15 真っ直ぐな瞳

◆15◆



 私が意識を取り戻すまで丸一日以上。

 寮の自室で寝込むことさらに五日。

 ダンスパーティーから一週間が過ぎて、ようやく私はベッドから起き上がれるようになった。


「エヴァノーラ様、もうお加減はよろしいんですか?」

「ええ、ありがとうミリエッタ。ナタリーも」


 二人の話だと、あの後、私はミリエッタとシェリー先生に担がれて、ナタリーが待つ控え室へ運ばれソファーに寝かされたらしい。

 けれど、いつまで経っても目を覚まさないものだから、医務室の先生を呼んだり、ロズハルト様を捜し出して呼んだりと、ちょっとした騒ぎになってしまったみたい。


 でも、病気じゃなくて、単に少し無理をして疲労で倒れただけだから、大騒ぎをするような事態ではなかったのよ。


 だから、ダンスパーティーが中止にならなくて本当に良かったわ。


 ただ、せっかく綺麗に着飾って楽しみにしていたのに、ミリエッタには一曲も踊らせてあげられず私に付きっきりで看病をさせてしまったことは、すごく申し訳ない。

 完全に体調が戻ったら、何かお詫びとお礼をしないといけないわね。


 ともかく、ミリエッタは授業があるし、私に付きっきりと言うわけにはいかないから、ナタリーの滞在が許可されて、今日に至る。


「お嬢様、本当にご無事で何よりでした。ですが、どうぞこのような無理はもうなさらないで下さい。倒れて目を覚まさないお嬢様を見て、心臓が止まるかと思いました」

「もうナタリーったら、毎日その話ばかり」

「お嬢様……」

「ええ、分かっているわ。もう二度と、こんな無茶はしないって約束するわ」


 ほっと胸を撫で下ろすナタリーだけど、まだ心配そうな目で私を見ている。

 前科があるから仕方ないけど。

 だからきっと明日もまた、同じ話を繰り返すに違いないわ。


「お嬢様、お夕食はどうなさいますか?」

「そうね……まだ食堂まで歩いて行くのは大変そうだから、今日も部屋で戴くわ」

「畏まりました。消化に良い物を作ってきます」

「別に病状が悪化したわけではないし、熱が出たのも一時的なもので、ただの疲労でしかないんだから、普通でいいのよ普通で。だからそろそろ少し精が付く物が食べたいわ。お肉とか」

「畏まりました、ではそのように」


 ナタリーが一礼して部屋を出て行く。


 食堂のキッチンを借りて、また腕によりをかけて作ってくれるわね、楽しみだわ。


 ナタリーの足音が遠ざかって行ったところで、ミリエッタが何か思い詰めた顔で、じっと私を見てくる。

 私が目を覚ましてから、毎日ずっと何かを言いたそうで、でも私の体調を慮ってか、何も言わない。


 何を言いたいのか、大体予想は付く。


 ここまで心配と迷惑をかけてしまった以上、話しておくべきよね。

 ……もしかしたら、軽蔑されて、嫌われてしまうかも知れないけど。


 ああ……そう思うと、踏ん切りが付かないわね。


 そんな私の迷いを察したのかも知れない。

 ミリエッタが表情を硬くして畏まる。


「本当は、エヴァノーラ様がお話し下さるまで待つつもりでした……でも、もしまた倒れられるようなことがあったらと思うと……」


 真剣に、真っ直ぐに、とても綺麗な瞳で、私の身を案じてくれるミリエッタ。


 やっぱりもう、黙っていることは無理そうね。

 私も……もう引き返せないところまで計画を進めてしまった以上、ずっと一人で抱えているより、誰かに話してしまいたい。


「エヴァノーラ様は一体何をお考えになって、何をなさろうとしているのですか?」


 ベッドの脇の椅子に座るミリエッタの向こうに、花瓶に活けられた花が視界に入る。

 ロズハルト様が毎日お見舞いで持って来てくれる花が。


 私の身を案じてくれているのは本当だろうけど、愛しい婚約者を心配して見舞うために、なんて色っぽい話じゃない。

 多分に、両家が決めた婚約者が倒れたから、婚約者としての体面や外聞として、義務として来てくれているに過ぎない。


 そして、身につまされているのでしょうね。

 ここまで私がするほどに、私を追い込んでしまった、と。


 それは半分正解で、半分勘違い。


 一度、目を閉じる。

 瞼に浮かぶのは、ロズハルト様の姿。



 私が目を覚ました翌日、お見舞いに来てくれたロズハルト様は人払いをした。


「エヴァノーラ……お前の立場を考えれば、レアナが気に入らないのは分かる。そして僕の取っている態度も。しかし、だからと言って、このように倒れるまで……そこまでしなくてはならなかったのか?」


 罪悪感にさいなまれた辛そうな顔で、だけど自覚が足りていない言葉で、そう切り出してきたから、私は事も無げに返したわ。


「ロズハルト様は、少しばかり勘違いされているようですわね。ただ私は、ロズハルト様の隣に立つに相応しい、淑女としての有り様を知らしめたに過ぎません」

「確かにレアナには足りないところがあるが――」

「足りないどころか、相応しくないと断じることが出来る程に、彼女は何も持っていません」

「――っ……しかし、それでも僕は……」


「それで辛い思いをして、不幸になるのは彼女ですよ? 住む世界が違うのです。彼女は一度それを思い知るべきなのです」

「だからお前は、見せつけて思い知らせたと言うのか……」


「私達は平民ではないのです。もし本気で彼女を王妃にと望むのでしたら、ロズハルト様も彼女も、恋にうつつを抜かす前に、まずすべきことがあると思いますが?」

「エヴァノーラ……お前は強いな。僕の周りの者達の中で、お前ほど貴族らしい貴族を見たことがない。どうしてそこまで自分を殺して、貴族として生きられるんだ?」


「私は強くなどありません……ただ、権力の恐ろしさを……人一人の人生を狂わせるほどの力があるのだと、幼少期に悟ったに過ぎません。だから私は……その力の使い方を誤らないよう、その力の有り様に相応しくあるよう、公爵令嬢として、この国の貴族として、恥じない生き方を選ぶしかなかったのです……」


 俯いてしまった私を、ロズハルト様がどう見て、何を考えていたのかは分からない。

 ロズハルト様はその後、私の身体を気遣う言葉を残して、帰って行ったから。


 その日から毎日花を持ってきてくれるロズハルト様とは、他愛のない話をするだけで、ダンスパーティーの日のことも、レアナのことも、一切触れなかった。



 ゆっくり目を開くと、目の前にはミリエッタの顔があった。

 ロズハルト様とは違う、誰よりも私を心配してくれる、かけがえのない親友の顔が。


「知ってしまったら……もし何かあったとき、言い逃れ出来なくなるわよ?」

「構いません。エヴァノーラ様が何をなさろうとしているのか知りませんが、もしエヴァノーラ様が罪を犯されると言うのでしたら、きっとそれはなさなくてはならない、犯さなくてはならない罪なのでしょう。だったらわたしも共に罪を犯し、共に裁かれます」


 その瞳は真っ直ぐ私へ向けられて、揺るがない。

 だけど、私の心の中までも映し出したとき、その瞳にはどんな色が宿るのか……。


「……私を軽蔑するかも知れない……嫌いになるかも知れないわ」

「軽蔑なんてしません。嫌いになんてもっとなりません。何も知らないまま、お側で心配するだけなのは苦しいです」

「本当にもう、ミリエッタったら……」


 前世から通して、私にここまで言ってくれたのはミリエッタが初めてよ。


「分かったわ……あなたには、全て話そうと思うわ」

「っ! よろしいのですか……?」

「ええ。ただ、込み入った話になるから、今は間が悪いわね。多分そろそろロズハルト様がいらっしゃると思うし」


 せっかく覚悟を決めてくれたところで悪いけど。


「今夜、みんなが寝静まってからここに来て」

「……分かりました。必ず来ます」



 そしてみんなが寝静まった夜遅く、ミリエッタが私の部屋へとやってきた。


 すでにナタリーも下がっていて、部屋には私とミリエッタの二人だけだ。

 大きな声さえ出さなければ、誰に聞き咎められることもない。


「話が長くなるかも知れないから、お茶を淹れるわね」

「いえ、それでしたらわたしが」


 私から来るようにお願いしたのにミリエッタにさせるわけにはいかない、って言うよりも先に、ミリエッタはお湯を取りに行ってしまう。


 夜中に目を覚ましたご令嬢がお茶を飲みたくなるかも知れない、お腹を空かせて何か食べたくなるかも知れない、そういう理由から、厨房では二十四時間ずっと沸かしたお湯があって、サンドイッチなどの軽食も用意されている。

 ミリエッタはそれを取ってくると、慣れた手つきで手早くお茶を淹れてくれた。


「エヴァノーラ様、どうぞ」

「ありがとうミリエッタ」


 ふわりと香るカモミールの香り。

 一口飲んで、ほうっと息をつく。


「とっても美味しいわ」

「お口に合って良かったです」


 ミリエッタも一口飲んで、微笑んだ。

 すぐにカモミールの効能が現れたとは思わないけど、少し気持ちが楽になって、肩から力が抜ける。


 胸の内を誰かに話すのは初めてだから、自分で思っている以上に緊張していたのね。

 きっとそんな緊張がミリエッタにも伝わっていたのかも知れない。

 そこでリラックス効果のあるカモミールティーを選んだのは、さすがだわ。


 もう一口飲んでから、カップをソーサーに戻す。

 居住まいを正した私に、ミリエッタもカップを置いて居住まいを正した。


「これから話すことは一切他言無用よ?」


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