第15話 雨降って地……
雨水が待ち合わせに指定したのは、都心の駅から少し離れた個人経営の喫茶店だった。ブレンドコーヒーが一杯800円するような、老舗のしゃれたカフェだ。よくここで、周囲の人々のざわめきを背景にして、次なる作曲のアイデアを練っているのだという。よく分からないけど、作曲家って喫茶店で作業できるものなの? 今時はパソコンで作曲すると言うけれど。
「おや、こんにちは」
先に来て、窓際の席でノートを広げていた雨水黎が、軽くこちらに手を上げる。ノートと言ってもノートパソコンではなく糸綴りの紙のノートだ。アイデアを集めているのか。
雨水もまた、顔を半分隠しているダークスーツのダウナー系男性だった。なぜか、顔の半分を包帯で巻いている。お前は綾波レイか? それでいて陰気な雰囲気をまといながらも妙に声色が高く明るい。
窓の外では、ぽつぽつと降り始めていた雨が強くなっていた。
「仕事以外で人と会うってほとんどないんで、こうして誘ってくれて嬉しいですよ。ええ」
遊びに誘ったわけではないのだが、まあ、そう思われても仕方ない。
「お久しぶりです。さっそく、雨水先生に聞いてほしいものがあってーー」
もったいぶらずに、塚は即座にワイヤレスイヤホンを雨水に差し出した。
『紙屋先輩』の候補の声を聞くと、彼はうんうんと大げさにうなずき、口を開く。辰巳は椅子から腰を浮かせ、身構えたーー
くるぞ……!
「お、いいじゃん!」
「うん。いいねぇ」
「こういう解釈もアリすぎる」
「あ、やっばこっちも超いい」
「もう全部いい。解釈一致」
ああ、予想は当たった。
ニュアンスは多少異なるが、言っていることは全部同じ!
もうこれが確たる証拠!
さあここからどう動くか。
「ん? 君たち、どうかした? なにか僕、変なこと言っただろうか」
辰巳たちがいっせいに考え込むように下を向いたので、雨水はイヤホンを外しながら目を瞬かせた。ここだけ聞けば、なにも変なことは言っていない。候補者全員を褒める。近くで観察して、演技ではないと受け取れた。純粋な、初めて聞いた声に対する、無垢なコメントである。演技でこんなことができるならもう役者だ……。役者?
塚が多少うわずった声で尋ねた。
「雨水さん、その、今回の役、紙屋先輩ってどんなキャラだか知ってるんですか?」
「は、当たり前だろう。僕が音楽プロデュースしてるんだから、ばっちり課金してゲームしてますよ」
雨水は、スマホを取り出して、自分の『プレイヤーズ!!』のゲーム画面を見せてきた。辰巳は未プレイだが、表示されたレベルも高いし、ぱっと見で相当やり込まれていることがわかる。
「いえ、驚いたので。まあ、紙屋先輩は屈指の人気キャラだしなぁ……」
「紙屋先輩だけじゃないよ。僕は箱推しなんだ。レアリティ関係なく、全キャラ、全楽曲をコンプしてるよ」
「ちょ、ヘビーユーザーじゃないっすか! さすがですね」
塚は若干引いているほど驚く。他の仕事もあるだろうし、もっとドライな関わり方だと勝手なイメージで思っていた。雨水は重課金の本気プレイヤーであった。
現在のところ、実装キャラクターは50人を超える。それを『箱推し』するとは、どんな熱いファンでもなかなかできない芸当だ。
そういえば雨水も、SNSやブログなどで自ら情報を発信することはしていない。なにかと言葉の端々も炎上しやすい昨今、それらのツールを日常で使わないことは賢明な判断といえる。そうだ、これまで会ってきた人たち、みんな同じだった。
SNSをやっていない。業界内で会ったことがある人が少ない。人付き合いを避けているのかと思っていたら、みな会ったら気さくでよく喋る。
顔は誰も似ていない。体型も違う。けれど、なぜか顔や身体を可能な限り隠すようなファッションをしている。
クマちゃんズ先生のA。
井岡キングストン。
雨水黎。
彼らはーー同一人物なのではないか?
人間でなければ、たとえば宇宙人とかならーー突飛かもしれないが、アニメ業界に長くいるせいだろうか、脳が許容しそうになっている。そう。地球外生命体で、自由に姿形を変えられるのであれば。いろんな容姿に変化することができれば、説明はつく。
人間の文化レベルを遙かに飛び越えた高次元の脳や肉体を持つ生物ならば(肉体を持たない可能性もあるが……)人知を超えた仕事量を単独でこなすことも可能かもしれない。
彼らを繋ぐもの、それは、
声優はしのすみが代表格で深く関わっている作品ということーー
そして、それがはしのすみが急に表舞台から姿を消したこととなにか密接な関係があるとしたら……。
ここで本人に直に疑問をぶつけても、またはぐらかされるのがオチか。辰巳とて自分がなにを言っているのか全然わからないのだから。でも……。
「あの、雨水さんは、クマちゃんズ先生と井岡キングストンさんと同一人物なんですか?」
塚が疑問を胸にしまっておけずに、直で本人にずばり聞いていた。
「何言ってるんですか?」
「業界でペンネームを使い分けて活躍している方はよくいるし、とふと思ったんですけど~」
「あはは。そうだったら多才すぎませんか僕。あと過労で死ぬレベルでしょ」
雨水はうろたえる様子もない。あっけらかんと笑っている。
辰巳は膝の上で拳を握りしめていた。
ああ、どうしても気になる。この胸にわきあがる疑問の、真相をあばきたい。なにか重大な、とてつもなく大きなものがそこにある気がするのだ。それに、こんなに面白いこと、放っておけるわけがない。
飲み会を設定して、三人を1箇所に集めることができれば……。同一人物ならば、集まれるわけがない。いや、もしその未知の個体が「分裂」して同時に存在できるとしたら? そうしたらもう証拠も何もつかめないしお手上げだ。
隣の席にいる姫野がこそっとつぶやいてくる。
「どうすんの、辰巳。こうなったら飲み会でも開催して、あやしい人々を一気に集める?」
「――その必要はないわよ」
答えたのは辰巳ではなく、テーブル席に歩み寄ってくるひとつの影だった。
ご高齢のわりには、高い背、つやつやの頬、厚みのある体、ここに数多の魅力のある声が、詰まっている。国宝いや、世界の至宝ーー
「お久しぶりねぇ、みなさん!」
聞き間違えようのない。野辺に響く一迅の風のように、透き通る声音。
はしのすみ。
声優界のスーパーレジェンド。
生きる神。
歩く古代遺跡。
奇跡の人が、そこにいた。
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