第8話 それから僕たちはいろいろあった

 後日、この電話取材の様子は正式な記事となってマスコミから発表され、はしのすみを引き留めようとしていた関係者ののぞみの手綱をきっぱりと容赦なく断ち切ったのだった。

 はしのすみの引退には裏などなく、当初懸念された第三者の思惑など関与していなかったとこれで判明した。

 こうなればあとは、各所が、はしのすみが務めていたキャラクターボイスを今後どうするか、急ピッチで決めなければいけない。

 

 はしのすみの開けた穴を――地球に穴があき、落ちたゴミが天から降ってくるくらいの大きな穴をどう埋めるか、埋めようもないがどうマシな体裁に整えるか。整えようがないけれどもとにかく対処するしかない。

 アニメ作品のスタッフたちには決断が迫られていたのだった。

 まず、ココロンの行く先がさいしょに決まった。ココロンは、これまで何十年も収録されてきたはしのすみのキャラクター音声を再利用し、新しいボイス収録なしでも半永久的に声を変えずに乗り切ることを発表。

 とはいえ、過去のボイスですべての新作アニメーションをまかなうことは不可能なので、劇場版など感情の難しいボイスが必要な作品については、最新技術でサンプルボイスを学習させたAI音声に任せることになった。AIとて完璧な演技ができるわけではないので、声の響きの細かなニュアンスの調整などは人口的に行う。キャラクターが台詞をしゃべらない、鳴き声のみなので、技術的には可能であった。(これが日本語の長ゼリフとなればまだ難しい領域である)

 他のキャラクターについては各自で審議が始まっていた。

 広く募ってオーディションで決めるか、小規模でオーディションをするか、オーディションなしの指名で依頼をするか。はたまた、だいたいは目星をつけておきつつも一応名目上のオーディションを開催するか……。


 ドラゴンベアーは、どうしたか。辰巳とそのスタッフ一同は悩みに悩んだ。ドラモは難しい役柄だ。本来の姿はドラゴンのこどものぬいぐるみであり、野性的な鳴き声もある。一方で人間の言葉もしゃべるし、人の少年の姿に変身して活動することもある。

 作品のマスコットキャラクターと主人公を兼ねているような、多彩な存在なのだ。劇場版では毎回アクションシーンがひとつの目玉であり、声優は熾烈な戦闘シーンを演じきれる技量が必要だった。いっそ、他の役のイメージがついていない無名の人を起用してスターにさせたい思いもある。が、新人に担当させるには負担が大きい……。

 とにかく悩んでいても仕方ない。劇場版新作の公開日はもう決まっているし、制作のほうは声以外は順調に進んでいる最中なのである。

 というわけでオーディションをした。

 一般公募ではないが、声優・俳優に対して広く公募のお触れをだした。信じられないほど量の集まったテープオーディションで候補をしぼり、二次オーディションからは実際に来てもらう。三次オーディションまで進み、そろそろ結論を出さねばならないところまで事態は切迫してきていた。

 辰己は悩んでいた……どころか、もはや病みそうなほどであった。

 最終候補は5人までに絞られている。

 人気実力ともに申し分ない中堅声優が集っていた。

 こういってはなんだが、辰巳の本心としては、経験豊かな実力者かつ、若く、これから未来長く仕事をしてくれそうな人がいい。それがいちばんいい。まじでこの先、100年くらいは同じ人がやってほしい。もうこんな大変なことしたくない。声優変更に関する業務の重荷がはかりしれない。ストレス!!

 2代目のドラゴンベアー声優というだけで、話題性は充分。声音が似ている人、演技が似ている人、似ていないけれど新しい像を創っていける人。どれも捨てがたい逸材ばかりなのである。もう全員合格ってことにしたい。決定するのが怖い。キャスティング会議がは結論が先延ばしになり、いったんお開きとなった。


「はぁ~どうするか……」

 辰巳は会議室にひとりで居残ると、天井に向かってため息をつく。べつにキャスティング権が彼一人の双肩にすべてかかっているわけではないし、スタッフ何人かで協議して最終決定を下すのだが……それでも、誰を押すのかすら辰巳には決められないのだった。

 こんなことは今までなかった。キャラクラーの命ともいえるほど重要な「声」。オーディションでたくさんの声を聞いたが、直感でこれと胸に来る者がいない。はしのすみの声が、演技が、極まりすぎていた。彼女は完璧なドラゴンベアーだったのだ。偉大な先代は、ときに罪である。

 いくらドラゴンベアーの担当プロデューサーといっても一人の人間だし、辰巳もまた初代プロデューサーの竜崎から仕事を引き継いだ身なのだ。

「って、そうだ。竜崎さんに聞いてみよ!!」

 一人で悩むのは苦手だ。アニメという、大勢の人々で作る作業が好きな、集団生活大好きな辰巳ならではの行動である。竜崎は仕事を引退して今は悠々と過ごすシニア世代なので、音声通話アプリですぐにつながった。しかし……

『はぁ~? アドバイス? できるわけないじゃないですか。もう現場離れたんだから、こっちに決定権なにもないんで』

「いいからちょっと聞いてくださいよ、五人までに絞ったんで――」

『外部の人間に流すなよ! 情報が漏れたらどうすんだバカ』

 ガチャ切りされた。

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