18 貴族としての最善の方策

◆18◆



「あ、あの者はただの平民……そう、ただの平民でしかないんですよ!?」


 信じられない。

 見開かれたその目が、そう語っている。


「ええ、そうね」

「エヴァノーラ様もおっしゃっていたじゃないですか! 愛人としてならまだしも、王妃にはなれないって! 子を産むことも、許されないって!」

「ええ、その通りよ。、ね」

「……っ!?」


 辺りをはばからない声で叫んだミリエッタの目が、また大きく見開かれて、今度は探るように私の目を見つめてきた。


「もしかして……だから、なのですか?」


 どうやら、思い当たる節があったみたいね。

 いえ、これまでもミリエッタは私の言動に違和感を覚えていた。

 それが一本の糸で繋がったんでしょうね。


 絶句して、それから辺りを憚るように声を潜める。


「最初は、優れた平民を囲い込むどころか、この学院に平民が入って来たことが、貴族を否定する思い違いをした平等を口にするあの者が許せなくて、きつく当たっておられるのかと思いました……」


 そうね、私はレアナと実利のある対立をするように心がけていたから。


「でもそうではないと、お優しいエヴァノーラ様がそのような振る舞いをするはずがないと、思い直しました。だから、エヴァノーラ様が公爵令嬢として、あの者に品位を、知性を、格の違いを見せつけておられたのも、あの者が身の程を知り、立場をわきまえて、殿下を諦めるように仕向けているのだと、そう思いました……」


 そうね、私はことあるごとに、公爵令嬢として、女としての格の違いとお互いの立場の違い、レアナの置かれた現実を見せつけてきたわ。


「ですがそれは、あの者に思い知らせ、諦めさせるためではなく……あの者が至らなくてはならない高みを見せつけるため……あの者が目指すべき姿を、範を示すため……だったのですね」

「ええ、正解よ。そして、レアナが最低でも私に並ぶだけの品位と振る舞いを身につけられるように、すでに手も打ってあるわ」

「そんな……!」


 すでに手を打っていると聞いて、私が本気だと分かったんでしょうね、ミリエッタの驚きの声が悲鳴じみてしまっている。


「誤解しないでね。貴族としての、そして公爵令嬢としての矜持と責務を、ただ無責任に投げ出すわけでも、敗北を認めて王妃の座を明け渡すわけでもないわ」


 まだ死にたくない。

 こんな命の使い方なんてしたくない。

 それは本心よ。


 だけど、プライドを捨ててまでみっともなく生にしがみつくほど、安い生き方はして来ていないの。


 もしこんな病弱な身体で下町やスラムに生まれていたら、私はとっくに死んでいたでしょうね。

 曲がりなりにも今日まで元気に生きてこられたのは、私が公爵令嬢だったから。


 そうである以上、私には貴族として、公爵令嬢として、決して退いてはならない一線があるのよ。


「平民でありながら学院の門戸を開かれたレアナなら、いつか私を越える王妃になれる。私が王妃になった時に起こりうる不幸や戦争を、起こさせずに回避出来る。王家とこの国の未来、そして他の全てのことにおいて、レアナに託すことが最善の方策。貴族として、公爵令嬢として、その責務をいかに果たすべきか熟慮した結果、そう判断したから、今回の計画を実行することに決めたのよ」


 そのためには、ロズハルト様にもレアナにも、恋に浮かれて頭の中がピンク色に染まっていられては困るのよ。

 だから、二人に現実を突きつけて、地に足を付けて貰ったの。

 でなければ、とてもではないけど託せないもの。


 貴族として、公爵令嬢として、まず一番に考えるべきは、王家とこの国の未来なのだから。


「納得いかないかしら?」

「当たり前です! エヴァノーラ様以外の誰かが王妃になるだなんて! ましてや平民なんかに!」


 とんでもないって顔で悲鳴を上げるみたいに叫んだミリエッタだけど、すぐにくしゃりと顔を歪めてしまう。


「でも……でもそうしたらエヴァノーラ様が……!」


 葛藤、するわよね。

 残念ながら、王妃の座と私の命、両立できないのよ。


「貴族だから、公爵令嬢だからと偉そうなことを散々言って、あなたの救いの手を取らないでおきながら、その実、あろうことか平民の娘に王妃の座を譲ってまで生き長らえようなんて……浅ましくて軽蔑したかしら?」

「っ……」


 ミリエッタがブンブンと首を強く横に振って抱き付いてきた。


「やっぱり納得は出来ません、ただの平民のあのような者に、殿下も王妃の座も奪われるなんて……! でも、それでも……わたしは、たとえどんな形でも、エヴァノーラ様さえ生きていて下さったら……!」


 その抱き締めてくる腕の強さに、不覚にも涙が零れそうになる。

 こんな温もりを知ってしまったら、ますます死にたくなくなってしまうじゃない。


「……ですが、本当によろしいのですか……もしエヴァノーラ様の思惑通り、あの者が王妃になったら、エヴァノーラ様は……」

「貴族として、公爵令嬢として、死んだも同然ね」


 表向きは病弱故に、今更ながら婚約を解消して、王家は別の婚約者を立てたってことになるでしょうけど……。

 そんな建前、信じる人はほとんどいないでしょうね。


 この国で最も権力を持つファルテイン公爵家の令嬢ともあろう者が、あろうことか平民に第一王子を奪われ、王妃の座を奪われたなんて、私はいい笑い物。

 社交界に顔を出すなんて恥さらしな真似、とても出来たものではないわ。


 第一王子から捨てられた平民にも劣る病弱の公爵令嬢だと、経歴に大きな傷が付いてしまえば、恐らく結婚はもう無理。

 療養と称して二度と表舞台に立つことなく、ひっそりと生きて、誰の記憶からも忘れ去られていくことになるでしょうね。


「どうして……どうしてエヴァノーラ様が、エヴァノーラ様だけがそんな目に……! エヴァノーラ様程、この国を思う素晴らしいご令嬢は、他にいないのに……!」


 往くも地獄、退くも地獄。

 病弱な身体に生れ落ち、ロズハルト様の婚約者に選ばれた時点で、私の運命はそう決まっていたのよ。


「でも、死ぬよりはマシよ。生きてさえいれば、きっといいことあるわ」

「はい……はい……! 分かりました、まだ全てを納得して飲み込めたわけではありませんが……わたしが、他の誰もしてくれないのならこのわたしが、エヴァノーラ様が生きていて良かったって、そう思って貰えるくらい、絶対に幸せにしてみせます……!」

「ふふ、ミリエッタったら」


 少しは調子が戻って来たみたいね。


「ですが、もし…………いえ、なんでもありません」


 一瞬表情を暗くした後、慌てて首を振って微笑みで誤魔化すミリエッタ。


 言いたいことは分かるわ。


 もし、レアナが王妃に足る教養と品格を身に着けられなかったら?

 もし、レアナがそのための教育に音を上げて逃げ出したら?


 その時はその時よ。

 最初の予定通り、私が王妃になってその責務を果たすだけ。


 文字通り、命懸けで。


 そう、ただそれだけのこと。

 ファルテイン公爵令嬢として、そうなったときの覚悟は決めて生きてきたのだから、今更の話よ。


 ……こんな風に公爵令嬢として割り切って考えられるのは、きっと前世の私自身のことを、ほとんど忘れてしまったからでしょうね。

 もし、前世の私のままで元日本人の感覚が強く残っていたなら、きっと耐えられずに、とっくに逃げ出しているに決まっているわ。


 私自身の記憶が薄れてしまったのも、ただ転生して長く時間が過ぎたからってだけじゃないと思う。

 あの日……私がやらかしてミリエッタを私に縛り付けてしまったと、貴族の権力は恐ろしい物だと気付いて、模範的な貴族になって権力を正しく使えるようにならないと周りを不幸にしてしまうと、正しくファルテイン公爵令嬢エヴァノーラ・ストックドーンとして生きないといけないと、そう覚悟を決めたあの日。


 私はきっと前世の自分とさよならをして、不要になった私自身の前世の記憶をなくしていったんじゃないかしら。


 ただの憶測でしかないけど、多分そう。


 おかげで私は今日まで胸を張って生きてこられた。


 でもそれは、一番側でミリエッタが私を支えてくれていたから。

 私のためにここまで泣いてくれる親友がいたから、私はやってこられた。


「ねえ、ミリエッタ……」


 ミリエッタと離れて、その手を握る。


「はい、なんでしょうエヴァノーラ様?」

「一つだけ、我が侭を言っていい?」

「っ!? は、はい、もちろんです!」


「たとえ何があっても……どんな結末を迎えることになったとしても……あなただけは、私の味方でいて欲しいの……」

「そんなこと、言われるまでもありません! でも、それで安心出来るのなら、初めて言ってくれたその我が侭を、わたしは全力で叶えてみせます!」


 力強く握り返してくれる手が、なんて心強いんだろう。


「ありがとう、ミリエッタ」

「わたしこそありがとうございます、エヴァノーラ様」

「どうしてあなたがお礼を言うの?」

「だって、あのエヴァノーラ様の初めての我が侭ですよ!? そんなことを言って貰えるなんて、きっと世界でわたしただ一人です! こんな光栄なことありません!」

「もう、ミリエッタったら」


 本当にこの子はもう。

 ミリエッタがそんなだから、私に縛り付けてしまったって罪悪感が薄れてしまって、甘えて、我が侭を言ってしまうのよ?


「でも、そうと決まれば」


 ミリエッタが改めて私の手を取って、身を乗り出しながら、泣きすぎて真っ赤になった目で真っ直ぐに見つめてきた。


「わたしに出来る事があれば、なんでも言って下さい! あの者が王妃として相応しい知識と教養を身に着けるためでも、殿下への制裁でも、エヴァノーラ様が生きて幸せになるためなら、なんでもやってみせます!」

「ふふ、ミリエッタったら。でも心強いわ、ありがとう」


 もう、嬉しそうに鼻の下を伸ばして。


「今すぐには思い付かないけど、もし何かあったときはお願いするわ」

「はい、任せて下さい!」


 ほっと力が抜けて、心が軽くなる。


 嫌われなくて、軽蔑されなくて、本当に良かった。

 そして、本当の気持ちを誰かが知ってくれているって、こんなにも心安らぐものだったのね。


「あっ、そうだわ」

「はい、何か思い付きましたか? なんでもやり遂げてみせます!」

「ふふ、そんな気合いを入れることではないわよ。お話が終わったところで、冷たい水と濡れタオルを用意しましょう。ちゃんと冷やさないと、明日の朝、目が腫れて大変なことになるわよ」

「あ……そうですね、急いで準備してきます」

「ええ、お願いね」



 そうしてその日の夜はお開きになった。


 翌日、少し寝不足で、少し腫れた目で、私達は多少の気恥ずかしさと、以前にも増して心の距離が近くなったことを実感して、微笑み合う。


 もう私は一人じゃない。

 それがとても心強い。


 その日から早速、私達は二人で協力して、レアナが王妃に相応しくなれるようサポートに動き始めた。



 そして秋のダンスパーティーから一ヶ月半後、驚愕の事実が判明することになる。


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