第7話 五分間と少しの電話
本物だ。一緒に仕事をしてきた仲間とはいえ、こうして電話越しに聞くと、その芯の通った声の強さと勇ましさ、神々しいまでの威風に、一同は畏敬の念を感じた。恐れ多さに背筋が伸び、すっとお腹まで引き締まる。
「声優の佐多ケイです。お久しぶりです。覚えててくださったんですか」
『あぁ。覚えてないけど、何度も電話くれてたみたいだから折り返したの』
声がする。いつもと変わらない声。覚えのない相手からの着信を折り返すとは、意外にも警戒心がないのか、それとも心のどこかで急な引退のことをファンや関係者に申し訳なく思っているのか。声のトーンからは感情が読み取れない。
「あ、あの――実は大事なお話があって……」
佐多の目が過剰なほどに泳いでいる。そりゃこの状況下でなにを話せばいいかわからないよな、と辰己は同情にも似た気持ちになった。
「わたし、数年前にデビューはしたものの鳴かず飛ばず、声優として伸び悩んでいまして」
『あらら』
「……まだメインキャラも務めたことがありませんし、いつかは主人公も、キャラソンも歌ってみたいしイベントでキャラの声で決めゼリフで挨拶したいし、あと、朗読劇もやってみたい、ラジオもやりたい、芸歴30年くらい経ったら仕事人生を語るエッセイの書籍も出したい。同性の人気美人声優さんと仲良くなって二人の写真をアップしたらファンから『尊い』『ほぼ夫婦』『ビジュがいい』とかコメントされたい。あわよくば声優アワードも取りたい。新人賞も主演も助演もぜんぶとりたい。そうだ、もし、もし辞めるにしても、その前に一発どかーんと大輪の花を咲かせてから散りたい……。あの、もしよかったら、大先輩のはしのさんにアドバイスをいただけないかと思いまして!!」
佐多は会話を引き延ばすためにしゃべりはじめたのだろうが、その内容や口調は真に迫っている。途中から熱が入り、野望が身体の端々から漏れ出ていた。あっけにとられているのか、はしのは少し間を置いてから答えた。
『まあそうだったの。なかなか面白い子ね、それでいきなり私に直で電話なんて』
「え、ええ、その、そうなんです。本当にずうずうしくてすみません……!!」
『いいのよ。おしゃべりは好きだし、若い人のお話をききたいのは山々なんだけど、これから出かけるとこなのよね』
「そ、そうなんですね。どちらに行かれるんですか」
『ぶらりと海外に。悪いけどあと五分くらいで電話切らないと……』
「えっ! 海外! 旅行ですか……!?」
仕事はもう引退したのだから、余生に羽を伸ばすのも通常ならうなずけるし大いに遊楽してもらいたいが、今は手放しでは喜べなかった。しかもゆっくり話している時間もない。
『そうそう。もともと旅行が好きだけど、仕事が忙しくて近場にしか行けなかったの。せっかくだし、のんびり1年くらいは、いろんな国と地域を巡ろうと思っているのよ』
「それは楽しそうですが、急ですね……」
『こっちは前から決めてたの。ごめんなさいね発表が遅れて』
「いや、あの………ご本人の意思なら……。で、でも、もう少し、お仕事の関係者と話し合ってもよかったんじゃないでしょうか……ファンもびっくりしていますし」
『そうねぇ……それは悪かったけど、でも例えばあと一年で辞めますって予告したとするでしょう。役の引き継ぎをして、挨拶回りして、最後の仕事をして……って想像すると、後ろ髪を引かれてしまう。生涯現役という人は立派だし尊敬する。けど私は、ほかにもやりたいことがたくさんある。残りの自分の時間を考えると、今辞めるのがいいなってね。去り際は潔くありたいのよ』
佐多は言葉もなく電話越しに黙ってうなずいた。はしのすみの、その言葉には、嘘偽りがあるようには聞こえず、今回の騒動もこれで収束を迎えるだろうという予感を示すものだった。
『そろそろ、時間ね――』
「あっ! 待ってください、辰己プロデューサーに変わります!」
今やっと電話を交代する手はずになっていたことを思い出したようで、佐多は目配せして慌てて辰己にスマートフォンを渡した。辰己は極度の緊張のなかで瞬時のうちに、自分がここで何を言うべきかを導き出していた。
「すみさん!」
『あら、辰己くん。ご無沙汰ね』
「今お聞きした話、僕がまとめますんで、はしのすみさんの引退後独占インタビューという形式でマスコミに大々的にニュースで流してもらってもいいですか? ファンもきっと知りたいことだと思うんで……!」
『もちろん構わないですよ。それじゃあ、飛行機の時間だから。またね』
こうして、通話は切れた。
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