第16話 ここ100年の、世界の成り立ち(1)

 え? どんな展開? え?

 ついてきて、とはしのすみに促されて、辰巳たちはぞろぞろと喫茶店を後にした。そう請われれば拒否するわけにもいかない。しきりに雨が降る道の端、待ち合わせたようにタクシーが停まっていた。それはよくある見慣れたタクシーではなく、最大六人まで乗車可能なジャンボタクシーだった。

「乗って」

「あの、はしのさん、これは一体……」

「あとで全部説明するから、まずは移動してちょうだい」

 はしのの声には有無を言わさない説得力がある。もうここまでしっかりと請われたら、従うほかない。プロデューサーたち五人はジャンボタクシーに乗り込んだ。このタクシーと運転手も、はしのすみの息がかかっているらしく、行き先も告げずに道路を滑り出した。

 場所を覚えておかないと、後で困るかもしれない……と、辰巳はそそくさと位置情報をスマホで確認しながら外の景色を参照した。特に場所を隠されることもなく、タクシーはそれほど遠くない都内マンションの地下駐車場に滑り込んだ。

 

 移動開始から30分も経たないうちに、辰巳、姫野、塚、半村、田原は、広いリビングのソファに落ち着いていた。いつのまにか雨水は黒い影のような姿を消している。

「わたしの自宅なので、安心よ。とりあえずくつろいで」

 自宅といっても、モデルルームの部屋のようでとりあえず備品を並べましたといった部屋で、生活感がない。キッチンは水のあとがない新品そのもの、ゴミ箱になにも入っていないし、普段は誰も住んでいない場所だろう。はしのほどの人気実力のある声優なら、別宅を持っていても不思議ではないが……。

 果たしてこれがくつろぐような状況なのだろうか?

 辰巳たちが自分に探りをいれていることに感づいて、連れてきたとしか思えない状況。口止めのつもりか、とはいえ、こちらが実際になにか証拠を掴んだわけでもない。

 カップなどの食器類も用意がないようで、はしのすみはペットボトルのお茶を出してくれた。なんとなく誰も開封する気にならずにテーブルに置いたままでいる。

 半村は、もう会えないと思っていたのだろう、幽霊を見るようにはしのすみを見ている。

「はしのさん、日本に戻ってきていたんですね。海外旅行はもう済んだんですか?」

「うん……そうねぇ。本当はもっとじっくり世界を見て回りたかったけど、残念ながら、時間切れなの」

 はしのは、年齢の割には艶やかな肌の、目尻を細める。

 それからペットボトルの蓋を開けて一口飲んだ。

 時間切れ? 言葉の意味がよく飲み込めない。

 仕事を引退したあとに彼女が持っているものは、お金と時間、それに有り余るほどの元気だろう。全人類が喉から手が出るほど望むものを彼女はすべて持っている。年単位で好きに世界中を放浪しても、おつりがくるほどの余裕があるはず。それとも、見た目にはわからないだけで本当は年相応の老いた身体なのか。病気か、もしくは体力の問題で、長旅を断念したのか。

 アフレコ現場で会うとき、はしのはいつも華やかな色の服を着ている。花や植物、動物、絵が描かれている。今日はカワセミが描かれたシャツだった。また、メイクもピンク系の若い色を好んで使う。年齢に関係なくおしゃれを楽しんでいる。見ているだけで他者を上向きにする何かがある。声にパワーが宿っていて、役の上以外でも、ふだんのおしゃべりを聞くだけでも、こちらの気力が自然回復していくようだ。そこにはなぜか、押しつけがましさがない。素直に受け入れている。

 ファンからは神のような存在だとあがめ奉られている、はしのすみ。

 神のような存在……いや、誇張表現ではない。

 彼女は本当に、神の、ような……

「それは、どういう意味で――」

「みなさん」

 はしのは改めて辰巳たち全員の顔をひとりずつ見ていった。慌ててプロデューサーたちはソファの上で姿勢を正した。

「わたしたちの秘密にここまで正面切って近づいたのは、あなたたちが初めてです。なのでもう自分からすべて告白することにいたします」

 え?

 耳を疑った。『わたしたちの秘密』とは?

 それを辰巳たちに? 今からここで明かす? それにどんなメリットが!?

 もちろん辰巳は知りたいから今日まで独自に探ってきたのだが、まさか証拠を掴む前にはしのから声がかかるとは……。

「あら、秘密なのにしゃべっちゃっていいんですか? わたしたち、口外するかもしれないのに。文春に売るかも。うふふふ」

 田原が笑いながらのんきに、はしのの肩を軽く叩いている。さすがは年の功というやつなのか、恐れ多くて辰巳にはできなことを平気でやる。

「大丈夫。あなたたちは、誰にも言わない」

 はしのの微笑みには、底知れない地底の空気のようなものが流れている。

 それはなんですか、このあと俺たちを、一言も物を言えないように物理的に始末する、もしくは記憶を消す手段を持っているってことですか。

 ああ、秘密を知ってしまったらここで死ぬのか。これってそういう類いの謎だったのか。最初は、レジェンド声優・はしのすみが電撃引退した理由を知りたかっただけなのに――

 辰巳は恐怖と同時にどうしようもなく胸を高鳴らせていた。

 はしのすみはすっくとその場に立ち上がり、肩までの髪を、アニメのヒロインのように後ろにさらっと揺らせた。


「一瞬で変わるから、見逃さないでちょうだいね」


 はしのが、よくわからないことをつぶやいた刹那だった。

 空間がゆがんだ。一瞬どころではない。人間の目では、耳では認識できない非常が起きていた。

 はしのすみは、灰色の炎のようなものに全身を包み込まれたかと思ったら、姿が変わっていた。

 そこに出現したのは、一人の少女。

 見覚えがある女の子。見覚えがあるどころではない。

 真っ青なブレザー制服モチーフのワンピースに、背中から映えている羽根。スカートからのぞく大きな竜のしっぽ。 辰巳が夢中になって追いかけたマンガの中の最高にキュートな女の子。

 クマちゃんず先生のデビュー作、ドラゴン・ハートの主人公でありヒロイン――

『ホイルちゃん』だった。

 

「えっへっへ。会えてうれしいな。がおーっ」 

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