19 覚悟と弱音と全ての分岐点

◆19◆



「――っ!?」


 ロズハルト様から告げられた言葉に、私は令嬢として、辛うじてはしたなく驚き叫ぶのを堪えて飲み込んだ。


 言い間違いか。聞き間違いか。


 らしくなく、そして将来王妃たろう者としては失格なことに、動揺を表に出してしまったくらいの衝撃。

 すぐには頭も感情も処理できなくて、確認せずにはいられなかった。


「……もう一度、おっしゃって戴けますか?」

「レアナが妊娠した……僕の子だ。僕は責任を取らないといけない。だから……済まないエヴァノーラ、婚約を解消して欲しい」


 ああ…………聞き間違いじゃ、なかったみたいね。


 ジワジワと言葉の意味が頭の中に浸透してきて……レアナが妊娠!?


「ロズハルト様、あなた何をやっているんですか!?」

「っ、済まない、本当に申し訳なく思っている……!」


 しかもレアナまで!


 妊娠って!

 妊娠ってぇ!!

 なんて軽率で迂闊な真似を!!


 もう、もう、もう……頭に血が上って、叫んで怒鳴り散らしたいことがいっぱいで、何から言えばいいのか分からないなんて初めての経験よ!!


 あ、まずい……。


「エヴァノーラ!?」


 頭がクラッとして、お父様が慌てて私の肩を抱き留めてくれた。

 咄嗟に扇を開いて顔を隠すけど、果たして隠すのが間に合ったかどうか……。


 この私としたことが、頭に血が上り過ぎて倒れそうになるなんて。


「もう、大丈夫です、お父様。みっともない姿をお見せしてしまいました」


 深呼吸を繰り返して、なんとか落ち着いてから、身体を起こして座り直す。


 でも、手の中で扇がミシミシと軋む音を立ててしまうのは、もう仕方がない。

 ええ、本当にもう、この扇はお気に入りなのに、握り潰してしまいそうよ。


 そんな私の漏れ出す怒気に、ロズハルト様がばつが悪そうに目を逸らして俯く。


 ロズハルト様の隣に座る陛下も、ロズハルト様のやらかしに苦虫を噛み潰したような顔で、私達に申し訳なさそうに目を伏せていた。


 私の隣では、お父様も口を引き結んだまま、漏れ出る怒気を抑え切れていない。

 多分、私以上に腸が煮えくりかえっていると思う。


 正直、よくこの場を私に任せて怒鳴り散らさずにいられるものだわ。

 もしかしたら私に話が来る前、事前に陛下から事態を打ち明けられた時点で散々爆発したから、まだしも我慢出来ているのかも知れないわね。


 道理でこの四人だけで内密に話があると、王城に呼び出されて、人払いをされたわけだわ。


「……何ヶ月ですか?」

「えっ?」


 私の搾り出した声に、ロズハルト様が一瞬何を言われたのか分からないって表情で顔を上げると、益々ばつが悪そうな顔になった。


「……三ヶ月だ」


 三ヶ月前って言うと、八月……夏休みの真っ直中ね。


「つまり、、避暑地の湖にある王家所有の別荘へ、をしている最中に、と言うわけですか」


 要は、あのイベントスチル通りのレアナのスレンダーなボディと、シンプルな白い三角ビキニに包まれたはち切れんばかりの大きな胸に惑わされて、勢い余って一夏の思い出を作ったわけね。


 ええ、いいわよ思い出くらい。

 イベントスチルになるくらいの、二人きりの楽しい時間だったでしょうから。


 でもそれで子供まで作っちゃってどうするの!


「ど、どうしてそのことを!?」


 どうせ箝口令を敷いていたでしょうから、私が知っているとは思いも寄らなかったでしょうね。

 経緯は初耳だったのか、陛下はギョッとしてロズハルト様を見てるし、お父様に至っては隣に座っている娘の私でも怖いくらいに怒気を撒き散らして今にも爆発しそうだわ。


「ロズハルト様」


 もう腹立たしいやら呆れるやら、とにかく怒鳴り散らしたいところを、感情を抑えて呼びかけると、やましいことしかないロズハルト様がビクリと身を震わせた。


「余所の女を妊娠させたから、彼女のために責任を取りたい? それで私との婚約を解消したい? 私への責任はどうなっているのでしょう? そしてこの不始末の責任を、どうお取りになるつもりなのでしょう?」

「それ、は……」


「これは、王家から婚約解消を申し出る案件ではなく、私から……我がファルテイン公爵家から、婚約破棄を叩き付ける状況ですよね?」

「っ……」


「ファルテイン公爵家をここまでコケにして、ファルテイン公爵家と戦争をしたいのですか? それとも、この国と実権をルエンテード公爵家か、アルガン侯爵家か、フレイバート侯爵家に譲り、シュタット辺境伯家の内乱を誘発したいのですか?」

「そんな、ことは……」


 これはちゃんと裏の事情を知っていて……いいえ、レアナの妊娠が発覚して、私との婚約を解消したいと奏上して初めて陛下から聞かされた、と言ったところね。

 でも、今更俯いて脂汗を大量に流している場合ではないでしょう。


「はぁ……」


 どうにも堪えきれない溜息を、扇で隠しながら盛大に吐く。


 またしてもビクリと身を震わせて縮こまるロズハルト様考えなしの浮気男


 婚約解消は望むところ。

 それも私に一切の瑕疵かしがない形で。

 それは理想的と言ってもいい。


 しかもこれ以上私があれこれ画策して計画を推し進めなくても、代わりに王家がレアナを後釜に座らせてくれるのなら、万々歳の事態だ。


 でも、それはそれ、これはこれ。


 女としての沽券に関わるし、公爵令嬢としてのプライドも許さない。

 これまで私が積み上げてきた物が、よりにもよってこんな理由で崩れ去るなんて、とてもじゃないけど納得なんて出来ないわ。


 この馬鹿げた所業の落とし前を、一体どう付けるつもりなのか。


「それで、どうして婚約解消と言う話になるのですか? 決して歓迎できはしませんが、レアナは城下で愛人として囲うか、親子二人が一生食べるに困らないだけの手切れ金を渡して全てなかったことにして、そのまま私と結婚すると言う手があったはずです」


 そうすれば、全て丸く収まるとは言えないけど、少なくとも王家とファルテイン公爵家の関係に決定的なヒビが入る事は避けられるはず。


「校舎裏の森庭で、ロズハルト様とレアナとの密会の現場を押さえたときに、私、そのようなお話をしましたよね? 何故、そうなさらないのですか?」


 私にダダ甘のお父様なら、私が許さないと、開戦だと言えば、今すぐ王家と訣別して内戦に突入するのは確実。

 そんなリスクを負ってまで我を通すのは、第一王子として決して執ってはならない手。


 レアナの妊娠は王家の醜聞スキャンダルだけど、事態は致命傷じゃない。

 私達が不愉快に思っても、どうとでも対処して、取りなすことが出来たはず。


 なのに、どうして私との婚約解消に踏み切ろうとするのか。


「そこまで私のことをおいといですか?」


 睨むように問うた私に、ロズハルト様が初めて目線を合わせて、挑むように睨み返しながら声を絞り出す。


「……そうだ」

「っ……!?」


 咄嗟に扇で顔を隠したけど……。


 私……ショックを受けてる?


 確かに私達は愛し合っていたわけではないし、好かれていないことは知っていたけど……まさか、戦争覚悟で婚約解消したいほど嫌われていたなんて……。


「殿下! うちの娘のどこに不満があると言うのですか! 確かに病弱ではありますが、未来の王妃たるべく、それを補ってなお余りある努力を重ね、これ以上ない程に王妃に相応しく育ったうちの娘のどこに!」


 ああ、遂にお父様が爆発してしまった。

 これは戦争は不可避かも知れない。


 そこまでは望んでいないのに、お父様を止めないといけないのに……上手く頭が働かなくて言葉が出てこない……。


「そうだ、エヴァノーラ以上に王妃に相応しい令嬢はいないと僕も思う。だからこそ、そこが大問題なんだ!」


 逆ギレしたように叫んで立ち上がるロズハルト様。


 それは一体……どういうこと?


 これにはさすがにお父様も、戸惑いが隠せないみたい。


 ロズハルト様が立ったまま、私を睨み付けてくる。


「エヴァノーラ、お前は立派だ。すぐに熱を出して倒れるその弱い身体で、よくぞそれだけの気品溢れる振る舞いを、見とれるほどのダンスを身に着け、王族の徹底的な教育を受けた僕を凌ぐだけの学を修めてみせた。そして自らの幸せよりも、この国と民の幸せを願い、未来の王妃たらんと貫いてきたその生き様は、どの貴族も令嬢も、到底真似出来ないだろう。まさに賞賛に値する」


 それは褒め言葉のはずなのに、全く褒め言葉に聞こえなかった。

 そんなにも苦しそうな顔で言われたら、まるで糾弾されているみたいじゃない。


「だが、本当のお前はどこにいる? お前の本当の気持ちはどこにある? 倒れるほどに辛いのなら、なぜ辛いと言わない! 状況が、立場が許さなくとも、どうして僕にだけは本音を言わない! たった一度だけでいい、お前が死ぬのが怖いと、死にたくないと泣き言を言ってくれれば、僕は……!」


 ああ……そうか…………そういうことだったんだ。


「それなのにお前は……どうして国のためにと身を捧げられるんだ!? 何故お前だけがそこまでしなくてはならない!? この僕に、この国のためだ王家のためだと言い訳しながら、抱いて、子供を産ませ、お前を殺せと言うのか!? 僕にはそんな覚悟は持てない……そんなの耐えられない……!」


 だからロズハルト様は私のことを……。


「どうせ死ぬと覚悟を決めるのなら、国や王家のためじゃなく、自分のために、愛した男のために、その子を産んで、命ある限り自身の幸せを求めるべきだろう……」


 もし……。


 もしあの日、私がさかしげに不用意なことを言ってやらかさなければ……。


 もし貴族の一員として、ファルテイン公爵令嬢エヴァノーラ・ストックドーンとして、徹底して己を殺して生きる道を選ばず、私が私のまま生きていれば……。


 もしミリエッタに見せたように弱音を吐いていれば……。


 もしかしたら、私とロズハルト様は……。

 そして、たとえこの命が尽きようとロズハルト様の子をと……。


 ……でも、そんなもしもは、もうあり得ない。


 セーブもロードも、周回プレイも、現実にはない。

 あの日、あの時、あの一言が、全ての分岐点だったのだから。


 扇で隠したまま、小さく溜息をつく。


「ロズハルト様のお気持ちはよく分かりました。よかれと思うことこそあれ、そこまで思い詰めさせるつもりはなかったのですが……これは私にも落ち度があったと言うことでしょう」

「エヴァノーラ……」


「ですが、それはそれ。現実問題として、この落とし前をどう付けるおつもりですか」

「エヴァノーラ……だからお前のそういう割り切るところが僕は……!」


 ええ、嫌いで結構。

 結局、私達は気持ちを通じ合わせることも、愛し合うことも出来なかった。


 それに、私はもう、さよならをして気持ちの整理を付けているんだから。


「お前はどうしたい」


 お父様が、確認してくる。


 多分、これが最後。

 次の私の一言で全てが決まる。


 だから陛下の顔は強ばっているし、ロズハルト様も生唾を飲み込んでいる。


 思いもかけない展開と、思わぬロズハルト様の本心を聞かされて、多少動揺してしまったけど……私の答えは変わらない、計画にも変更はない。


 一度目を閉じて、呼吸を、気持ちを落ち着かせる。

 それから、ゆっくりと目を開いた。


「婚約を破棄して戦争……と言うわけにはいかないでしょう。その婚約解消の申し出をお受けします。代わりにレアナを婚約者に。ただしその前に、レアナを私の義妹に……ファルテイン公爵家の養女に」

「「!?」」


「それでいいのかエヴァノーラ!? 殿下に扇を投げつけ叩いて不貞を罵り、宣戦布告して構わないんだぞ!?」


 戦争する気満々で怒りを振りまいていただけに一番驚いたらしいお父様を、溜息交じりに振り返る。


「お父様……それは構うでしょう」


 王家に嫁ぎ御子を産めば、いずれ私はお母様と同じように死ぬ運命にある。

 これまでは、そのことに父親として納得出来なくても、ファルテイン公爵として、政治家として、それは必要なことだと飲み込んで我慢していたんでしょうね。

 だけどこんな仕打ちをしてくれた王家にもう遠慮も配慮も必要ない、訣別して王家を倒せば私が死なずに済む、そう思っているのかも知れないけど。


「この国を、そして民のことを思えば、他に落としどころはない。それはお父様もご承知のはずです」

「それはそうだが……」


 本当はお父様も陛下も、ロズハルト様……は怪しいけど、その落としどころはすでに思い付いていたはず。


 ただ、王家からそうしてくれと言い出すのは、さすがにアウト。

 そんなことを臆面もなく言い出すようなら、お父様なら私の意見に関係なく戦争に突入しかねない。


 そしてお父様も、公爵として、政治家として、その方法を思い付いてはいても、私の父親として言い出せない。言えるわけがない。


 だったら、私が言うしかない。


 視線をきつくして陛下を真っ直ぐに見つめると、陛下がロズハルト様の頭を押さえ付けて下げさせ、自らもすぐに頭を下げた。


「本当に済まない、ファルテイン嬢。そなたは立派だ。そなた程、貴族として、令嬢として、この国を思う者は他にいないだろう」


 言わせた癖に。


 しかも、すぐさま頭を下げて詫びを入れるなんて。

 非公式とはいえ陛下に頭を下げさせたなんて、これ以上文句を言いにくいじゃない。


 本当にずるい人だ。


「そなたのこれからを思うと、詫びのしようもない。そなたのその気高き貴族としての矜持に賞賛と感謝の言葉を贈ると共に、せめてそなたの今後の生活全てを王家が保証すると約束しよう。望みがあれば、何なりと申すが良い」

「頭をお上げください陛下。王家よりの謝罪受け取りました。しかし、突然の事で私も動揺して、心が千々に乱れています。詳しい話は、また後日でよろしいでしょうか」

「うむ、そうだな」


 陛下は頭を上げると、ほっとしたように表情を緩めた。


「エヴァノーラ……」

「ロズハルト様……」


 自分でも意外だけど、ロズハルト様には何を言えばいいのか分からない。


「お前には本当に済まないと思っている……許してくれとも言わない……」

「ええ、まったくです。王家からの謝罪は受け入れましたが、ロズハルト様のことは一生許しませんよ」

「うぐっ……」


 このくらいの意地悪を言うのは許して欲しい。

 いくら望み通りの婚約解消とは言っても、単に振られただけならまだしも、他の女に寝取られただなんて、さすがに女としてのプライドが、ね。


「今回の件を戒めにして、二度と軽率な真似をなさいませんよう」

「分かっている。本当にお前は最後まで……いや、その貴族としての矜持に救われた僕が言うべきじゃないな」


 予想外の事態で、予定外の急展開になったけど、お互いに望む結末に落ち着いたんだから、もう、お互いに掛ける言葉はない。

 だから私は立ち上がる。


「さようなら、殿下」

「ああ……さようならエヴァ……いやファルテイン嬢」


 これで、本当にさようなら。

 もう私達の行く道が交わることは二度とないでしょう。


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