16 病弱令嬢が婚約者に選ばれた理由

◆16◆



「はい、決して誰にも言いません」


 私の言葉を一言一句聞き逃すまいと真剣な顔をするミリエッタ。

 信じてるから、私もその言葉を疑ったりしない。


「話が長くなるから、本当なら結論から先に伝えて、何故そう考えたのかを話していくべきなんでしょうけど……結論は最後にして、順を追って話すわね。だって、もう夜も遅い時間だから、ね?」


 私の言いたいことを正確に汲み取ったミリエッタの表情が固くなる。

 つまり、それだけミリエッタが辺りをはばからず驚き叫んで、問い質してくるのが目に見えているから。


 膝の上できつく手を握り締めたミリエッタの喉がゴクリと鳴ったのが聞こえて、思わず可笑しくなってしまった。

 もっとリラックスして聞いても平気よと、笑いかけるように話し始める。


「順を追って話をするなら、まず、私を取り巻く背景の説明からになるわ」


 そう、私が、ファルテイン公爵家の長女エヴァノーラ・ストックドーンが、第一王子ロズハルト様の婚約者に選ばれた理由から。


「ねえ、ミリエッタは疑問に思ったことがないかしら? 何故、私のように病弱なご令嬢が第一王子であるロズハルト様の正式な婚約者に選ばれて、こうして幾度となく倒れ寝込んでいるにも関わらず、今なお婚約者のままであり続けているのか」

「それは……」

「当然あるでしょうね。ああ、気にしないで、それが当たり前よ」


 普通なら病弱を理由に婚約者候補にすら挙がらないか、たとえ婚約者になったとしても、とっくの昔に婚約解消されていておかしくないわ。

 だって社交界のトップに立つ王城の女主人である王妃が、こんな病弱であっていいわけがないもの。


 こんな弱い身体では、国内の貴族達を取り纏めることも、外交で他国の王族と利権を巡りしのぎを削ることも、有事の際に国王に代わり国事全般請け負うことも、何より国母として世継ぎを産むことも、全てが危ぶまれるのだから。


「で、ですが、エヴァノーラ様は大変に素晴らしいお方です! 先日の期末試験では、あの殿下を抜いて学年一位の成績を残され、ダンスパーティーでは誰もが魅了され万雷の拍手を送る程の素晴らしいダンスを披露されました。気高く、賢く、お美しく、お優しく、これほどのお方が王妃として立つことに相応しくないなどあり得ません! エヴァノーラ様が相応しくないのであれば、他のどのご令嬢であっても決して務まりません!」

「ふふっ、ありがとうミリエッタ。でも、もう少し静かにね?」

「あっ、済みません」


 唇に人差し指を当てて、しぃってジェスチャーすると、ミリエッタが慌てて両手で自分の口を塞ぐ。

 やっぱり結論を最後にして正解だったわね。


「ミリエッタは私を褒めてくれたけど、話の本質はそこにはないの。いえ、全くないわけではないのよ。私も、ロズハルト様の婚約者として相応しくあるよう、学び、努め、自身を磨いてきたのだから。でもやっぱり、一番の理由はそこにはないの」

「……どういうことでしょう?」

「王家は、その権力と支配体制を盤石にするために、最も力がある貴族、ファルテイン公爵家を、是が非でも婚姻政策で取り込みたいのよ」


 ミリエッタがわずかに小首を傾げる。

 王家の目論見は分かるけど、何故ファルテイン公爵家でないといけないのかが分からないって顔ね。


 いくら有力貴族であるアーガス伯爵家の娘と言っても四女ともなると、そこまで貴族の勢力バランスや政治的な裏の話は耳にすることはないわよね、やっぱり。

 それに間違いなく、アーガス伯爵家がミリエッタに望む役割は、私の親友の立場なのだから、それ以外は二の次三の次にされていた可能性があるもの。


「ねえミリエッタ、もし私以外に、ロズハルト様の婚約者に相応しいご令嬢の名前を挙げるとしたら、誰がいるかしら?」

「エヴァノーラ様以外に相応しい方はいません、と言う答えは求められていないのですよね……ルエンテード公爵家のフランシア様、アルガン侯爵家のルシーダ様、フレイバート侯爵家のネフェリア様、シュタット辺境伯家のジェシカ様……でしょうか」

「そうね、どの貴族家も力があって、ロズハルト様と年が近く素晴らしいご令嬢ばかりだわ。どなたが選ばれていても、おかしくないわね」


 ファルテイン公爵家程ではなくても、ルエンテード公爵家の持つ権力と財力は王国有数で、フランシア様は絵画や音楽に造詣が深く、ご自身も将来を期待されている音楽家。


 アルガン侯爵家はその派閥に多数の下級貴族がいて、総力としてはファルテイン公爵家やルエンテード公爵家の派閥に劣るものの、単純な貴族家としての数なら王国トップで、ルシーダ様も姉御肌で面倒見が良く、下級貴族のご令嬢達にとても慕われている。


 フレイバート侯爵家は外交に強く他国との太いパイプが多数あって、ネフェリア様も頭脳明晰で機転が利き、他国の貴族やご令嬢達にも顔が広い。


 シュタット辺境伯家は国境の守の要であり周辺貴族の取り纏め役でもあって、王都から最も遠い領地で最大の軍事力を持つ上に多産の家系で、ジェシカ様は病気知らずで文武両道。


 誰が選ばれるにしても、文句なしにロズハルト様の隣に立てるご令嬢ばかりだわ。


 かく言う私も、そのご令嬢達に決して引けを取らないつもりよ。


 学問、特に王国の歴史、政治、経済はおろか、周辺諸国の言語、歴史、政治、経済、文化までも幅広く学び、前世の記憶のおかげで、学ばずとも数学、物理、化学なんかの知識も学者顔負けに持っている。

 そして王国貴族の一員として、公爵令嬢として正しくあるべく厳しく自分を律し、いずれ王妃に、ゆくゆくは国母になる者として、それに相応しいだけの気品と立ち居振る舞いを、誰よりも努力して身に着けてきた。


 そもそも、イケメンのロズハルト様の顔だけを見て憧れ色恋にうつつを抜かしてるご令嬢達、そして王妃という地位や権力を振りかざすことや、ましてや国民の税を私物化し贅沢することしか考えてないようなご令嬢達とは、意識からして違うのよ。


 だから、自分で言うのもなんだけど、他のどのご令嬢よりも王妃に相応しいのは私だって胸を張って言えるだけの自負がある。

 それだけの物を、これまで懸命に積み上げてきたのだから。


 ただ、唯一にして最大の、そして決して無視出来ない致命的なデメリットとして、病弱であると言うことを除けば……。


「病弱と言うのは、他の凡ゆる美点を打ち消して、なお余りある欠点よ。王家であればなおさら、お世継ぎの問題は最優先課題なのだから。でも、それでも、私が選ばれた。何故だか分かる?」

「い、いえ……分かりません」


「ルエンテード公爵は、王家に取って代わりたい野心家なの。フランシア様が王妃になれば、ルエンテード公爵は政治を私物化し、いずれ次代の王の祖父として、権力を振るうでしょうね。それはアルガン侯爵も同じよ。ルエンテード公爵とは派閥が違うだけ」

「え……?」


 やっぱり、そこまでの話は知らないのね。


「フレイバート侯爵家は他国と通じ過ぎてしまっているの。王妃となったネフェリア様を通じてロズハルト様を傀儡の王にして、他国の意向を優先した政治が行われるようになるわ。特に外交は滅茶苦茶にされて、多分王国は衰退していくでしょうね。そしてその見返りに、フレイバート侯爵家だけは富み栄えていくはずよ。ちなみに同じような理由で、他国の王家や貴族家から王妃を迎えることも考慮から除外されているわ」

「そんな……」


「シュタット辺境伯家は独立を目論んでいて、あわよくばを狙っているの。だから王家と婚姻を結ぶつもりはないわ。そして恐らく、ルエンテード公爵家か、アルガン侯爵家か、フレイバート侯爵家か、他の貴族家か、婚姻により王家の力が衰退したとき、独立を宣言して内乱に突入する可能性が非常に高いわ」

「本当にそんなことが……」


 かなりショックみたいね。

 それも仕方ないかも知れないわ。

 大っぴらに口にしていいことではないのだから。


 私がそれらを知っているのは、お父様に教えられたから。

 王妃になる者であれば知っておかなくてはならないことだから、と。


「対して、ファルテイン公爵家は王家に非常に友好的で懇意だわ。だから、本来であれば、わざわざ婚姻政策で結びつく必要はなかったのよ」


 あまりこうした政治向きな話に縁がなかったせいか、ミリエッタの顔色は悪く、何度も生唾を飲み込んでいる。


「有力貴族達がそんな調子だから、王家には選択肢がないの。王家とファルテイン公爵家が結びつけば、他の派閥の頭を押さえられるのは確実よ。そうして両家が力を合わせて他の派閥の力を削いでいって、王家を、ひいては王国を守る。それが王家とファルテイン公爵家の、国王陛下とお父様の目論見ね」


 当然と言えばいいのか、『くる虹』ではそんな話は一切出てこなかった。

 だって学院生活と恋愛を楽しむゲームだったんだから。


 でも現実である以上、そこには『ゲームだから』では済ませられない、理由も根拠もある。


「私はそのために婚約者として選ばれ、熱を出しても、倒れても、どれだけ婚約者に相応しくないと不安がられ、陰口を叩かれても、婚約解消されることなく、婚約者であることを求められていたのよ」

「だから……だからエヴァノーラ様は王妃に相応しくなれるようにと、その求めに応えられて、これまで誰よりも努力されて……」


 ミリエッタの声が震えて、ポロリと一滴ひとしずく、涙がドレスのスカートに落ちてシミを作った。


「それなのに……それなのに殿下は…………こんなエヴァノーラ様にあのような仕打ちを……!」

「ああ、ミリエッタ泣かないで。ごめんなさい、そんなつもりではなかったのよ」


 慌ててハンカチを取り出して、ミリエッタの涙を拭う。


「ごめ……なさいエヴァノーラ様……エヴァノーラ様こそ、お辛くて泣きたいはずなのに……わたし……」


 声を殺して、涙を止めようとすればするほど、後から後から溢れ出てしまうみたいで、ミリエッタの涙も嗚咽も止まらない。


「ありがとうミリエッタ」


 そんなミリエッタを優しく抱き締める。


「私を理解して、泣いてくれる、そんな貴方が側にいてくれる。それだけで私は幸せ者よ」


 グスグスと声を殺して泣いてくれる、そんなミリエッタの存在が私にとってどれほどの支えになってくれていたことか。

 きっとミリエッタでも分からないでしょうね。


 そうして抱き締めたまま、どれほどの時間が過ぎたか。

 ようやくミリエッタが落ち着いてきて、私から身を離す。


「ごめんなさい、ドレスを汚してしまって……ハンカチも、こんなにくしゃくしゃに……」

「いいのよ。それだけミリエッタが私を想ってくれていたって証なんだから。むしろ誇らしくて嬉しいくらいよ」

「エヴァノーラ様……!」

「ああ、また。もう泣かないで、ね?」

「は、はい……済みません」


 この調子だと何を言っても泣いてしまいそうね。

 でもね、私の話はまだ、前置きですらないのよ?


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