第25話 さいごの秘密
辰巳たちは他人の家に、取り残された。すぐに動きだす者はおらず、誰も口を開かず、みな、今起こったことを反芻するように、ぼんやりとソファに座っていた。
最後に記憶を消されることもなければ、秘密を知った罪で始末されることもない。ただ放置された。このからっぽのマンションをどうするつもりなのか。いや、そんな些細なことはどうでもいい。家具の他に、生活用品はなにもない。住人の手がかりになる証拠は一切のこしていっていないだろう。パソコン類は一つ残らず初期状態に戻されていた。さっき従者たちが片付けていたようだ。
「…………」
長いため息をはく。辰巳は、ボイスメモをつけっぱなしだったと気づいた。録音停止ボタンを押す。
とりあえず佐田ケイに連絡しよう。外で待たせてしまっているのは悪い。
メールで、最後の記録となったボイスメモを送付したあと、少し迷って電話をかける。はやく用件を伝えるべきだろう。
その瞬間に――
呼び出しの軽快なメロディが、部屋の中に響きわたった。
「は?」
辰巳がかけたのは佐田ケイのスマートフォンだ。部屋の中で鳴るわけがない。
音をたどって行くと、ミニチェストの引き出しの中にそれはあった。最新型のスマートフォンだ。画面を見ると、着信『辰巳さん』とある……。
「なんだこりゃ?」
辰巳たちが首をひねっていると、突然、虚空からはしのすみが出現する。一人だけ慌てて戻ってきた。
「これは思い出に、持って帰ることにするわ」
はしのはスマホを手に取り、そう独り言のように告げると――
再び姿が変わる。ホイルちゃんになるのかと思ったらそうではない。若い女性に変化した。
それは辰巳たちが見知っている人物。
「あれ? 私……どうして? こんなところにいるの? みなさん、なぜおそろいで……?」
ラフなパーカーとジーンズを着た、休日の佐田ケイの姿だった。はしのすみは、佐田ケイに変身した。
「そうだ、はしのすみさんが怪しいってコトで辰巳さんから連絡をもらって、仲間を呼んでマンションに張りこんで……それからどうしたんだっけ……?」
耳のあたりをさわりながら、首を振っている。
「え、待って……なんで、これはなに?」
彼女は混乱のさなかで取り乱している。
「私は誰?」
その哲学的な問いに答えたのは。
佐田ケイは、ホイルの姿に変化した。
「……あなたはわたしよ。佐田ケイ」
佐田ケイはマンションの外で待ってなどいなかった。
辰巳からの連絡に返信していたのは、ホイルだった。
「もうひとつだけ。みんなに秘密を言っていなかったわね。佐田ケイは、わたしなの。はしのすみは、どこにいっても重鎮扱い。ちょっとだけ原点に、初心に戻りたかったのよね。で、別の姿と名前で、声優の養成所に通って、デビューして……そしてろくにオーディションに受からなくて、無名のまま。ああ、楽しかった。ほんとうに楽しかったわ。もうすこし芽を出してから去りたかったけれど」
彼女はいっさいの悪気なく、心から愉快そうに肩を揺らせて語った。
「じゃあ、佐田さんが、はしのすみの連絡先知ってたのって……!?」
「本人なんだから知ってて当然よ」
わけがわからない。佐田ケイは、はしのすみについて調べていたとき、辰巳たちに情報を提供して協力してくれた子だ。ホイル本人のわけがない。
「ふたりが会ったっていうエピソードはまるっきり嘘だったのか!? おいしいパンがどうのって!」
「嘘じゃないの。あの子は、佐田ケイでいるあいだ、ひとりでに自分の人格を創りあげていったの。架空の自分の歴史を。空白の生活を。はしのすみに戻ると、すべてを思い出すのよ。でも、佐田ケイでいるあいだだけはーー自分が、はしのすみだってことを忘れたの。そうして心から、佐田ケイは楽しんだ。私がそうしたかったの。佐田ケイとはしのすみは別人であるって、自分に強めの暗示をかけた結果、佐田ケイの記憶の中で、はしのすみと共演したことになったの。はしのすみは実際には別撮りにしてもらった。佐田ケイは売れない声優。あまり仕事もなかったから、はしのすみの仕事とほとんどかぶらなかったし、たとえかぶっても、はしののほうはスケジュール調整できるから」
「でも、待って、あなたは自由自在に変身できないって……じゃあ、どうやって若い女の子に――」
「佐田ケイは、はしのすみの20歳過ぎ頃の姿だから」
「!?」
その場の者たちは一斉に息をのんだ。そういえば――
ホイルは、自在に好きな姿に変身できるわけではない。ホイルが変身できるのは、『はしのすみ』だ。はしのすみただ一人、だけど年齢は自由に選べるのだ。5歳から開始し、今では120歳の姿に。でも、実際に肉体が年取っていっているわけではない。歳は自在に操れる。
佐田ケイは――
はしのすみ、20歳代はじめのころの姿。
はしのの100年前の姿は、もう誰も知らない。業界人はいずれも鬼籍に入っているか、引退しているかだ。当時の写真があったとしても、不鮮明なものしか残っていない。ファッションも化粧も声も、まったく違う。だれも、はしのすみと佐田ケイが同一人物などわかるはずもない……
「もちろん声も、いつもとは全然違う声帯を使ったのよ。そうね、わたしの……ホイルの声に近いかなぁ」
なにか、どこかから声が聞こえる。すがたは見えない。けれどわかる。
佐田ケイの声だ。
叫んでいる。言葉にならない声で。彼女は叫んでいた。亡霊のような慟哭を。
$◎×△□……っ!!
聞き取れない、その激情が、うねる大蛇のように、足下に転げ回っている。
彼女は自分が存在しないと知ってしまった。
それでもホイルはなんでもないように同じ調子で、
「お騒がせしたわね。佐田ケイもいっしょに連れて行くわ。じゃあね」
最後に微笑んで、今度こそ、ホイルは消えた。
そうして、彼らの長い一日は、終わった。
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