とある恋の物語

武 頼庵(藤谷 K介)

~二月の下で白銀が舞う~


 もうだいぶ長い間の私の御勤め。

 頭上にきらめく二つの月に向け、私は祈りを捧げながら、その祈りが届くようにと舞い踊る。

 見渡す限りの草原にある、小高い丘が私の舞台。

 観客は誰もいない。


 


 ひゅ~っと時折吹き抜ける風は草原の緑の匂いを運んできて、舞っているわたしの体を労わるように少しの間まとわりつくと、役目が終わったとばかりに反対側へと通り過ぎていく。


 汗でまとわりつく白い衣装は、幾重にも重ね着しているので結構な重さになるし、更に汗を吸って重量が増していく。

 両手に持った錫杖は先祖伝来のモノで、家宝で有り一族の遺産でもある。伝えられてきた伝記を真実とするにはあまりにも軽いものだけど、使い込まれているのが良く分かる。持ち手が元々の白銀色から、舞い踊ってきた人々の数だけ、その祈りを捧げるために握られた想いの分だけ、鈍銀色へと変化していた。


 教えられたとおりの舞踊。

 人々の願いを一身に背負って、静かにでも力強くも鋭利に。

 私は集中していた。




 誰もいないはずだった。

 誰もこないはずだった。


 それもそのはず、私がいる場所、舞っている場所は特定の選ばれた人しか入る事が許されない『禁足地』となっているので、私以外はには入ってくる人はいない。


 しかしその人は突然現れたのだ。

 伝承されてきたお話の通りに――。


 

 だからこそ、そこに何かが、誰かがいると知った時、驚きと共に私の心は先ほどまで舞いを行っていた時よりも、高鳴り始めていた。


――だってしょうがないじゃない!? そこに男の子がいたんだもん!!

 私はなるべく笑顔でその人に答えたのだった。


「お名前は?」

「あ、お、俺は黒狼族のジン……です」

「黒狼族……」

 その人の姿は黒い髪に黒い瞳、そして後ろで寂しそうにぶらんと垂れ下がる尻尾もやはり、毛並みは黒いし頭から突き出していて、いつもはピンと張っている黒耳も、今は私と話をしているからか、へにゃっと垂れていた。


「そうですか……わたしの名前はと申します」

「えっと……白狼族……?」

 ジンという男の子がおそるおそる問いかけてくるけど、私はそれに答えない。


「よろしくお願いしますジンさん」

 そう言って右手を彼に向けると、そのまま私の手を取って握り返してきた彼は、私の事をただ黙って見つめたまま動かなくなった。




「あの……?」

「え? あ、う、うん。よろしく?」

 ぎこちない返事が返ってきて、私はプッと噴き出してしまった。彼からすぐに顔をそらして気が付かれないように肩を揺らす。

 

 手を離した後、少しだけ話をした。

 なぜここに来たのか、どうして一人で来たのかなど、私も一応はの管理を任されている一人なので、理由が私達に危険が及ぶような事でないかを確認しなくちゃいけない。


 ただ彼は本当に、自分の興味だけで独り訪れていたようでホッとした。

 彼の中から見える私は、禁足地の中で独り舞い踊る『可愛い』女の子らしい。


――きゃ!! 嬉しい!! あ、いけない。そんな事を考えている場合じゃないんだった。でも、この人……ジンは本当に真っすぐな感じがする人に感じる。


――このまま様子見かしら……。ううん、もっとジンと話をしてみないと分からないかも?

 そんな自分の興味と、お役目とが半々といった感じの感情が沸き起こり、私はジンに月に一回私とここでお話をする事を提案した。

 ちょっと困惑した様子を見せたけど、ジンはその提案を受け入れてくれた。私はほっと胸をなでおろし、この日の御勤めを終えて帰宅することにして彼に別れの挨拶をすると、足取り軽くその場を離れる。


 その帰り道、いつもに増して、気持ちが浮ついている事に気が付いて、どうしてだろうと考えもしたけど、ジンという男の子に出会ったためだろうと、夜空に輝く二つのお月さまを見ながら独り納得させた。





「お父様、少しお時間良いですか?」

「ふむ?」

 居住区となっている場所は、森の一番奥に有って、そこに私達一族とその私たちに昔から仕えてくれている人達が暮らしている。


 その居住区のさらに一番奥。私の家族は皆の家よりも一回りも二回りも大きな家――屋敷と言っても良いと思うけど――に暮らしている。

 ジンと別れ、家に着いてすぐにお父様に話を通すため、お父さんがいつも居らっしゃる執務室へと赴いて、ノックを三回し、返事が返って来てから部屋の中へと入って声を掛ける。


 私は月に何度かお勤めの為に夜になると、あの場所で祈禱の舞いをしている程度だけど、お父様は毎日の様に机に向かい、色々な事をこなしているので、夜遅くまで起きている事は知っている。


「ルナか。どうしたんだい?」

 書類の束の間から、顔を上げたお父様が私の事を視認すると、それまで忙しそうに動かしていた手を止め、私を手招きする。

 そしておもむろに立ちあがって、書類整理していた机を離れ、その前に設置してあるソファーへと向かい、大きなため息をつきながら腰を下ろした。


 私もソファーへと向かうと、お父様と向かい合うようにして腰を下ろした。


「実は……」

「うん?」

「いつものように舞をしていましたら、黒狼族の方がおいでになられまして……」

「なに?」

 お父様の顔がそれまで疲れていた表情から一気に険しいものとなる。


「あ、いえ、心配なさらないでください。その人……ジン君と言いますけど、黒狼族の方はその人だけでしたので」

「ん? 一人だけ?」

「はい」

「見たのかい? その彼のを」

 私はお父様の質問にコクリと頷いて返答する。


「そうか……。我々の事は話したのかい?」

「いいえ、言っていません。その……わたしの名前を言っただけです……」

「そうか」

 そういうとお父様は顎に手を当て、天井を見上げるようにしながら考えこむ。


 しばし静かな時間が過ぎると、お父様は私の方へと視線を向けた。


「どう思いますか? 殿

 お父様が私をそのように呼ぶという事は、お勤めの要職者としての立場から、彼の――ジンという人に付いての意見を求められているのだとすぐに気が付く。



 私達一族は、同じ地域に住んでいる同一種族の方々にも、既に失われて久しい存在として、今もなお種族としての認識はされていない。その容姿――白い毛並みと、赤い瞳――で、白狼族と思われているようだ。それは白狼族の人達はもちろん、黒狼族の人達も私たちを見ただけならそう判断してしまうと思う。


「イ・ガルマ様に申し上げます」

「お聞きしましょう」

 私は目の前のお父様のお名前を口にし、彼に関する事、そしてそれが何を示すのかの私見を話した。


 お父様のお名前は通称で『イガルマ』なのだけど、本当の真名は『イ・ガルマ』である。一族内でも公式な行事をする時以外は通称を用いる事になっているので、いつもは区切って呼ぶことも名乗る事も無い。『イ』とは一族の王家のみに名乗る事が許される冠名で、正式な正当な王家という意味がある。

 


「――と私は、いえ、巫女としてのイ・ルナは考えます」

 私もイルナと名乗りはするけど、正式には『イ・ルナ』。正式な王家のルナという名前の女の子なのです。


「あいわかりました。では我々もそのように動きだしましょう」

「……よろしいのですか?」

「何を仰る!! あはははは。我が娘、王家の一族が一人で『月の女神』の名を持つ子が言うのだ。ならばその想いは本物だろう」

「えっと……」

 突然大きな声で笑い出したお父様に驚くが、途中から私の事を娘として思ってくれているのが分かり、少しばかり恥ずかしい。


「それに……」

「何ですか?」

「ジンだったか? その男の子の事が気になるのだろう?」

「え? あ、いや、その、ききき、気になるというか、そ、そそそ、そういう意味では無いですよ?」

「あははははは。珍しいものが見れたな。ルナがそんなに慌てるとはな」

 体の奥底から、体の芯を通して熱くなる感覚が私を襲う。

 

――間違いなく私は今、顔も赤くなっているだろうな。恥ずかしすぎる。







 お父様とはそれから少しだけお話をして、私は自室へと戻って行った。色々なことが有ったので直ぐに寝床に入るとぐっすりと眠ってしまったようで、気が付いたら既にお天照てんと様が昇り、自室の中を明るく照らしつけていた。



 それから私は日常はいつものように皆と畑を耕したり、果物や木の実を獲りに森の中へと出掛けたり、お父様やお母様と共に、白狼族や黒狼族の長老達からのお話を聞く為に家で過ごしたりした。

そして一月に一回だけ、黒狼族のジンと二人だけで会い、短い間だけどお話をしたりして過ごした。

 ジンと合う度に話しが面白い、楽しいと感じて来た事には少し戸惑いも有ったけど、それは新しい発想や思想が私の知識になっているからだと思っていた。



「それは恋よ」

「え? 恋……ですか?」

 午後のお茶の時間を一緒に過ごしていたお母様が、私の話を聞いてとても優しい顔をしながら話す。

「そうねぇ。ルナももう大人になったのねぇ。嬉しいようなちょっと悲しいような気がするわね」

「そ、そうでしょうか? これが……恋? え? 誰に?」

「それはもちろん……そのジン君でしょ?」

「……ジンに……恋してる……のかなぁ?」

 お母様はクスリと笑うと、私の頭に手を乗せ、耳元を優しくなでる。


「ルナは巫女様でもありますけど、その前に一人の女の子でしょ? なら、恋をする事に何の不思議もありませんよ」

「そう……なのでしょうか?」

「もちろん!! 私はルナを応援しますよ!! あ、でも……そうすると……」

「???」

 お母様が遠くを見つめながら何かを考える。そして急に私の方へ顔を向けてニコッと笑う。


「あの伝説みたいね!!」

「!?」

 私の体がびくりと跳ねた。と同時に何か心の中が暖かくなって、体中にその温かさが広がっていくように感じた。



伝説――。

それは狼族に伝わる伝説で有り伝承でもある。


『二つの月湖上に重なる時、黒夜に白銀しろがね浮かび上がる。それを見た者はこの地を纏め幸せを後世まで繋げられる』

 

 白狼族の中ではそれほど信用もされていないようだけど、先祖代々から語りつがれている伝説で、黒狼族との仲があまりよろしく無い時、争いごとなどが起ころうとしている時に、その伝説が成ると言われている。


 そしてその伝説を起すためには、白銀を見なければならない。それは白狼族の人でも黒狼族の人でもいい。ただ見た者が伝説となる。


――それが、私と……ジン? でも……ジンとなら……。

 私は両手をそっと自分の胸へと押し当てた。その奥に有る温かな感情を確かめるように。






 一面の星空と、これから起こることを前祝いしているように、重なり合うように輝く二つの大きな満月。


 舞台の上から見る湖上にはその二つの月が、凪いでいる湖上でユラユラと漂って見えた。


しゃん

 しゃんしゃん

シャンシャラン

 しゃんしゃん


 ジンが訪れる前に、月に祈りを捧げるために舞い。そして踊る。









「ジン……」

「イルナ……」

 彼の気配を感じて舞を止め、静かにジンの事を見つめる。彼は私の名前を呼んで静かに歩いて向かってきていた。



「今日は満月だね……」

「そうだな……」

「こっちに来て座らない?」

「おう」

 私の側まで来たジンに声を掛け、二人並ぶように腰を下ろした。

 それからしばらくは二人とも話す事もなく静かな時間が過ぎていく。そして私は顔を上げ月を見あげるとジンも同じように月を見上げた。



「この地にはね、伝説が有るんだ」

「あぁ……ウチの長老に聞いたよ……」

「そう……で?」

「え?」

 ジンの顔をジッと見つめる。


「伝説……本当だと思う?」

「どうかな……。実際に見たことが有る人が居ないから伝説なんだろ?」

「まぁ……ね。でも……」

 私はその伝説が何かを知っている。だからこそ今、ジンと共にその伝説を見たいなとも思っていた。


――お母様のいう通り、私はジンの事が……。

 あれからずっと考えていた。私はジンとどうして月に一回会うことを約束したのか。どうしてそれが楽しみだと感じるようになったのか。どうして今、その瞬間を二人で迎えたいと思っているのか。


 夜空に輝く二つの満月が、気が付いたらもうすぐ重なり合おうとしていた。



「は? え?」

 すると月から一条の光が舞い降りるように私の姿を包み込んでいく。

 その光はキラキラと輝いて、まるで私を物語に出てくるお姫様の様な光のドレスが包みこんでいるようだった。


暫くしてそして天へと吸い込まれるように月光が収まると、隣に居るジンがひゅっと息をのむ。


「……白銀……の……姿……」

 私の姿を見て、ジンが小さくつぶやいた。


「伝説はね……本当」

「え?」

「二つの月が――赤と白の月が重なり合う時、そこに白銀の姿が浮かび上がる……。それがなの……」

「銀狼族……」

 ジンは目を見開くと、再度私の事を見返す。見つめられて恥ずかしくて私は思わず白銀色になった尻尾をぱたぱたと振ってしまう。

 

「この姿が見せられるのは、本当に心の通った相手だけなのよ?」

「え?」

「もう!! にぶいなぁ!!」

 衝動的に私はジンに覆いかぶさってしまった。でももう止める事はできない。そのまま顔を近づけて、俺達は夜空に輝く二つの満月の様に一つに重なったのだった。








 それから数年の月日が経った。


「ジン!! こっちの水路はどうするんだ?」

「おう!! 今行くよ!!」

 二つに分かれていた白狼族と黒狼族。一時はどちらかの勢力の元に臣従する為に争いが起きようとしていたのだが、強制的に臣従し上下関係を決める必要はない、二つの種族が相互に助け合い、共に大地に根付いていけば安定して平和になるはずだと働きかけ、その思想に賛同するもの達をまとめ上げて行ったのが、今も忙しそうに働くジンである。


 その行動力と先見的な思想は瞬く間に二つの種族間で広がり、長老たちをしてジンに二つの種族をまとめ上げ一つの種として納めて欲しいと懇願される。


 初めはジンも乗り気ではなかったけど、私達銀郎族の後押しもあってその話を受諾。新たな村の長として今では欠かせない存在となっている。


「ほら、お父さんも頑張ってるわよ」

「だうぅ~……きゃは!!」

「お!! イザルナも元気だな!! 良し!! もう一仕事してくるか!!」

 そういうと私の隣に居たジンは立ちあがり、声を掛けて来た村人たちの方へと駆けていく。


「村長さんよぉ~!! 仲が良いのは良いんだけど、昼間から見せつけてくれねぇかな~」

 村人たちからどっと笑いが起きる。


「バカ言ってないでほら働くぞ!! 未来の……子供たちの為にもな!!」

「「「「「おう!!」」」」」



 私は最愛の息子を腕に抱きながら、ジンや村人たちのその姿を、その背中を見ている。

 

「だぁ? ぶぅ~」

「そうね。イザルナが大きくなった時は、きっと平和な毎日を送れるようになっているわよ」


 

 一つの伝説は成った。


 今後もその伝説は語りつがれていくだろう。

 平和という名のもとに一つとなった種族の物語として。

 

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