第11話 ”全然いっすよ”

 オフレコで新声優に対するご意見を頂戴したいという辰巳の願いはあっさりと聞き届けられた。作画担当とはいえ正真正銘の原作者の意見が取り入れられるのはありがたい。

 周囲に聴こえないようにワイヤレスイヤホンを渡すと、クマちゃんズ先生Aさんは、器用に着ぐるみの頭部に入れて耳に装着した。うんうんとうなずいて、

「おお。いいっすね~」

「うん。いいね~」

「こっちもいい声だ~」

「どれもイケてていい感じ~」

「みんないいっすよ~」

 同じ調子で五人全員を褒めたあと、イヤホンを辰巳に返してきた。   

「アニメは全面的に信頼してそちらお任せしてるので、どの声優さんに決まっても大丈夫っす。作者側の意見はないです。今聞かせてもらった人、誰でも文句なしで最高、いや最近の声優さんみんな上手いですよね~さすがアニメの時代ですね~はぁ~~」

「…………」

 と、けっきょくなにひとつ決め手にならない、貴重なありがたい原作者先生のお言葉を賜ったのであった。

 辰巳は天井を仰いだ。ああ、神よ……。もうすがる相手は神だけ。いっそ、くじ引きするか。運も実力のうちというし。こっちだって誰でもいいんだから。いやいやいやいや今日まで一生懸命に努力を積み重ねて修練し、最終オーディションに自力でこぎつけた5名に対してその態度は申し訳ないと思わないのか?くじ引きで決めるな。

「わかりました……ありがとうございます」

「こちらこそいつもありがとう」

 これ以上踏み込むことはできない、ただ候補の声を聞いてもらっただけでもありがたいのだから。

 でも。

 ……なにかが、ひっかかる。クマちゃんズ先生Aさんの言葉。

 喉に小さい飴が詰まったような違和感がある。なんだろう。

「買ってきましたーっ!」

 そこへ姫野が色紙を持って帰ってきたので、辰巳の思考は完全に止まった。さっそく色紙を受け取ると頭を下げる。

「先生おねがいします、『ドラゴン・ラブ』のホイルちゃん描いてくださいっ!」

「えぇ。それデビュー作じゃないっすか! 描けるかなぁ」

『ドラゴン・ラブ』とは、ドラゴンの姿に変身できる少女ホイルが、ドラゴンを狩る組織に追われる中、ドラゴンハンターの少年と恋に落ちるロマンス漫画だ。クマちゃんズ先生は昔からドラゴンを好んで題材にする。辰巳は実はホイルちゃんの大ファンであった。

「期待しないでね~」

 Aさんはそんなふうに謙遜していたが、新しい真っ白な色紙を前にした瞬間に、一呼吸つくとすぐにホイルを描き始めた。

 え? なにこれ?

 時間が止まったように辰巳は静止してただその様子を見る。

 Aさんの絵は、やはり寸分の迷いもなく線が引かれていき、デビュー時と変わらないクオリティのキャラクターをそこに生み出した。どんな画力を持つ漫画家だって、何十年もときが経てば多少は絵が変わっていくもの。けれど、絵は、そのままだったのだ。辰巳が夢中になって雑誌連載を読んでいたときと同じ。代表作で描く機会の多いドラゴンベアーならともかく、連載終了後はほとんど描かないだろうホイルちゃんの絵だ。少女とドラゴンの姿を両方とも。完璧に、彼は描いた。着ぐるみを被って普段よりも視界が狭いだろうに。っていうか見えてるのだろうか。

「似てるかなぁ」

 本人は自信なさそうに首をかしげている。似てるかなぁじゃない。完璧のその上を飛翔する究極無敵のホイルちゃんである。

「バッチリですよ! ホイルちゃん!! 一生の宝にします!!」

 


 推しキャラの色紙を神に描いてもらえた興奮で頭がボーっとしていたが、ふと冷静に思い返してみても、クマちゃんズ先生のAさんは不思議な人だった。

 長年断ってきた文化功労賞を受け、同じく長年パーティなどにいっさい出席してこなかったスタイルなのに、ここに来て急に、編集者や関係者を集めたささやかなパーティに出席。一般人は入れないものの、辰巳と姫野は一般人枠みたいなものだ。その辰巳たちに対して、過剰とも言えるサービス。カラーイラストまで直筆のサイン色紙をたくさん描いてくれた。

 偽物かと疑ったわけではない。偽物があんなに精巧なタッチの原作そのままの絵を目の前で手描きできるわけがない。しかし、おかしい。クマちゃんズ先生の経歴を考えれば、ある程度のご高齢のはず。

 そうだ、違和感の正体はそれだった。

 辰巳が子ども時代から夢中になって読んでいたマンガの作者だ、こちらより15歳以上は年上のはずだろう。

 でも、着ぐるみパジャマとクマのぬいぐるみの頭部からでも分かるほどに、A先生はスタイルがよく、姿勢も正しく、醸し出される雰囲気が絞りたてレモンのように「フレッシュ」だった。特に声は澄んで綺麗で、老齢さをまったく感じない。駆け出し漫画家のごとく若々しい。まるで夢溢れる若者と話しているような……。実はその中身は本当に若者で、クマちゃんズ先生チームに新しく入った作画担当なのだろうか? 可能性はあるが、それにしてもあれほど完璧に昔のマンガの絵柄を合わせられるものだろうか? 少なくとも辰巳は絶対無理である……。

 覆面作家に対して正体を探るような真似は、倫理に反する。原作を使わせていただいているアニメ関係者の風上にもおけない行為だ。とてもできなかった。もちろん、個人的にAさんと連絡先の交換もしていない。

 今さら疑問を解消する手立てもないのだった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る