14 ファルテイン公爵令嬢の矜持

◆14◆



 改めて一礼して、ロズハルト様の手に手を重ね腕を添え、ロズハルト様の手が私の背に添えられて、ホールドと言う姿勢を取る。


 さすがロズハルト様。

 頭も、肩も、腕も、腰も、足も、真っ直ぐ美しい。

 格好良く見せようとか、上手にリードしようとか、そんな力みが入って変に背を逸らしたり、肩が上がって組みにくくなったりすることが全くなかった。


 当然私も、計画やレアナの視線を意識しつつも、それで変に力んで姿勢が崩れては美しくないから、ロズハルト様の美しさに負けない美しい姿勢を、きつくても維持する。


 やがて流れ出す音楽。


 ロズハルト様は口ずさんでリズムを取ったり、『行くよ』なんて出だしで声をかけたりしない。

 それは先ほどの、ダンスの申し込みを無言で済ませた失礼な態度とは真逆。

 目線と動きだけの自然なリードで踊り出すタイミングを私に伝えてくれて、自然な流れで私達は踊り出す。


 それだけで、分かる人には分かるのね。

 ほぅ、と感嘆の溜息が漏れ聞こえてきた。


 そんな感嘆と、羨望と、嫉妬と、全校生徒の注目を集めながら、まずは基本的なステップでゆったりと踊る。

 二人とも、気品と優雅さと、そして楽しげな笑顔を絶やさない。


 けれど、見つめ合う二人の視線と周囲には聞こえない程度の小声での攻防はあった。


「ロズハルト様は、よほどあの平民がお気に召していらっしゃるようですね。婚約者のこの私を差し置いて、ファーストダンスの相手に指名しようなどと」

「ああ、そうだ。エヴァノーラには申し訳ないと思っている……しかし僕は彼女を心から愛しているんだ」

「学院のダンスパーティーとはいえ、公の場でそのような真似をなさるなど、周囲にどのように見られるか、ご承知の上でのことなのですか」


 婚約者たるファルテイン公爵令嬢をないがしろにする行為に顰蹙ひんしゅくを買っていますよと、暗に告げる。


「……それでも僕は彼女を愛してしまったんだ」


 ロズハルト様の声音には、少なくない苦渋が交じっていた。


 それでも思わずうっとりしてしまいそうな綺麗な笑顔を絶やさないロズハルト様と、まるでお慕いしておりますと言わんばかりの柔らかな笑顔の私と、傍目から見れば、二人だけの世界で楽しくダンスを踊っているように見えるでしょうね。

 レアナの気が気ではない視線が向けられているのが分かるわ。


「ロズハルト様のお気持ちは分かりました。実際どうなさるおつもりですか?」

「それは……」


 私の問いに、ロズハルト様は答えられない。


 ロズハルト様にとっての現実的な落としどころは、このまま私と結婚し、正室の私が世継ぎを産んで国母になる……けれど、実態は仮面夫婦。

 一方でレアナをどこか上級貴族の養女にして十分な教育を施し、それから側室として迎え入れ、愛のある夫婦生活を送る、と言うものでしょうね。


 けれどそのような真似を、王家とファルテイン公爵家が許すかどうかは別問題。

 娘ラブで私にダダ甘のお父様は、決して許さないでしょうね。


 だから、ロズハルト様は答えをはぐらかす。


「エヴァノーラ、そろそろ曲の半分に差し掛かる。ここまでにしておくか?」

「いえ、構いません」


 息が乱れそうで、答えが短く端的な言葉だけになってしまった。

 淑女として恥ずかしくて気になるけど、手の平はすごく汗を掻いてしまっている。

 ドレスの下も同じ。


 でも、顔だけは涼しげな笑顔を絶やさず、飽くまでも気品を保ち、優雅に、そしてどれだけきつくても、ターンで上体がブレそうになっても、美しい姿勢を維持してステップを踏む。


「しかし……」

「構いません。今夜、だけは……このまま」


 乱れ始めた息の合間に、なんとか言葉を繋いで、疲労で震えそうになる膝を叱咤して、下がりそうになる肘や腕を叱咤して、けれど力んで崩れないよう、ホールドを維持して踊り続ける。


 さすがロズハルト様。

 私を気遣い、変にリードしようとグリップした左手を前に押すことも、私の身体が崩れないよう支えようと変に右手で私の身体を引き寄せようともしないで、最も美しい姿勢を維持して自然なリードを心がけてくれている。


 おかげで、私も気遣いと言う名の下手なリードで踊りにくくなって余計にきつい思いをすることもなく、飽くまでも自然にフォローしていけた。


 この気遣いの十分の一でもいいから、普段から私に向けていて欲しかった……。

 ちょっと感傷的になって胸の奥がチクリと痛むけど、もう過ぎた話……計画を実行すると決めた時点で、もう諦めた話だから、その感傷を振り払うように、情熱的なステップに切り替える。


「エヴァノーラ……!?」

「はぁ、はぁ……ロズハルト様……!」


 私にだって曲がりなりにもロズハルト様の婚約者として選ばれた、そして公爵令嬢としてのプライドがある。


「分かった……必ず付いてこい」


 私の覚悟に応えるように、ロズハルト様も情熱的なステップで、より高度で、複雑で、そして美しいステップを踏む。

 周囲から上がる、驚きと、感嘆のどよめき。


「っ……はぁ、はぁ……!」


 息が切れる。

 目が回りそう。

 腕から、膝から、力が抜けて崩れ落ちそう。


 でも、ターンをするたびに、レアナの姿が視界の端に映って、この程度で倒れてなるものかって、心を奮い立たせる。


 ひるがえるドレス、零れる笑顔、流れるような鮮やかなステップ。

 ロズハルト様に相応しくあるよう幼い頃から教育されてきた、その集大成を、淑女としての格の違いを、レアナに、そしてこの場にいる全ての人達に見せつける。


 さあ、レアナ、私を、私達を見なさい。

 瞬きする時間も惜しいほどに、魅了され、その目に焼き付けなさい。


 これが、未来の国王たる第一王子と、未来の王妃たる公爵令嬢の、あるべき姿なの。

 この私達の間に、が割って入る余地があるなどと、ゆめゆめ思わないで頂戴。


 やがて曲が終わり、二人はそのステップを止める。


「エヴァノーラ……お前……」

「はぁ、はぁ……はぁ、はぁ……!」


 もう、息が乱れて、まともに喋れない。

 気を抜いた瞬間、崩れ落ちてしまいそう。


 けれど、まだ、まだよ。

 飽くまでも優雅に礼をして、ダンスを終える。


 最初の一人は誰なのか……もしかしたらミリエッタかも知れない。

 曲が終わって静まり返ったダンスホールに、最初は静かに、そして次第に大きく、やがて万雷の拍手が鳴り響く。


 大きく口を開けて肩で息をしてしまいそうになるのを無理矢理押さえ付け、飽くまでも笑顔でロズハルト様へ手を差し出す。

 ロズハルト様がとても複雑そうな、何かを言いたそうな顔をしたけど、結局は何も言わずに私の手を取った。


 そのまま二人、ダンスホールの中央から辞する。


 やがて拍手は鳴り止み、まるで自分達もとばかりに大勢のペアがダンスホールの中央へと進み出て、二曲目が始まった。


 そして私は、レアナの前に立ちはだかるように立つ。


「ご覧戴けたかしら?」

「っ……!」


 レアナが私を、そしてその隣に立つロズハルト様を、涙の滲んだ瞳で見比べる。


「ロズハルト様に相応しいとはどういうことか、そしてその隣に立つ意味。少しは理解出来たのではありませんか?」

「あ……あたし、は……」


 よろめくように一歩後ずさるレアナに、私は同情しない。

 ロズハルト様の隣に立つには、そのためのたゆまない努力と、その努力する時間以外の全てを犠牲にする覚悟と、何より結果が求められる。


 今のレアナには、何一つない。


 私とレアナでは、淑女としての格が違いすぎる。


 可愛いだけで許されてヒロインになれるのは、ゲームの中だけなのだから。


「あなたはまだ言えますか? 私よりあなたの方がロズハルト様に相応しいと」


 押し黙り、俯いてしまうレアナ。

 微かに漏れ聞こえる嗚咽と、床に落ちて跳ねる透明で綺麗な雫。


「あら、ごめんなさい。二曲目は始まってしまいましたね。どうぞ、三曲目はロズハルト様と踊っていらっしゃい。私より相応しいとうそぶく貴方のダンスが、貴婦人のダンスか、山猿の猿回しか、楽しく拝見させていただきますわ」

「……っ!」


 突然ドレスの裾を翻し、レアナが駆け出す。

 両手で口を塞ぎ、せめて私にだけは泣き声を聞かせまいとするように。


「レアナ!?」

「ロズハルト様」


 追って駆け出そうとしたロズハルト様が、私の鋭く咎める声に、思わず足を止めた。

 そして振り返って、私を辛そうに、そして悲しそうに、睨む。


「それでも僕はレアナを選ぶ」


 ダンスホールを飛び出して行ったレアナを追って、ロズハルト様もダンスホールを飛び出して行った。


 そう、それでもやっぱり、ロズハルト様はレアナを選ぶのね。


 ……さようなら、ロズハルト様。


「エヴァノーラ様、わたし……わたし……!」


 振り返ると、くしゃくしゃに顔を歪めて、ミリエッタがボロボロと涙を流していた。


「ありがとう、ミリエッタ」


 私の代わりに、そんなにも泣いてくれて。


「ごめんなさいね、今日はこれで失礼するわ」


 ミリエッタと踊ってあげることも、ミリエッタが踊っているところを見ることも、もう出来そうにないの。


「わ、わたし……わたしも、付き添います」

「……そう、ありがとう、せっかくのダンスパーティーだったのに、ごめんなさいね」

「いいえ、いいえ」


 泣きながら首を横に振ってくれるミリエッタに、胸の奥が温かくなる。

 なかなか泣き止まないミリエッタを伴って、飽くまでも優雅さを失わないように歩みを進めて、私もダンスホールを出る。


 そして、ダンスホールの扉が閉まりきったところで――


「エヴァノーラ様!?」


 ――私の身体は限界を迎えて崩れ落ちた。


「はぁ、はぁ……はぁ、はぁ……!」


 これまで我慢していた汗がドッと噴き出して、まるで天地がひっくり返りそうな程、視界が回っている。


「はぁ、はぁ……はぁ、はぁ……!」


 回る視界の中で、ミリエッタが私の顔を覗き込んで泣きじゃくっていて、涙を拭ってあげたいけど、もう指一本動かせない。


「見せて貰ったわ、エヴァノーラさんの矜持と覚悟を」

「シェリー先生!? 先生がどうして学院に!? い、いえ、今はそれよりもエヴァノーラ様を!」


 シェリー先生が私の傍らにしゃがみ込む。

 言いたいことがあるのに、息をするので精一杯で、言葉が紡げない。


「あなたのお願い、引き受けたわ」


 真剣な眼差しで頷いてくれたシェリー先生に、ちゃんと微笑めたかどうか……。


「エヴァノーラ様!?」


 私の視界は暗転して、意識が途切れた。


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