んだ。


「…………」


「え……えっと?」


 少しの静寂が不穏に感じ、龍昇は首を傾げる。

 すると、


「昨日、あたしを助けてくれたのは……あんたなんだろう?」


 そんな言葉を口にする彼女の表情は、とても幸せそうな笑みを浮かべていた。

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